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□優等生の務め

「大野君のことですか?」


 授業も終わり、廊下では家路に急ぐ生徒のバタバタという足音が聞こえる中、私は職員室で窮地に陥っていた。職員室に呼び出されても、自分の胸に手を当てて考えて「怒られることは無いな」と自身を持てるくらいの優等生を自負している私は、今日の呼び出しにも特に不安を感じずに、自分の机で職務をこなしている担任教師の元へ向かった。だが、心の準備もせず油断していた私に担任教師が突きつけたのは、あまりにも厄介な『任務』だった。


「最近、またあいつ学校を休みがちなんだ。野口には前にも似たようなこと頼んだよな? 俺が来いって言うより、お前に任せた方が大野も聞いてくれるんじゃないかと思ってな」

「……はい、わかりました。学校帰りにでも、大野君の家に寄ってみます」


 クラス委員という肩書きは、かくも厄介ごとを呼び寄せてしまうものらしい。「優等生・野口奈緒」を演じるために渋々引き受けた役職だが、あの「オタク少年」の介護を任されるとわかっていれば断ったかもしれない。


 ―大野勝。


 その名前を聞いてまず浮かぶ印象は「とにかく不気味」だった。外観は、スリムといえば聞こえはいいが男でそれはどうなのかという細い体で、不精で切る機会が無かったに違いないとすぐわかる手入れされていない長髪に眼鏡、趣味はゲームにアニメ。典型的オタクの彼はクラス内でも浮いた存在で、自分と同じオタク趣味の友人が数人居るようだが、その一団はまとめてヒエラルキーの最下層に位置しており、上位の存在である不良達に虐められないかといつも怯えているようだった。


 そんなオタク趣味軍団の中でも大野君には「大作ゲームの発売後には決まって学校を休む」という特徴があった。なぜわかるのか? 私だって休めるものなら休みたいからだ。……そう、あまり人には言えないが、実は私もゲームには並々ならぬ興味がある。話題作の発売日などは常にチェックしているのだ。だから、それとシンクロするように学校を休む大野君が家で何をしているのか、私には知りたくなくてもわかってしまうのだった。今回の休みの理由ももちろん見当はついている。≪アンダンテ≫―世界初の本格的VR-MMORPG。彼が学校をサボり始めたのはちょうど≪アンダンテ≫の発売日だった筈だ。今頃は先生の心配をよそに、家で厳ついヘッドギアを付けてゲームの世界に没入しているのだろう。


 ほんの少し沸き起こる羨ましい気持ちを抑えて、私は大野君の家に向かうことにした。




 インターホンを鳴らし、家の人が出てくるのを待つ間、私は「幸せな家庭の象徴」のような大野君の家を眺めていた。ガレージにはエンブレムが特徴的な外国車が止まっており、屋根にはソーラー発電用のパネルが並んでいる。閑静な住宅街に建つ二階建ての家は豪邸とまでは呼べないものの、間違いなく不自由はしていない生活水準の高さを感じさせた。この家の二階の、昼間なのにカーテンを閉め切った窓の向こうに闇を抱え込んでいるなんて、外観からは想像も出来なかった。


 薄暗い自室で、怪しい機械を頭に付けてゲームをしている大野君の姿を想像していたら、不意に玄関のドアが開き、大野君の母親が現れた。


「あら、あなた確か……勝の学校の」

「はい、同じクラスの野口と申します。最近大野君が学校を休んでいるので様子を見に伺ったのですが」

「ああ、そうなの……」大野君の母親は一瞬戸惑ったような表情を浮かべ、「勝! お友達が来てるわよ、降りてらっしゃい!」と二階に向かって大きな声で言った。

「降りてこないわね……ごめんね、何か夢中になってるみたいで。良かったら上がって直接話してくれないかしら」

「あっ、ええと……」


 正直、オタク男の巣に飛び込むのは遠慮したかったのだが、仕事を途中で放り投げては優等生の肩書きに傷が付くという使命感と、≪アンダンテ≫の実物を拝んでみたいという気持ちが、私の背中を押した。


「じゃあ、そうさせていただきます」

「ごめんなさいね。私が言ってもあの子聞かないもんだから……」


 一礼してから、家の中に入る。以前、同じように大野君の様子を見に行かされたときも、こうして直接相対する羽目になったはずだ。そのときも、新作ゲームを一目見てみたいという理由で上がりこんだのだった。あのときのゲームは発売前の期待ほどの内容ではなくて、発売後すぐに下火になったのだ。そのおかげか、大野君も早々に社会復帰することが出来たのだが、果たして今回はどうか。


