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■寵愛を受けた者

 足を地面に付ける度に、ザクザクと音が鳴る。脆く崩れやすい溶岩で出来た島は、今もあちこちで噴煙が上がり、日の光も届かない。「地獄」を連想させる光景だった。『ケルベロス』はこの島に居る。地獄の番犬を異名に持つモチーフなので、相応の住処を用意したということなのだろうか。


 俺たちのギルド『エスペランサ』は、クエストランク7に到達するために必要なアイテム『ケルベロスの首輪』を手に入れるために、メンバー9人全員でこの地獄の島に来ていた。


「僕が事前にネットで調べたところによると、『ケルベロス』は三つの首が独自に攻撃を仕掛けてくるらしい。犬型の獣で、俊敏な動きに特に注意が必要だそうだ」


 それを聞いて、俺は拍子抜けした。それじゃそこらの雑魚の剣歯虎あたりと変わらないではないか。この日のために課金アイテムを出来る限り買い漁って万全の体制を整えたというのに。


「アッシュ、油断するなよー。相手は初心者キラー、幾人ものランク6を葬った相手なんだからなー」


 気が抜けたのが表情にも表れていたのだろうか、ギルドマスターにそう指摘され、あわてて襟元を正す。そうだ、油断して仲間の一人でも死なせてしまっては後で何を言われるかわからない。うちのギルドは「ぬるい」プレイヤー……つまり、デスペナルティの可能性がある危ない橋は端から渡らないというスタンスの連中が大半だ。それだけ恐れている消失の憂き目を俺の不注意で与えたとなったら、おそらく俺はギルドの全員に散々に糾弾される。あの日、自信たっぷりに「技術面の問題は俺が何とかする」と言ったのは俺なのだ。『ケルベロス』以上に、責任感という厄介な敵を俺は恐れ始めていた。


 旅路は困難を極めた。険しい山があり、深い谷があり、細い道は一歩足を踏み外せば、下を流れるのは溶岩流の河。どれだけの体力や装備があっても助からないだろう。それでも恐る恐る、俺たちはこの地獄の火山島の煙突のような山頂に向かい突き進み、そしてどうにか、火口付近の広く平坦なポイントにたどり着いた。


「着いたかな…? 僕が調べた限りでは、山頂の開けたフィールドで『ケルベロス』が出現するって聞いたんだけど」

「マスター、山頂ってあの上に見える噴煙上げてる火口じゃないの? ここ、まだ9合目ってとこじゃない」

「ああ、火口はまだ未開放のフィールドなんだって。今後のアップデートで行けるようになるんじゃないかな」


 マスターは足りないプレイ経験をネット検索の知識で補おうとする。ありがたいが情緒は無い。


「じゃあ、ここが俗に言う『山頂』てこと?」

「多分ね」


 あっさりと言うマスター。しかし、それはつまり……


「だったらもう『ケルベロス』が……」

「上だ! みんな散れ!」


 ふっと周囲が暗くなる。巨大な何かの影だ。誰かが叫んだときには、すでに俺は影の範囲外に逃れるべく全速力で駆けていた。背後でズゥン、という重い音がして、大地が揺れた。


 十分に距離をとって振り返る。俺が立っていた場所には、剣歯虎なんかとは明らかに違う、巨大な禍々しい黒毛の獣が居た。二階建ての家に相当するだろうか、その巨躯の下敷きになっていたら一発でHP0、死亡扱いだったに違いない。しかし、この巨大な敵がまさか空から降ってくるとは。


「くっそ、この演出があるから火口じゃなくて9合目で戦うってわけか……」


 妙なところで感心しながら、俺は愛用の剣を抜く。剣のリーチなんて、あの長い足の先に付いた鉤爪と同程度でしかないが、あいにく俺には遠距離攻撃が出来る手段を持っていなかった。


「アッシュ、こっち何人かダメージ受けた。敵を引き付けておいてくれ。頼む!」


 無茶なマスターの要求に口で応える代わりに、俺は『ケルベロス』に向かっていった。正面から戦えばあの三つの首を同時に相手にしなければならず、それは非常に厄介だった。こういう巨大な敵を相手にするときのセオリーは……懐に飛び込む!


