■究極の敵
『カーネイジドラゴン』の出現は完全なランダムと思われていたが、最近では先行の廃人プレイヤーの努力によって、その場所に関してはかなり限定できるようになった。MMOというのはどこでもそうなのだが、後発の者は先行者が手探りで調べた情報をなぞるだけで良いのである。情緒は無いが間違いも無い。特に、失敗が痛いタイプのMMOではありふれたプレイスタイルだ。
「本当にここでいいんスか?」
「ここも出現範囲に入るって意味な。ここに出るって確定してるわけじゃないけど、『カーネイジドラゴン』は、一定の『円周』上のどこかに出るらしい。お前『情報屋』とか名乗ってるくせに何でそんなことも知らないんだよ」
「廃人コンテンツの情報なんて売れないっスからね。廃人って他人が知ってる情報は既に意味が無いと考えてるんスよ」
本当は、俺の力を使えばいつでもどこでも、すぐに『カーネイジドラゴン』を登場させることは容易い。だがあまりにもゲームの仕様を逸脱したことをすれば、さすがに俺のスキルがばれてしまう危険性があった。なので、ギルドで手分けして出現しそうなポイントを見張り、そこに「たまたま」お目当ての『カーネイジドラゴン』が出現した、という筋書きを用意したのだ。
俺は、嘘情報でお馴染みのノエルと共に、このゲーム最大の広さを誇るフィールドである砂漠で、サボテンの陰に隠れ強い日差しをしのぎながらドラゴンの登場を待っていた。
「こんな所の担当になるとは……見張る場所をくじ引きなんかで決めたの誰だよ」
「平等な選び方じゃないっスか。くじ運悪いの恨んでくださいよ」
「あー、暑くて喉が渇いたわ」
「何言ってるんスか、≪アンダンテ≫に生理的欲求の状態異常は無いっスよ。それ現実のアーさんが喉渇いてるだけでしょ」
「水飲んできていい?」
「だめっスよ。その間に『カーネイジドラゴン』出てきたらどうするんスか」
本音を言えば、うちのような弱小のギルドがちょっとやる気を出したからといって数多の廃人ギルドを出し抜いて『カーネイジドラゴン』と戦う権利を勝ち取れるわけがないのだ。≪アンダンテ≫のモンスターは「最初に手を出したキャラとその仲間」が占有して戦う権利を得られる。そのため廃人ギルドは、他者に先を越されないようレア・モンスターが出現する可能性のある場所に24時間体制で見張りを置いている。廃人向け要素とはそういう世界なのだ。
だからこそ俺の能力で少々インチキをするわけで、つまり今の俺たちの状況を正確に説明するならば「ドラゴンの出現を待って見張っている」のではなく「見張り始めた途端にドラゴンが出現したら不自然だから、待ってたら現れたという状況になるよう時間を空けている」ということになる。だが勿論それをノエルに全て話すわけには行かず、結局俺は喉の渇きも我慢してドラゴン出現を待つフリを続けた。
「マスターから連絡。向こうも居ないみたいっス」
「そうか、じゃあつまり『既に出現してて廃人に取られてた』なんてことは無いわけだな」
「まあ、そういうことっスね」
レア・モンスターは同時に二体以上出現しない。もし『カーネイジドラゴン』が既に出現していたら、俺のスキルで『カーネイジドラゴン』を出したときに面倒なことになる。今存在していないことの確認は俺にとって何より重要だった。
サボテンの陰で時間をつぶして30分が経った。恐らくそろそろギルドメンバーも飽きてきた頃だろう。廃人が聞けば「たった30分で」と怒られそうなもんだが、その辺が一般人と廃人の差だった。俺はそろそろだと思い、隣で寝転がっているノエルにばれないよう、俺の反則スキルをこっそり発動させた。
やるべきことは二つだ。本来のゲームシステム上に存在する『カーネイジドラゴン』の出現フラグを抑制すること。そして、出現した時点で俺に占有権のある『カーネイジドラゴン』を作り出すこと。手早く済ませて、俺は空を見上げた。ここからは演技の時間だ。
「おい、あれ……何だ?」
俺は、横で寝ているノエルに白々しく話しかける。砂漠の雲ひとつ無い空に、黒い点が現れたのだ。
「飛行タイプの敵っスかね?」
ノエルは身を起こし、俺の指し示した上空の黒い点を見て、さして興味も無さそうに言う。
「なあ、なんかこっち来てないか?」
「アーさん狙われたんじゃないっスか? さっさと片付けますか……あれ」
黒い点はこちらに近づいてくる。何も無い砂漠の空ゆえに遠近感がつかめず、のんきに構えていたノエルだったが、さすがにその違和感に気付いたようだ。
「あ、アーさん……あれでかいっスよ。あれって、もしかして……」
