2.エルフと魔獣
一話を投稿しただけなのにお気に入り登録や評価をつけてくださった方がいるようで、ありがとうございます
区切りのいいところで切ったので、前話より少し短くなってしまいました
目を覚ました場所は大きなテントの中。最初に認識したのは自分が椅子に座り、後ろ手に縛られているということ。足も椅子と合体して動けそうにない。服は変わっている。あのボロボロの服から真っ白な簡素なワンピースのようなものに。
ゆっくりと顔を上げれば、そこには一人の騎士がいた。村で見た騎士とは違う意匠の青銀のプレートメイル。剣を腰に佩いて、何も変なところのない、いたって普通の顔をしている。
そいつは背もたれに気だるげにもたれて、興味深そうに私を見ていた。
「よぉ、起きたか、お嬢ちゃん。思ったより早いご起床で」
気さくに話しかけてくる騎士。二十歳を過ぎたあたりの金髪の青年だ。村で見かけたことあるかもしれない、と思わせる平凡な容姿。普通だ。
大きな、丸いテント。私と騎士が向い合せに座っている。テントの中心を中点とするように離れて。
「あーまぁ、お嬢ちゃんは捕まったわけだな。そんで、これからお嬢ちゃんには自分の村の様子を教えてもらいたい。もし教えてくれれば、お嬢ちゃんを解放すると約束しよう」
斥候部隊か何かに捕まった私から情報を聞き出そうという魂胆か。あの兄妹を殺したのは、情報源が三人の中で一番年長であった私だけで十分だったからだろう。辺りにいた人間は二人に比べ私の精神年齢が高いことなどお見通しだったと予想できる。
「じゃあ、あと十分くらい待っててくれ。その間お兄さんとお話ししよう」
人懐っこい笑みを見せる騎士だが、目が笑っていない。たとえ何か情報を話したところで開放などされないだろう。奴隷にでもされるのかもしれない。
暗い笑みが心の中で漏れた。
「そうだなーお嬢ちゃんの名前は?」
逃げるなら今しかない。十分待てば、尋問だか拷問だかの担当者が来るはずだ。今、テントの中にいるのは私とこいつだけ。テントだから魔法を使えば何処からでも簡単に出られる。
「……ミラ」
「へぇ、ミラちゃんか。可愛い名前だ」
へらっと笑う騎士に殺意が湧くが、こいつはおそらくドールとキールには何の関係もない。斥候部隊を殺してやりたいという黒い感情が渦巻くが、冷静に破却する。そんなことに意味はないだろうと静かに自分を説得。その感情を捨ててしまえる自分に少し嫌気がさした。
今はここから逃げることが先決。そう自分に言い聞かせる。
縛られた両手。騎士からは身体で隠れて見えない。指に魔力を纏わせ、丁寧に動かす。筋肉が不自然な動きをするので、時々身を捩って、少しだけ苦しそうにする演技も忘れない。
「ミラちゃんは幾つだい?」
「……明日、十一になる」
「そりゃおめでたい! 明日はお祝いをしなきゃね」
やはり帰す気はない。
見えないので複雑なものは書けない。
「ミラちゃんのお父さんとお母さんの仕事は?」
「……農家」
ゆっくり、慎重に書いていく。失敗は許されない。成功しても失敗しても、魔力を流せば陣は光る。基本の陣で魔力量を少なくしても完全に発光を止めることは不可能。
「ミラちゃんは魔法は得意かい?」
「……ふつう」
どこか探るような視線を受けながら、騎士の質問に嘘を交えて答えていった。騎士は本当に私に興味があるのかないのか。どうにも読めない。
体内時計で七分ほどの時間が経ち、二つの陣を書ききった。逃げることだけを考えた魔法。騎士を攻撃するという策もあったが、どうも騎士が着ているプレートメイルから魔力が感じられる。この世界には常時発動型の魔法というのはないため、魔法が弾かれるなどということは起きないだろうが、マジックアイテムを持っているなら軍で一定以上の地位を得ている人間と推測できる。ひょっとすると相当な手練れなのかもしれない。
「ミラちゃんの村で一番魔法がうまく使えるのは誰?」
「……多分、ハンスさん」
「誰だい?」
「……村の東に住んでる。青い屋根の家の人」
「へぇ」
