□大野勝と『アッシュ』
「だからさ、野口が見たいって言うなら、俺からも頼んでみるよ。うちのマスター良い人だから、断らないぞ。多分」
「うーん……」
≪アンダンテ≫の『アッシュ』は大野君とは別人なんじゃないかと思うことがある。あの日、酒場で『アッシュ』と出会って以来、私たちは≪アンダンテ≫の中でたまに会って話すようになったのだが、現実の学校で見る大野君と、印象があまりにも違うのだ。
今も、赤い短髪を弄りながら『アッシュ』は私をレア・モンスター見学に誘っている。それは現実世界でなら「デートの誘い」か「ナンパ」に値するのではないかと私は思うのだが。
「戦うのは俺たちだから、危険なことも無いと思うけど、どうだ?」
「うーん、でも……やっぱり、楽しみに取っておくよ。今それを他人の力で見ちゃうと、いざ自分が戦うときに新鮮味が薄れるし」
「そうか、そうだな……」
そう言われて納得はしてないようで、でもそれ以上強くも誘えないのか、大野君は別な提案をする。
「じゃあ、何か土産は欲しいか?」
「みやげ?」
「ああ、『カーネイジドラゴン』のドロップアイテムで、何か欲しいの無いか? 貰えそうなら貰ってきてやるけど」
「うーん、そうだなぁ……」
ゲームの進行は大野君に言わせれば「のんびり」の私だが、それでも『カーネイジドラゴン』の名は幾度か耳にした。そして私には、『カーネイジドラゴン』のドロップアイテムの中に、どうしても欲しい物があったのだ。
「じゃあ、もし誰も入手希望者が居なくて余ったらでいいんだけど……『コ・イ・ヌール』が出たら、くれるかな」
現実に存在する100カラットのダイヤモンドの名を冠したそのアイテムは、≪アンダンテ≫の中でも同様に巨大な宝石として存在が確認されている。ドラゴンは宝物を集める―そんな御伽噺の習性が、≪アンダンテ≫の『カーネイジドラゴン』にも設定されているのだ。私は、たとえゲームのデータであっても、この本物と区別の付かないリアルな世界の宝石を、一度でいいから見てみたかったのだ。
「ああ、アレ見た目は高そうだけど使えないからな。多分手に入ると思う」
「持ってるの?」
「あ、あー……いや、ネットの評判だよ。でも需要が無いのは事実っぽいから、大丈夫だ。手に入ったらやるよ」
「ありがとう。でも無理はしないでね」
そう告げると、『アッシュ』はにやりと笑った。
「ねえ、大野君って≪アンダンテ≫はどの程度まで進めてるの? 私、あのゲームの最終目標とか、よくわからないんだけど何を目指せばいいんだろう」
「あ、う……」
現実の大野君は赤い髪の『アッシュ』とは別人なんじゃないかと思うことがある。何度か話しかけてわかったのは、大野君は人目を異常に気にするということだ。家を訪問したときのように、二人きりならまだ話してくれるのだが、人がいっぱい居る教室で、授業の合間の休憩時間に話しかけると、大野君は決まって口ごもる。
「あ、あれは何でも出来るゲームだから……廃人を目指すんでなければ、何やってもいいと思う……」
「そうか、じゃあ私のプレイスタイルも間違っちゃいないってわけね」
「た、多分な」
「大野君はどういうスタイルなの? 私のことのんびりって言うくらいだから、結構ハイペースで進めてるんじゃない?」
そう言って悪戯っぽく笑むと、大野君は視線を逸らす。ああ、これは間違いなく『アッシュ』とは別人だ。
「何、お前らって付き合ってたの?」
突然、背後から野太い声がした。振り返らないでもわかる。うちのクラスのヒエラルキーの頂点に立つ男子の一人、瀬川君だ。
「何言ってんの。瀬川君は男子と女子が話してたらなんでも付き合ってるって見えるの? うわー子供だわー」
「おまっ、バカ、俺がどれだけ大人か、お前わかってないだろ」
正直、うちのクラスの不良連中は「悪い」というより「悪ふざけが好き」な集団で、特に女子には危害を加えるでもないので、私も気軽に話したりできる。
だが、そう出来ない者も居た。
「なあオタ野、お前『オタ芸』って知ってるか? 俺昨日テレビでアレ見てすげー笑えたんだけど」
「う……」
「オタクのお前なら知ってるだろ? 何なのアレって」
「う、あ……」
「何だよお前、無視かよ」
大野君は、腕を組み、その中に頭を突っ込む伏せの体制になっていた。それは彼なりの、現実の世界での防御の姿勢だった。
「あー、ほら、怖い怖い瀬川君が犯罪者みたいに迫れば誰だって引くに決まってるじゃん。いいから今はあっち行ってよ。後でかまってあげるから」
「誰が犯罪者だよ誰が。それに俺をかまってほしい子供みたいに言うなっての」
調子を狂わされて、瀬川君は引き下がる。だがそれでも一度塞ぎこんだ大野君を引っ張り出すのは容易ではなかった。
「ほら、瀬川君行ったから。もう大丈夫だよ」
「……」
「困るよねー、瀬川君ってデリカシー無くて。でもああ見えて単純で素直な面もあるから、話せば楽しいんだけどね」
「……」
こうなると、私が何を言っても反応は無いだろう。いつものことだった。後は、この場を去ることしか私には許されない。
「じゃあ、また≪アンダンテ≫でね」
「……ぅ、ぅ」
それでも≪アンダンテ≫の名に反応したのか、精一杯の返事をして、大野君は腕組みの殻の中に戻った。
大野君の『現実』はどこに在るのだろう。今ここにある生身は、学校での日々は、大野君にとっての現実なのだろうか。生き生きとした『アッシュ』と眼前の大野君の差異に、私はそんなことを少しだけ考えた。