「マスターに連絡。俺が時間稼ぐから、お前は連絡終えたら援護頼む」
「う、うっス」
そう話す頃には、空を舞い猛り狂う巨大な竜の姿が、はっきりと見て取れた。
「マスターと、あと別な場所見張ってた部隊もすぐこっち向かうって言ってるっス」
「わかった。じゃあお前は隠れて弓で援護な」
「アーさんは……」
「俺は時間稼ぐって言っただろ」
それだけ言って、俺はサボテンの陰から飛び出した。
そいつは噂どおりの巨体だった。なるほど、体育館というのも言い過ぎではない。漆黒の鱗はどんな刃も通しそうにない頑強さが見るだけで伝わってくる。爛々と赤く光る目が俺の姿を捉えると、竜は引っ張られたかのように翼を広げ、大きさを誇示するようなポーズのままで、どういう仕組みなのか羽ばたきもせず空中に静止した。
こいつが、カーネイジドラゴン。廃人が追い求めるレア・モンスター。今日はギルドマスターにレア・モンスター撃破の称号をプレゼントするべく、スキルを使うことを既に心に決めていた。つまり実質、俺たちの勝利は確定してるのだが、それでも巨大竜を目の前にして、俺の脚は軽く震えていた。
しゃあああああ!
竜は甲高い声で鳴いたと思うと、突然口から炎を噴出した。俺は飛び込んで前転するような形で、間一髪その火炎放射を逃れる。どうやら、俺をターゲットにしてくれてるようだった。
まずは空から引き摺り下ろす方法を考えなければ。あるいは、地上からでも届きそうな垂れ下がった尻尾を狙うか。スキルで飛行能力を失わせるというのも考えたが、さすがに度が過ぎるスキル使用は危険だった。運営サイドも厳重に管理してるであろうレア・モンスターに安易な改竄を仕掛けてあまりにも簡単に勝ってしまったら、間違いなく怪しまれる。結局ここも演技の時間だった。ある程度は本当に苦戦して、「これだけ頑張ったんだからそろそろ敵がやられてもおかしくない」という頃合を見計らってスキルを使わなければならない。
俺は剣を抜くと、垂れ下がりゆらゆらと揺れている尻尾を力いっぱい横殴りにする。ゴォンという重い音が響き、俺の手は痺れた。まるで鉄の棒を殴ったような感覚だ。それが合図であるかのように、竜は羽ばたき始めた。
「まずい、高度上げられたら届かないぞ……」
一瞬迷って、俺は竜の尻尾の先端を手で掴む。ぐっと引っ張って竜の飛翔を食い止められたら良かったが、勿論お互いの力の差から、結果は違うものになった。
「うわっ、やばい……!」
俺の体がふわりと浮き上がる。この時点で手を離せば良かったのかもしれないが、こちらの手の届かない上空から一方的に炎で焼かれるよりはこのまま空中戦に持ち込むほうが建設的だと判断し、俺は竜と一緒に空を飛んだ。
「アーさん、無茶っス! そこまでしなくても援軍がくるっスよ!」
ノエルの声が聞こえる。だが正直な話、俺はうちのギルドの「援軍」の実力を『ケルベロス』との戦いで嫌というほど思い知らされた。最終的にはスキルを使うとはいえ、廃人ギルドでも容易く勝たせてはもらえない『カーネイジドラゴン』が「斃れてもおかしくない」と思える程度の奮戦は見せなければならない。それが出来るのは俺だけだった。
俺は片手で竜の尻尾を掴み、竜の滑空に付き合いながら、もう片方の手に握った剣で尻尾を殴り続けた。鉄を打つような音が鳴り響く。本当にこれは全く効いてないんじゃないかと思ったが、それでも殴り続けていると黒光りする鱗が一枚、また一枚と剥がれ落ちた。目に見える成果に一瞬喜んだ俺だったが、その後のことは予想できなかった。
まとわり付く「虫けら」を落とそうと、竜は空中で体を捻り暴れ始めたのだ。不意の衝撃に俺は手に持っていた剣を落とす。
「しまった! わわっ……!」
落とした剣の心配すらさせてもらえず、竜はさらに激しい動きで俺を振り落とそうとする。尻尾を殴るのに夢中で意識してなかったが、竜はいつの間にか結構な高さまで飛び上がっていたらしい。この高さから落ちれば、確実にやられる。俺は空いた手でも尻尾を掴み、両手で必死にこの激流に耐えた。しばらくは空中で体を捻っていた竜だったが、それだけでは振り落とせないと思ったのか、尻尾を直角に曲げ下に向けると、なんとそのまま急降下を始めた。尻尾を地面に擦り付け、俺を払う気だ。これは……地面が近づいたところで手を離すしかない。竜は高速で地面に向かって降りる。俺の耳にはごうごうと風を切る音だけが聞こえていた。このスピードでは、うまいタイミングで手を離しても無事ではすまないと思った俺は、ついにこの戦いで初めてスキルを使うことにした。
(とにかく自身の防御力増強……いや、ダメージ無効化にしよう。間に合えっ!)