小さく感嘆の声を上げた騎士に目を合わせる。
すぐに視線を騎士の背後に。テントの入口をほんの少し驚いた風に見る。
「ん?」
私につられるように首を動かし、後ろを確認する騎士。
首が動き切ったその瞬間に合わせて――
「≪風よ、落ちろ≫!!」
テントの外。上空からギロチンのように風を降下させる。
テントのシートが私たちを分断するように落ちた。視界はシートの黄色一色。
「何!?」
「≪風の刃よ、走れ≫!!」
シーツの向こう側から吃驚の声が聞こえた。
数瞬遅れて手足の縄が切れ、椅子の脚が弾けるように吹き飛んだ。力加減を間違えれば私の身体がそうなっていたと考えるとぞっとする。
「≪魔の恩恵を我に≫!!」
用意していた二つ目の陣を即座に発動。身体が軽くなったような不思議な感覚に身を包まれるのを感じるのと同時、振り返り、駆けだした。
右手には一本の糸が残っていた。
野営地にはカルール王国の騎士たちがいる。当たり前だ。
テントから脱出した私を見つけた数人の騎士たちは焦ったように静止の命を出してきた。全員が男。そして全員が重いプレートメイルを着ている。肉体強化の魔法を使っている私なら、子供とはいえ逃げ切れる。そう判断し、全力で駆けた。
「おい! 待て!!」
もし女が来れば逃げ切れないかもしれない。陣を書いた羊皮紙はどこかに行ってしまった。収奪されたに違いない。それに銃もない。これも奪われたか。
「待て!! くそっ」
離れていく距離に苛立った声が騎士の口から漏れた。私は森に飛び入り、走り続ける。服が破け、肌が露出する。そんなことで足は止められない。
「はぁ……はぁ……」
鬱陶しいほど茂った木々を割くように、数分走った。喉が渇き、汗が吹き出る。木に寄りかかって座ると、幾分楽な気がした。天然の目くらましが頼もしい。
だが、ゆっくりしていると追いつかれるし、野獣も出るかもしれない。
「ふぅ」
呼吸を落ち着ける。指先に魔力を。
氷成の陣はすぐに書けない。内部に陣を書いたり、ギミックを作ったりと複雑な構造のため、書くのに非常に時間がかかる。
左の手のひらに別の陣を書く。特殊な道具を用いれば、入れ墨のように消えない陣を書くことも出来るが、そんなものは当然ない。
「一発限り」
何個も書いている時間もない。属性的に私と相性のいい氷の攻撃魔法の陣を書いた。
「よし」
「――書けましたか?」
背後。立ち上がり、村に向かってまた足を進めようとした私の耳に聞こえたのは清らかな女性の声だった。音も気配もなかったため、全く気付けなかった。
心臓が早鐘を打つ。
ゆっくりと振り返る。陣に魔力を流す準備も忘れない。
目に映ったのは、長い金髪と尖った耳が特徴的な美しい女性。スレンダーな身体を若葉色の変わったドレスの内に入れている。魔法使いの杖といった感じの厳かな木の杖を地面に突き、こちらを見て微笑んでいる。
何となく森が、いや「自然」が似合う。自然とそう感じた。
「……エルフ」
内心の動揺を悟らせない顔でも、声は止められなかった。私の呟きを聞くと、女性は柔らかく微笑んで、
「はい、そうです」
と答えた。
「何故ここに?」
エルフの国はここから正反対、リーリムの東側。「大樹海」と呼ばれる森の中心部に位置している。隣接している国を持つもう一つの種族、妖精以外とはあまり積極的に関わることはないエルフ。
人とは仲が悪いわけではないが、特別いいわけでもない。
「あなたを迎えに」
迎えに? エルフの女性の言っていることが理解できない。
「……どういう意味だ?」
「あなたは人神に選ばれし神子。本来なら男と女の二人がいるはずなのですが、一体何が起こったのか、今回はあなた一人だけのようですね」
「神子? 今回は?」
「まだよくわからないかもしれませんね。また今度ゆっくり説明しましょう。今はそれより――」
エルフの女性は言いかけた言葉を途中で止め、すいっ、と杖を私の背後に向けた。振り返ると、村の方角に上がる煙が見えた。
まだ明るい。空は青くて、白い雲が流れている。そんな綺麗な風景が見えるのに――