 少し軋む階段を上がり、鍵の付いた戸の前に立つ。さすがに私も女であるので、男の子の部屋の扉を前にしてしり込みしてしまう。ましてやこの部屋の中に居るのは、あの不気味な大野君なのだ。大野君と私、彼の部屋の中で一対一で対峙。ううっ駄目だ耐えられない。やっぱり帰ろうかなぁ……と思い始めたところで、ふと≪アンダンテ≫のことを思い出す。ネットで見たゲーム内風景の写真はあまりにも美しく、それを実際に触ることすら出来るのだと知ったとき、私はまだプレイしていないのに感動を覚えたのだ。このドアの奥に≪アンダンテ≫の実物がある。その誘惑は私に勇気を与えた。それに、大野君も普段は挙動不審で話しかけてもろくに返事も出来ないような子だが、あれは1年前だったか、私がどうしても先に進めないゲームの攻略法を大野君に聞いたとき、彼は嬉々として、得意満面にゲームの解法をレクチャーしてくれたではないか。同じ趣味の話題なら大丈夫。彼は同好の士には優しいのだ。そう自分に言い聞かせ、私は平常心を取り戻す。決意して拳を握り、ドアを叩いた。


「大野君、居るんだよね? 私クラス委員の野口だけど、入っていい? ……入るよ」


 強引だとは自分でも思うが、そう告げるとドアのノブを回した。鍵はかかっていなかった。


 カーテンを閉め切ってるせいで薄暗い大野君の部屋に入って、まず目に付いたのは、圧倒されるくらい大きな光る箱だった。私の身長は高校生女子の平均からそう逸脱してはいないと思うが、その箱は、そんな私の胸に届くほどの高さがあった。おそらくパソコンなのだろう。そして、その巨大なパソコンから何本ものケーブルが延びて、部屋の真ん中に座している男の頭に被せた機械―VR技術の要である『グラフィカルヘッドギア』に繋がっていた。


 声は聞こえているのだろうか。


「大野君、聞こえてる? ごめん勝手に部屋までお邪魔しちゃったんだけど……」

「き、聞こえてるよ。ちょっと待ってろって」

「あ、うん」


 私は、大野君の冷静な返事に安堵した。さっきのノックも聞こえてないなら、自分の知らぬ間に不審者が部屋に入っているわけで、テリトリーを侵されることを良しとしない内気な子が相手なら間違いなくひと悶着あったはずだ。とりあえず受け入れられたと解釈し、私は腰を下ろして大野君のゲーム終了を待つことにした。


 しかし、こうして端から見るとVRというのはあまり人には見せられない姿になっているなぁ……と思う。VR黎明期の、大掛かりな機具を体中に着けて実際に体を動かすなんてことはさすがに無いが、目まで完全に覆う『グラフィカルヘッドギア』をつけ、呆けた表情で黙して座り込んでいるその姿は、生気を抜かれた抜け殻のようでぞっとしない。おまけにその抜け殻が、時折びくんびくんと痙攣するのだ。まるで心霊現象である。おそらくはゲーム内で窮地に陥ったりしてつい体が動いてしまっているのだろうが……そんなことを思って眺めていると、大野君がヘッドギアを外した。私の恐怖心に気付いたわけではないだろうけど、自分の恥ずかしい姿が観察されていることに堪えられなくなったように見えて、内心苦笑した。


「わ、悪い、ちょっと抜け出す間が無くて」

「こっちこそごめん、お取り込み中に押しかけて」

「そ、それで、何の用?」


 大野君に限らず、例のオタク趣味軍団に共通しているのだが、彼らは心を許していないグループ外の人間に話しかけられたとき決まって共通の反応を見せる。視線を合わせず、怯えたように縮こまり、そのくせ、話しかけた相手に「この場から消えてくれ」と無言の圧力をかける威嚇のような態度だけは隠そうとしないのである。私は少しむっとしながらも、努めてそれを隠して話を続けた。