まるで竜の尻尾から高速の弾丸が射出されたように、俺は地面にぶっ飛んだ。激しい砂埃が高く舞い上がる。
「アーさん! 大丈夫っスかアーさん!」
「……あー、何とか生きてるよ」
勿論、実際は「何とか」どころか痛くも痒くもないのだが、俺は九死に一生を得たというような弱々しい声でノエルに答えた。
「アッシュ! ノエル! 大丈夫か!」
「うわっ、でけぇ……本当にあんなのと戦うのかよ」
その頃には、別な場所を見張っていた面子も集まっていた。
「みんな、奴の翼を集中的に狙うんだ!」
「わ、わかった!」
スキルで飛行能力を奪うにしても、不自然でない程度のダメージは与える必要がある。遠距離攻撃が出来ず、剣すら失った今の俺に出来るのは、あちこちを動き回って竜の注意が仲間に行かないようにすることだけだった。俺はメニューを開き、所持アイテムを表示して、課金アイテムによる増強を行う。攻撃、防御、素早さ。廃人を屠る竜相手ではこれでも心許無いが、『ケルベロス』のときと違い、今回は時間を稼ぐだけなのだ。大丈夫だという確信があった。一通り増強を終えると、俺は深く息を吸い込み、大声で竜に向かって叫んだ。
「こっちだ、こっちに来いー!」
人外の獣、いやそれ以前にゲームのデータが人の言葉を理解できるはずも無いだろうが、それでも物音に反応するのか、空飛ぶ竜は俺の居る方を向いた。
ぐわぁぁぁぁぁ……!
尻尾を傷つけた俺の姿を見て、竜は空中に静止しいなないた。それが俺と巨大竜との「鬼ごっこ」の開始の合図だった。
竜は俺を噛み千切ろう大口を開け接近したり、尻尾で潰そうと四苦八苦していたが、増強状態の俺の素早さには対応できないようだった。だが俺も、砂漠の予想外の足場の悪さに、油断できない間一髪の回避が続いていた。仲間の矢や魔法の炎が竜の翼を掠めるが、決定打には至らない。まだだ。この程度のダメージでは翼を失ったという説得力は無い。スキルを使いたくなる気持ちを抑え、俺は竜の攻撃をかわし続けていた。
このまま時間を稼げればいい。増強の効果時間ぎりぎりまで粘って、翼へのダメージを十分与えたと示したら即、飛行能力を消してしまおう。だが俺のそんな目論見は、竜の突然の行動によってかき消された。竜は突如高度を上げ、魔法や矢の届かない上空で静止し、口を大きく開けたのだ。火でも噴くか? 最初はそう思ったが、竜の口に光の集中線が現れたので俺は身構えた。
仰々しい動作から放たれるそれは『カーネイジドラゴン』の必殺技だった。光の弾を地面に撃ち、周辺のプレイヤー全てに大ダメージを与える。俺はスキルで回避できても、他の連中が耐えられるとは思えなかった。
「みんな、逃げろ! 攻撃の範囲外まで逃げろ!」
そう叫んではみたが、間違いなく間に合わない。予定を早めて、翼を消すか? だが地面に落ちても光の弾を打ち出されては結局ダメージを受ける。必殺技自体を消すか? それはあまりにも不自然で、スキルの存在がばれる危険性があった。ならば……
周囲を見回すと、砂漠のオブジェクトとしては定番のサボテンが高々と聳え立っていた。そうか、これだ。俺はサボテンを抱えて、引っこ抜いた。
「食らえ、このぉぉぉ!」
俺は抜いたサボテンを、竜の下顎目掛けて投げ飛ばした。スキルで自己の能力を強化するおまけ付きである。ロケットのように射出されたサボテンは、正確に竜の下顎に命中し、竜は光の弾ごと、口を閉じる羽目になった。
どぉん、というくぐもった爆発音が聞こえた。見上げると、竜は口からもくもくと黒煙を出していた。どうやら必殺技は阻止できたらしい。そして、相応のダメージをも与えたようだった。ゆっくりとこちらに首を向けた竜の目には、怒りがこもってるようにも見えた。
「悔しいか、だったら余計なことしてないで俺を狙え!」