「だあああああっ!」


 叫んで一閃、『ケルベロス』の前脚を斬る。あわよくばこれで相手の動きでも封じられれば……と思ったが、俺の全力の一撃はあまりにも軽く弾かれた。こいつ、皮膚が硬い。それでも一応は痛かったのか、『ケルベロス』は吠え、脚を振り回し、俺を鉤爪で切り裂こうとする。


「マスター、直接攻撃だけじゃ無理だ! 早く立て直して、遠距離攻撃で援護を!」


 うちのギルドは積極性に欠ける人が多い。直接攻撃主体ではなく、魔法や弓矢など、遠距離攻撃を使うキャラがメンバーの大半を占めている。故に、体制を立て直して弱体魔法(敵の力や防御の固さを弱める)を使ってくれれば俺の剣も敵に届くだろう。だが俺に耳に届いたのは、想像もしていなかったマスターの「呼びかけ」だった。


「駄目だ、みんな怯えちゃって……ほらみんな! やろう! やらなきゃ!」


 ……事態は深刻なようだ。俺一人でこいつを倒さなければならないのか? 絶望的な気分になりながら、右の脚を、左の脚を、剣で叩いていく。勿論傷は付かないが、『ケルベロス』の怒りは強まっていくようだ。足元の煩わしい小動物を潰さんと、脚を動かし、飛び跳ねて距離をとろうとする。俺はそうはさせまいと遮二無二『ケルベロス』に食らいつき、足元に入り込んだ。


(援護が期待できないなら、アレしかないな)


 俺は敵の股下でメニュー画面を開き、課金アイテムによる増強を開始する。攻撃力、防御力、それに素早さ。足を止めた俺目掛けて、鋭い鉤爪が襲い掛かる。


「アッシュ、危ない! ……え?」


 マスターが叫んだときには、俺は『ケルベロス』の股下から飛び出していた。十を超える数の、剣による刻印を敵の脚に残して。苦痛で「伏せ」のように崩れる『ケルベロス』。だがそれも一瞬のこと、すぐに体勢を立て直した。


「強化しても大したダメージは与えられないな……」


 課金アイテムを用いて一人で勝てるなら、ランク7の壁が高いわけがない。これだけじゃ決定打にはならない……が、敵の俊敏さを殺ぐには十分だった。


「みんな、今なら奴のターゲットにならないから、撃て! 魔法でも何でも、どんどん打ち込め!」


 そう叫んで、皆が一斉に全力攻撃を叩き込めば美しい連携となっただろうが、実際は恐る恐る、まばらな炎や矢が飛ぶだけだった。それでもやる気になっただけマシか。お慰みの援護を受けて、俺はもう一度『ケルベロス』の懐に飛び込んだ。




 それからは、無我夢中だった。こちらの剣が相手に傷を負わせられるようになったのと引き換えに、敵も本気を出してきたらしい。今まで以上に激しく、速い攻撃を避け、ギルドメンバーにとばっちりが行かないよう敵の注意を引き付け、その上で、その太い脚に幾度も切り傷を付けていた。一見、互角の戦いだが、俺はどんどん不安になっていた。


 ―もうじき、課金アイテムの効力が切れる。


 課金アイテムによる増強は30分で効果が切れる。そして一旦効果が切れると、次の増強には2時間のインターバルが必要になる。そうなれば、暴れまわる本気の『ケルベロス』を止める術など無い。このままでは、負ける。


(使うしかないのか……アレを)


 実は、俺には課金アイテム以外に、もう一つだけ「切り札」と言ってもいい非常手段があった。だが、それを人前で……毎日のように行動を共にするギルドメンバーの前で、使いたくはなかったのだ。だが、状況は劣勢、もし負ければギルドメンバーからの叱責は必至。俺が今まで築き上げてきた「メンバーの尊敬」という財産に傷をつけてしまう。いや、最悪失ってさえしまうかもしれない。それだけは、避けなければならない。