「あーほら、大野君最近学校休んでるじゃない。先生が心配してたよ」

「そ、そう……」

「ゲーム楽しいのはわかるけど、あんまりサボってると次は私じゃなくて先生が来ちゃうよ?」

「う……わ、わかった。休まないようにするよ」

「了解です、先生に伝えておくね」

「……」


 会話が止まった。まあ大野君の立場にしてみれば警戒の対象であろう「クラス委員の女子」と話すことなんて無いのだろうが、私にはこの薄暗い部屋で一対一の沈黙はあまりに痛い。……沈黙を破ったのは、お茶を持って部屋に入ってきた大野君のお母さんだった。


「勝、お友達にお茶菓子持ってきたわよ」

「あ、すみません。お構いなく」


 助かった、という安堵とともに頭を下げる。しかし大野君の反応は、「沈黙からの救済」へのお礼からはあまりにもかけ離れてた。


「な、何で勝手に入ってくるんだよババア! いいから出て行けって!」

「で、でもお友達に何も出さないのは失礼でしょ」

「いいから、勝手なことすんなよ! 出て行けよ! 早く!」

「ご、ごめんね……」


 申し訳なさそうにそう呟くと、大野君のお母さんは肩を落として部屋を出て行った。母親に対して妙に強気に出る大野君のこういう姿を、私は初めて見たわけではない。以前に様子を見に来たときにも、同じようなやり取りがあったのを覚えている。その時には大野君の怒声なんて聞いたことも無かったので驚いたのだが、今は驚きよりも嫌悪感だけが沸き立った。


「やめたほうがいいよ、そういうの。お母さんだって悪気があったわけじゃないでしょ?」

「う、うるせえな……関係無いだろ」


 私の怒気を含んだ声に気圧されたのか、ぼそぼそとそう搾り出すと、大野君は私から視線を逸らした。怒らせてしまったか。大野家の家庭の問題は気になるが、このまま大野君の機嫌を悪くさせては本題に入れない(無論、大野君の更生こそがクラス委員の本題であるべきなのだが)。大野君のお母さんを見捨てるようで申し訳なかったが、私がここで説教したからといって直ることでもないのだろう。そう思い直し、話題を変えることにした。


「ねえ、ところでその、大野君がやってたゲーム。それって≪アンダンテ≫よね?」

「……! そうだけど! 知ってるの?」


 大野君の目の色が変わった。≪アンダンテ≫の名を出したことで、私を危害を加える対象ではない「自分と同じ側の人間」だと認識したらしい。1年前ゲームの解法を聞いたときに気付けよ、とも思うが、あの時は翌日になるといつもの大野君に戻っていたのだ。


「私もそれ買おうかなって思ってるんだけど、どう? 面白い?」

「すごいよ。今までのモニターとコントローラーで遊ぶゲームがバカみたいに思えるし。世界設定はありきたりだけど、それでもVRでやるとぜんぜん違う」


 饒舌な大野君は新鮮に見える。おそらく、彼の認める存在であるオタク友達と話すときもこんな調子なのだろう。


「難しかったりしないかな?」

「んー、俺は難しいなんて思ったこと無いけどな」

「そっかー」


 やってみる? という会話の流れを期待したが、やはり警戒心の強い大野君だ、向こうから触らせてくれるつもりは無さそうだった。でもこれで引き下がっては何のためにここまで来たのかわからない(クラス委員としての責務は置いといて)。私は決意して切り出した。


「VRのゲームってどんなものか、ちょっとやってみたいな。ダメ?」

「えっ……やるって、ここで? ううん、そうだな……」


 精一杯フレンドリーに言ったつもりだったが、やはり大野君は悩んでいるようだった。内気な大野君に対してちょっと踏み込みすぎたか? と不安になったが、言ってしまったものは仕方が無い。私は大野君の心証を悪くしないよう、努めて苛立ちを表に出さず、敵意を感じさせない微笑みを浮かべてただ大野君の結論を待った。


「……わかった、いいよ。でもあんまり変な行動するなよ。俺のアカウントなんだからな」

「いいの? ありがと!」


 内心はガッツポーズ、いや小躍りまでしていたかもしれないが、表面上は冷静さを装い、まず何より大野君への感謝を言葉と表情で表すことを忘れなかった。


「じゃあ、私VRよくわからないから着けるのお願いしちゃってもいい?」

「お、おう……」


 恐る恐るといった手つきで、『グラフィカルヘッドギア』を私の頭に着けてくれる大野君。大切なVR一式を他人に壊されたくないのかなとも思ったが、ヘッドギアを取り付ける前に私の黒髪をなでて整えてくれた(これも恐る恐る)とこから推察すると、これは私に触れるのを意識しているらしかった。おやおや、普段は「二次元(つまり、絵)にしか興味ないよなー」なんて友達と話しているのに、生身の人間である私なんかを意識しちゃうんだ。大野君の普通っぽい一面を見られたようで私は少し微笑ましかった。