竜にそう叫んで、俺は再び逃げ回る。竜は既に他の細々した攻撃には目もくれず、俺一人をターゲットに固定したようだった。それでいい。後は、増強の効果時間ぎりぎりまで逃げ回り、仲間の攻撃がある程度当たったところでスキルを使い、飛行能力を奪えばいいのだ。敵の巨体は、この砂地ではまともに動けないだろう。地面に落ちてしまえば、敵の攻撃を回避しながら実力だけで勝つことすら可能だと思っていた。勿論、無理そうならスキルを使えばいい。今日は最初からスキルを使うと決めた時点で、負ける可能性など無かったのだ。問題は「不自然でなく勝ってるように見える」かどうかだけだった。その心配も払拭し、俺は既に勝った後のことを考え始めていた。
(ドロップアイテムの配分はどうなるだろう。『コ・イ・ヌール』のことも忘れずに言わないとな。俺の力で勝てたようなものだ、宝石一つくらい融通してくれるだろう。持って帰った時、野口はどんな顔をするだろうか……)
―ぶつっ。
突然、目の前が真っ暗になった。敵の攻撃で状態異常になったのか? でもこんな、何も見えず何も聞こえないなんて状態なんて≪アンダンテ≫に存在したか?
「―勝! それを取りなさい、勝!」
男の声が聞こえる。それは何年も聞いてきた、そして1秒たりとも聞きたくもない声だった。俺はその声を無視して、状況の回復に努める。
「みんな! 何か状態異常になったらしい。回復してくれ! なあ、聞こえてるか! 誰か! 聞こえないのか!」
「いい加減にしろ!」
黒い闇しか映さなくなった『グラフィカルヘッドギア』を乱暴に剥ぎ取られる。目に飛び込んできたのは、いつもの俺の部屋。ドアは開け放たれ、廊下で母が心配そうに見つめている。そして俺の目の前には、ヘッドギアを鷲掴みにしている父が居た。
「お前、母さんにどこかの口座へ毎月5万円も振り込めって言ってたらしいな。何に使ってるんだ、そんなに」
くだらない話を始める父。今がどういう状況かわかっているのか。一刻も早く≪アンダンテ≫に戻らないと、ギルドの皆が、俺抜きで『カーネイジドラゴン』に勝てるわけがない。
「返して、それ、返せ……」
「聞いてるのか! 何に使ったかと聞いてるんだ!」
ヘッドギアに伸ばした手は、無情にもはたかれる。
「勉強に使うのかと思って買ってやったが、学校も休んで、月に5万円も使って、くだらない遊びばっかりしてるようなら、これ以上このパソコンをお前の部屋に置いてはおけないな」
何を言ってるんだ、こいつは。こいつは俺から世界を奪おうとしている。俺は逆上し、眼前の『敵』から世界を取り返そうと飛び掛った。
「かえせええええええええ」
「何がこの子をこんなにしてしまったんだ……」
全力で体当たりをしたが、学生時代に柔道をやっていたことが自慢の父は、俺の全体重をぶつけてもびくともしなかった。
「やはりこれなのか? こんなものを買ったばっかりに……」
そう言うと、父は手にしていたヘッドギアを、壁に向かって投げつけた。ごんという重い音が部屋に響いた。
「あああああ……」
あわててヘッドギアを拾おうとしたが、父に手を引っ張られて、俺は部屋の隅に投げ捨てられる。
「もうパソコン遊びなんてさせないぞ。学校に行って、勉強して、お前がきちんと自身の本分を全うすると誓うまでな。インターネットの契約も今月限りで解除する」
「あああああぁぁぁぁぁ……!」
あふれる涙をこらえ、もう一度父に殴りかかる。しかし勿論、拳の一つすらも父には届かない。もう一度手を掴まれ、投げ捨てられた。
「母さんも、もうこいつの言うことを聞くんじゃないぞ。こいつは甘やかしちゃ駄目なんだ。パソコンをやっていたら、ブレーカーを落としてもいい。もうこいつをパソコンに触れさせるな。いいな」
俺の方を見向きもせずに、父は母にそう言って去った。ネットの、解約? 俺の居場所である≪アンダンテ≫へ続く道が、塞がれる……? 俺はただ呆然と、壁に投げつけられた『グラフィカルヘッドギア』を見つめていた。