 俺は観念して、『ケルベロス』の足元から飛び退き離れると、剣を腰の鞘に収めて右の掌を『ケルベロス』に向けた。


「アッシュ! 何やってる、足を止めちゃ駄目だ!」


 マスターの叫びにも応えず、俺はメニューから『スキル』を選ぶ。


「スキル発動……○☆■△○!」


 頭がおかしくなったのではない。何しろ表記がバグっているので読めないのだ。だがその効果は「絶対」だ。


 ウオォ、と力無く吠えたかと思うと『ケルベロス』が前のめりに倒れる。脚の耐久データが0に書き換えられたのだ。


「今だ! 俺が斬り続けてたのが効いてるぞ! もう敵はろくに動けないはずだ!」


 そう言って、誤魔化せただろうか。とにかく『スキル』のことは触れないようにして、仲間に戦闘を続けるよう促した。


 スキルとは、≪アンダンテ≫の隠し要素だ。いや、その要素は広く知れ渡っているので隠しとは言えないかもしれないが。キャラ作成時、100分の1とも1000分の1とも言われるわずかな確率で、特別な能力を持って≪アンダンテ≫の世界に降り立つことができる場合がある。能力は大抵ゲームを優位に進められるもので、課金アイテムに頼ることなく能力を増強したり、スキル自体が敵への攻撃手段となっているものもある。だが、俺のキャラは1000分の1でも巡り合わないような、とんでもない能力を持って生まれてしまったのだ。


 ―データ改竄能力。


 キャラ作成時にどんなハプニングがあったのかは知らないが、ゲームの根幹を揺るがすようなバグを、俺は手に入れてしまったらしかった。スキルの存在に気づいた俺は数日悩んだが、結局は最大限に利用することにした。勿論これは≪アンダンテ≫の利用規約違反である。本来ならバグは見つけ次第運営会社に報告しなければならない。バグを悪用したプレイヤーには、キャラクター強制削除、そして≪アンダンテ≫からの退会処分という重い罰が科せられる。だが、いざとなったらこのキャラを捨てるつもりで使ってみたこのバグ能力は、俺を退会に追い込むことは無かった。どうやら運営会社は、改竄されたデータは即座に発見できても、それ自体がバグ能力で引き起こされたものだとはわからないらしい。以来、俺はこの能力を人に知られない場面で度々使っていたのだった。


「そうだみんな! アッシュに頼りっぱなしじゃ情けないぞ! さあ、最後の追い込みをかけよう!」


 ……どうやら、スキルのことは軽く流してもらえたようだ。俺は何事も無かったように剣を再び握り、三度『ケルベロス』に突っ込んで行く。ようやくやる気になったらしいギルドメンバーのさっきとはまるで違う本気の援護を受けつつ、動けない『ケルベロス』の顔面を何度も斬る。課金アイテムの強化効果は切れたが、代わりに仲間の弱体魔法が(やっと)『ケルベロス』を弱体化させていたので、相応の効果は見て取れた。これはいける。勝てる。


「とどめだっ!」


 俺は『ケルベロス』の真ん中の頭の鼻の上に立ち、眉間に剣を突き刺した。三つの首が同時に苦痛に歪んだ表情を浮かべ、唸り声を上げる、そして、その巨躯がすうっと薄れ、溶けるように消えていった。


 安堵による脱力感で、俺はその場にへたり込む。


「……やった」

「すごい……僕たち『ケルベロス』を倒したんだ」


 これでランク7だ。レア・アイテム目的で討伐するレア・モンスターとは違い、ゲーム進行に必須の討伐対象モンスターは鍵になるアイテムを必ずドロップする。ランク7になるために必要な『ケルベロスの首輪』は戦闘参加人数分しっかりとドロップしていた。


「参ったね、頼りになるとは思ってたけど、ここまですごいとは。今日はほとんどアッシュ一人で勝ったようなものだよ。ギルドマスターとして礼を言わせてくれ。ありがとう」


 俺の顔を覗き込んでマスターが言った。周りを見回すと、メンバー全員がこちらを見ている。正直な話、掛け値なしに俺一人しかまともに動いていなかったのだが、勿論それをわざわざ言う必要は無かった。


「一人で勝てるわけないだろ。ギルドの勝利だよ」


 俺は苦笑いしながらそう答えた。


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