「何だ? これ」
悲鳴と怒号と。長閑だった村の姿はどこにもなく、村人たちの異常な声と姿。紅い体で地に伏せる騎士や見る影もなく倒壊した家々。私の故郷は変わり果てている。
「不味いですね」
私の隣に立っていたエルフがポツリと呟いた。こんな現実味のない光景を彼女は少なからず予想していたようだった。今すぐにでも胸倉を掴んで、その情報を聞き出したいところだったが、それ以上に重要なことがある。
「ミリア」
宿屋に向かって駆けだした。糸はまだ繋がっている。
「え!? ちょ、ちょっと待ってください!!」
出会った時はクールで落ち着いた印象だったエルフが焦りながらついて来た。「どこに行くのか」と尋ねてくる彼女に「妹のところ」と端的に答えた。
すると、彼女は黙った。
宿までの道を走る。だが、私はミリアのことで手一杯で、何故村がこんなことになっているのかを全く考えていなかったのだ。
「――止まってください!!」
私の後ろを走るエルフが声を張り上げた。意識的か無意識的か、その声に私の体は一瞬停止した。魔法で身体能力が向上しているために、かなりのスピードが出ていた。ブレーキをかけると、勢いで身体が前へと滑っていく。
ザザザッと足元から砂を掻くような音がしたかと思うと、私は横から何かに弾き飛ばされた。
「――ガッ!?」
車に撥ねられるというのはきっとこんな衝撃なのだろう。私の幼い、小さな体は宙に浮き、何メートルもの距離を飛行し、崩れた家に突っ込んだ。死ななかったのは肉体強化の魔法のおかげ。いや、もしかするとエルフが私を止めてくれなかったら、もっとひどいことになっていたのかもしれないな、などと頭はどこか冷静にこの状況を認識していた。
「……治癒を」
プルプルと震える腕を動かす。うまく書けない。ぼんやりと見える目を使ってみれば、大きな黒い塊と緑の人影が対峙していた。
緑の人影は光を振るう。あれが話に聞くエルフの加護か、と他人事のように納得していた。頭から流れてくる血のせいか、瞼が重い。
黒い塊に光が突き刺さる。まるで影絵のようなその光景を認識して、私はまた意識を手放した。
目を覚ますと青空が私を見下ろしていた。パチパチと何かが燃えているのだろう。耳には聞きたくない音がたくさん入ってくる。
「レイラ!! 目が覚めたのね!!」
聞きなれない声だ。それがいつも物静かな母の声であると気づけなかった。心配そうな顔が目に入って初めてわかった。
母の目は赤く腫れている。泣いていたのだろうか。
「……レイラ……よかった」
私の手を握って泣き崩れる母。こんな弱い姿は見たことがなかった。いつもの毅然とした様子が嘘のようだ。
「……ミリアと父さん……は?」
私の問いに母はおもむろに答えた。その震える瞳はきっと言うべきか迷っているのだろう。
「ミリアはフィオナさんが迎えに行ってくれたわ。……お父さんは……」
母は目を伏せ、涙を流した。それだけで父がどうなったのかを理解できる。
身体は重い。怪我は治っている。母の周りには羊皮紙が何枚も散らばっていた。見覚えのある治癒関係の陣もあれば、見覚えのない攻撃魔法の陣もある。どれもが父の筆跡だ。
頬に流れた液体は血だろうか。
瓦礫の中にあるものを見つけた。そういえばここは見覚えがあるのかもしれない。私が横たわっている白いシーツも、母の背後で瓦礫の一部と化しているベッドも、真っ二つに割れた木の机も。
ここは私の家だった場所だ。
「母さん……」
何故かはわからないが、私は母を呼んでいた。母は出来る限り気丈な姿を見せようとしたのだろう、笑って「大丈夫よ」と答えた。
普段あまり笑わない母の笑顔は、どこか儚げだった。父のことを悲しんで、妹の身を案じて、私の身体を心配して。きっと母は泣き叫びたいのだろう。
それから母は黙って一枚の羊皮紙を手に取った。それは治癒の陣。母が最初に教えてくれた治癒魔法だ。
「≪光よ、彼の者に癒しを与えたまえ≫」
掲げられた母の手から薄い緑色の光が降り注いだ。それまでに何度も治癒をかけてくれていたのだろう。身体に痛みはほとんどないが、その光をいつまでも浴びていたかった。
