蘇ル命ノ欠片
「蘭子、いるか?」
「お兄様?」
「……入るぞ」
すーっと障子を開けると、蘭子が敷布団に座っていた。
「お兄様……私、どうしちゃったのでしょうか」
「うん?」
蘭子の様子がおかしいのに気付き、そっと隣に座った。
「昨日息が出来ないくらい苦しくなって、お兄様のお部屋にお邪魔したの。でもそこから記憶がないの……」
「昨日の記憶……」
記憶がない……雛が消したのだろうか?確認しようにも、今雛を呼ぶわけにはいかない。
「……きっと、夢を見たんだよ。今は何ともない?」
すると蘭子は首をぶんぶんと横に振って俯いた。
「苦しいどころか、至って元気。昨日までの動悸の激しさが嘘みたいに……ねえお兄様、私本当にどうかしちゃったんじゃ」
心細そうに蘭子は言う。ふと今朝の雛の言葉を思い出した。
《妹君は、元々御身体が弱い方。悪魔の力だけでは完全にお救いすることは不可能なのです》
《妹君は、そう長く生き永らえない》
ずさずさと突き刺さる、雛の言葉。悪魔を以ってしても、その小さな命を繋げることさえ容易ではない。
《では……貴方様が救って差し上げればいい》
僕の力で……悪魔と手を組めば、僕でも蘭子を救えるのなら……
「……蘭子」
「?」
僕は唾をごくんと飲んで、一つ一つをゆっくりと話し出す。
「お願いがあるんだ、蘭子。少しの間だけでいい……眠っていてもらえないか?」
「え?」
蘭子はきょとんとした顔で僕を見つめる。僕自身も何を言い出すんだと思うが、いきなり死んでてもらえないか、なんて言えるわけがない。
「頼む!蘭子の病気を治す為の方法が一つしかないんだ。絶対に蘭子を助けるからっ!!」
僕は蘭子に土下座して心からそう願った。泣かせたくない、苦しませたくない、心配させたくない、いろんな思いが涙に変わって込み上げてくる。
「頼む……」
蘭子に向かってこんなにも必死にお願いをしたのは初めてだった。本当だったら、兄である僕がお願いを引き受ける立場の筈なのに。
「……わかったよ」
蘭子は溜め息混じりにそう呟いた。僕はばっと顔を上げた。
「本当か!?」
「お兄様のそんな姿、見てられないもん。ほら、普通に座ってよ!」
蘭子に促されて、僕は普通に正座をして蘭子に向き直る。
「私には何がなんだかよくわからないけど、寝てるだけでいいんだよね」
「そうだ。すぐに僕が何とかするから」
「今でも私、平気だよ?お兄様が何を考えてるのかわからないけど……わかった」
蘭子は敷布団に包まり、顔だけを出して僕を見つける。
「お兄様……信じてるから」
「ああ」
僕は満面の笑顔を蘭子に向けた。蘭子は安心したように、ゆっくりと瞼を下ろした。
「……雛」
「はい」
三分程経ってから雛を呼んだ。これからどうすればいいのかわからない以上、雛を頼るしかない。
「では、まず妹君には失礼して……」
雛は蘭子の胸に手を当てて、目を閉じた。
「何をして――」
「お静かに」
雛は片腕を出して制止し、僕は雛の沈着な声に少したじろぎながらもじっと待つ。
「……ふう」
しばらくすると、雛が汗を掻きながらこちらに向いた。
「蘭子は!今何をしたんだ!?」
「お静かに。心の臓を停止させただけです」
「なっ……!?」
「これからが本番なのですよ。あなたの力を貸して頂きたい」
「……わかった」
僕は雛に言われるがままに行動する。まずは両手を重ねて蘭子の胸の上に置き、雛の言葉を復唱する。
『己の悔いを咎めず、先の戒めを解く。汝、これに応えよ。自由と責務を全うし、生涯共にすることを誓う』
『これを蘇らせ、再び我と共にあるべき存在にせよ。我はそう望む』
僕が唱え終えると、雛が僕の背中に手を回し、何かを小声で唱え始めた。すると僕の両手が黒く光り始め、突然目の前が真っ暗になった。
「な……んだ!?」
「無意識に目を閉じられただけですよ。もう開けられるはずです」
雛の声が聞こえて安堵した。少しずつ目を開けると、目の前にすうすうと寝息を立てる蘭子の姿があった。
「蘭子っ!」
僕は喜びが抑えられず、蘭子を抱きかかえた。
「う……ん」
「ああ、蘭子だ……生きてるんだな……」
僕の横で、雛がふっと柔らかな笑みを溢した。