「じゃあ、電源入れるぞ。変なことはするなよ?」

「わかってるってば。私だって普通のMMOならやったことあるんだから」


 映像を投影していない『グラフィカルヘッドギア』で視界を塞がれ真っ暗だった目の前が、起動と同時に明るくなる。すると、そこには……世界が在った。


「すごい……なにこれ、全部ここに『在る』じゃん。うわっ、触れる……! なにこれ、なにこれ!」

「か、体は動かさなくてもいいんだよ! お前制服だって忘れてないか……?」

「え…あっ」


 『グラフィカルヘッドギア』で見える世界は≪アンダンテ≫のものなので現実の私の格好は意識してなかったが、どうやらはしゃぎ過ぎて少々はしたない姿になっていたようだった。さっきの大野君のゲーム中の姿が脳裏に浮かぶ。


「ご、ごめん……えへへ」

「とっ、とにかくだ。少しくらいなら敵と戦ってもいいぞ。MMOやったことあるなら勝てそうな敵は見てわかるだろ? 見た目いかにも弱そうな奴には大体勝てるよ」

「ほんと? やってみる」


 視線を下に落とすと、腰に佩いている剣と、使い古された傷だらけの鎧が見える。大野君のゲーム上のキャラクターはどうやら剣を主体に肉弾戦を好むタイプらしかった。試し斬りの相手を探すと、ちょうどおあつらえ向きな「巨大蜂」の姿を見つけた。私はこいつでVR-MMORPGの戦闘というものを試してみることにした。


 剣を抜き、剣道の中段のように構える。剣は意外に軽かった。あまりリアルに鉄の棒の重さを再現すると振り回せないからデフォルメされてるのだろう。蜂はしばらく暢気に羽音をたててあちこち飛んでいたが、抜刀したこちらに気づくと、こちらに距離を開けて空中に静止する。VRは痛覚を刺激するのか。こちらの動きは現実世界と比べてどれだけ違うのか。そもそも今の自分は大野君の作った男性キャラクターだ。現実の私と同じ感覚で体を動かしてよいものか。何もかもわからない。


 私はキャラクターの能力を信じ、剣を振りかぶって蜂に向かって駆けた。勢いよく振り下ろした剣はしかし、ふわっと高度を上げた蜂に易々とかわされる。そして蜂は尻の針を突き出しながら、敵を見失い隙だらけの私に上から突進した。


「いたぁいっ!」

「落ち着けよ、現実と同じだと思うな。痛みは限度があるし、身体能力だって現実とは違うんだ」


 大野君に説教されて軽い屈辱を感じたが、それが冷静さを取り戻させてくれた。身体能力は現実とは違う。ならば蜂が高度を変えるのを踏まえて、さらに高く跳んで斬りつけることも可能だろうか。試してみることにした。もう一度蜂に向かい構え、そして―


「たあああああぁっ!」


 飛び上がり、蜂の回避軌道も斬る感覚で剣を振り下ろした。ドン、っという手ごたえを剣を通じて感じる。


 振り返って斬った物を確認すると、意外にリアルでグロテスクな「真っ二つになった蜂」が転がっていた。


「うえぇ……こういうところまで作りこんでるんだ」

「な、なあ、そろそろやめにしないか?」

「何よ、ようやく感覚が掴めたところなのに」

「だってお前、体動かしすぎ……」

「……う」


 どうやら、またしてもはしたない姿を見せてしまったらしい。確かに人の見てる前でこれ以上続けるのは危険そうだ。潮時と判断して私はヘッドギアを外した。


「ふうっ……」

「どうだった?」

「うん、想像以上。これ絶対買うわ私」

「そ、そうか! じゃ、じゃあ……も、もしゲームで会ったら……」

「そのときは改めて、いろいろ教えてね」

「お、おう!」


 家に帰る頃にはもう夜になっていた。人の家でそんなに夢中にゲームをやっていたのかと少し反省する。それにしても、大野君はゲームのことになるとああも違った一面を見せるのか。普段からあの調子を出せれば、不良に怯える立場に甘んじることもないだろうに。


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