「お待たせしました」
声が聞こえた。玄関のなくなった我が家を訪ねてきたのは一人のエルフ。その細腕には一人の少女が眠っている。
「ミリア!!」
母がその名を呼んで、エルフの女性の元へ。エルフの女性からミリアを受け取り、母は瓦礫の上に腰を下ろした。どうやら安堵で腰が抜けてしまったようだ。何度もミリアの名を呼びながら感涙に咽ぶ姿は、私の心をひどく傷ませた。
「……ありがとう」
我を失っている母の分まで私は感謝の念を込め、エルフの女性に礼を言った。「いえ、いいのです。貴方も無事でよかった」とエルフは微笑みを返す。だが、ミリアが無事だったことで心が弛んだことは確かなのに、気がかりなこともある。
宿屋にいたはずのミリアは無事だったが、あの夫妻は……
「……お二人はミリアさんを庇って亡くなったようです」
私の様子に何か感じることがあったのか、エルフの女性はそう告げた。
「そう……か」
そして、私はまた礼を言った。
少し落ち着いた様子の母は、ミリアに治癒魔法をかけていた。どうもミリアは気絶しているだけのようで、母もそれ以上は取り乱すこともない。
「……いったい何があったんです?」
隣に立つ、事情を知ってそうな人物に尋ねてみた。するとエルフの女性――フィオナは真剣な面持ちで、この惨状について話をしてくれた。
「魔獣が出ました」
「魔獣?」
聞きなれない言葉だ。いや、日本で生きていた頃は何度も聞いた言葉なのだが、この世界に来てからは初めてになる。
というのも、魔法があるこの世界に魔物はいないのだ。自然を闊歩する動物たちは全て野獣と呼ばれ、どれだけ強くても魔獣とは言わない。フィオナが言う魔獣という存在が何を意味しているのかが私にはわからなかった。
「魔獣とは太古から存在する黒い獣たちのこと。彼らは突然現れ、突然消える。正体不明の災害のようなものです」
魔獣とは魔力がある野獣というわけではないらしい。そもそも野獣の中にも魔力を持ったものはいるのでその定義は当てはまらないことは明白だが。
「……あの黒い獣か」
先ほど私を吹き飛ばした黒い獣、あれがきっと魔獣なのだろう。
「目についた魔獣は殲滅しましたが、ここは広い村です。おそらくまだいるでしょう」
フィオナは外に目を向けた。瓦解した家からは外がよく見える。炎に焼かれている家々が目に入った。村人たちがどうなったかはこの光景を見れば考える必要もない。魔法使いである両親がこの様子では、他の者が生き残っているとはどうにも思えないのだ。
「この家は私の張った結界に守られていますが、脱出しなければいけませんね」
いつまでもここにいるわけにはいかない。眠るミリアの手を握ったままその寝顔を見つめている母は、私たちの会話が聞こえる距離にいるのに何も言わない。私はその疲弊した様子を見て、フィオナに提案をした。
「……ミリアが目覚めるまで待ってくれませんか?」
そう言うとフィオナは母とミリアの方を見た後、コクリと小さく頷いた。
そしてそのまま躊躇いがちに口を開いた。
「あの、敬語はやめていただけませんか?」
「……何故?」
私にとっては命の恩人であり、家族の恩人でもある。それに、エルフということは見た目通りの年齢ではないのだろう。十七、八歳くらいの外見だが、もしかすると百歳を超えているのだってあり得る。具体的な年齢がわからなくとも間違いなく年上だ。
「貴方に敬語を使われるのは……えっと、困ります」
どう言うか迷った末に、という感じでフィオナは答えた。
「……まぁ、それでいいならいいが」
こちらとしても敬語を使わないほうが話しやすい。よくはわからないが、本人がそう言うならそれでもいいか。
「う……ん」
日も傾きかけ、空が赤く染まりはじめる頃。ミリアが眉を顰め、うめき声を上げた。おもむろに瞼を上げ、寝ぼけ眼で辺りを見回す。
「ミリア!!」
「おかあ……さん」
真っ先に目に入った母を呼ぶと、母はまた涙を流し、ミリアを抱きしめた。ミリアは何が起こったかわかっていないようで、どこか困った顔で母の抱擁を受け入れていた。
ミリアがどのタイミングで意識を失ったかはわからないが、様子を見るに惨劇を見てはいなかったようだ。そちらの方がよかっただろうと安堵した。
「もう日が暮れます。村を出て、町に向かいましょう」
フィオナが言う。
村から一番近い町までは、村の東にある小高い丘を越えて二時間ほどかかる。フィオナはともかく、私たち家族は森に慣れていない。三時間は見積もっておくべきだろう。
「夜の森は危険ではないか?」
今から出発すれば日が出ている間には着かないだろう。ただでさえ森に入るなと教えられていたのだ。夜の森は前世の記憶からいっても危険なイメージしかない。森の民エルフがいたとしても大丈夫なのかと疑問を抱く。
「野獣と魔物では危険度が全く違いますし、体力が残っているうちにここを離れるべきだと思います」
「ふむ」
それもそうかと納得する。結局のところ、ここに残るのが正解か町に向かうのが正解かは私にはわからないだろう。それならば、より知識のあるフィオナの言に従うのがいいのかもしれない。
「ご安心を。森は私たちエルフの領域。野獣にも魔物にも後れをとることなどありません」
そう言ってフィオナは微笑んだ。考え込む私を安心させようとしているのか。
右も左もわからない今、彼女の優しさに甘えるしか出来ない自分がもどかしいのだが、それ以前に気になることもあった。
「……私を迎えに来たと言ったな。あれはどういう意味だ?」
エルフが故郷である大森林から離れ、人族の国の辺境の村に来る。本来ならばまずあり得ないし、ましてや今は戦争一歩手前。同じ人族だって寄り付かない場所に来た訳が「私を迎えに」。気にならない方がおかしい。
「えっと……話すと長くなるので、町に着いてからというわけにはいきませんか?」
「……構わない」
本当はすぐにでも聞きたいが、母とミリアをゆっくりと休ませてやりたい。
「ありがとうございます。では、そろそろ出発しましょう」
そうして私たち四人は滅びた村を出た。
丘からは村が見渡せた。今だ燃え盛る建物もあれば、すでに火が消え、炭と灰になってしまった家もある。数体の黒い獣――魔獣の姿もあった。母はミリアを連れて、村が見えないようにずっと背中を向けていた。身体を盾にしてミリアにも見せないようにしている。ミリアはずっと黙ったままで、それが眠気や疲れのせいではないことは見て取れる。ミリアはきっと何が起きたかの答えを自分なりに出しているのだ。フィオナは村の方角に身体を向けて、目を閉じたまま静かに佇んでいた。
私は村の端から端までを目に焼き付けて、そこから離れようと身体を動かした。
その時、村に一人の人影を見た。
「あれは……」
銀色の鎧に一振りの剣。標準的な身体つきの普通な顔。金髪の男。
「あの時の……」
私が囚われた時にテントの中にいた騎士だ。だが、他に騎士の姿はなく、そいつだけが何かを探すように村を歩いていた。騎士は
いたって自然な姿でその惨劇を見ている。
――そこにはまだ魔獣がいるのに正気か?
フィオナの話では魔獣は野獣より遥かに強力らしい。
そんなものがいる中で奴は一人で何をしている?
何かに引かれるように騎士を見ていると、一体の野獣――黒い大きな狼のような獣が騎士の前に現れた。そして騎士の姿を認識した途端、そうするのを強制されているように素早く騎士に襲い掛かった。
だが、騎士は動ずることもなく、遠目から見ても流麗な動きで魔獣を一刀のもとに切り伏せてみせた。
「な……」
私にはまるで魔獣がただの犬のように見えた。騎士と魔獣の間には、絶望的な差があったのだ。戦闘の知識などない私にも、あの騎士が只者ではないことは理解できる。
あの時。騎士に捕まらなかったのが不思議に思えた。
私はどうにも怖くなって、騎士から視線を外し、村に背を向けた。
「……行こう」
「いいのですか?」
「ああ」
フィオナに声をかけ、森へと足を踏み入れる。
その姿を騎士が見つめていたことに、私は気づいていた。