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□深淵を覗くとき

 南の方では梅雨も空けたらしい7月、夏の到来を感じさせる強い日差しの中を、私は歩いていた。


 大野君の家に行くのも三度目になる。一度目は一年生の秋だった。大野君は一学期の頃から数日単位で休みがちで、それが大作ゲームの発売日とシンクロしていることに、私は夏の初め頃に薄々気付き始めた。それまでは休み癖も軽度で先生の目も逃れていたのだが、夏休みが終わり、皆が鈍った体に鞭打ちながら少しずつ学校生活の勘を取り戻している中、大野君は二学期早々一週間の長期に亘り休んでしまった。さらに翌週の月曜も連絡無く休んだので、さすがに担任も重く見て、クラス委員の私に大野君の様子を見に行くことを命じたのだ。あの時に大野君がやっていたゲームは、VR技術こそ無いものの、練りこまれた世界観やグラフィックなどが発表されるたびに世間の期待を高めていた、超大作MMORPGだった。大野君の家に上がりこんで、そのプレイ風景を見せてもらった私は、大野君に尋ねた。


「で、これって面白い?」

「ん~、どうだろ……」


 結局、そのゲームは開発期間が足りないままリリースしたせいで、蓋を開けてみれば当初発表していたゲーム内容をほとんど実装できていないという有様だった。期待していたファンは出鼻をくじかれて、発売前の期待の熱気は、急速に冷めていった。MMOという種類のゲーム特有の現象かもしれないが、一度「誰もやらないであろう」「人気が出ないであろう」と判断されたゲームは、実際に人が寄り付かなくなる。他人と力をあわせて攻略するのが前提の、他者の存在が必要不可欠なゲームである以上、それは仕方の無いことだった。


 大野君は、私が家を訪問した翌日に学校に現れた。そして、そのゲームのことなど忘れたようだった。私は先生に褒められ、その実績を買われ、以降はますます頼られるようになる。


 そして二度目の訪問は、記憶に新しい≪アンダンテ≫との邂逅。あの時も私の訪問の翌日には大野君は学校に来てくれた。それから、週に2、3日という、先生にぎりぎり目を付けられない範囲で休みながら、大野君は≪アンダンテ≫と学業の両立を続けていた。


 だが、私が大野君を追いかけ、そして逃げられてしまったあの日以来、大野君は学校を休み続けていた。担任教師は、私に三度白羽の矢を立てたのだった。さすがに三度目ともなると私も慣れたもので、その依頼を逡巡も無く引き受けてしまった。何より、私自身が大野君の様子をずっと気にしていたのだ。自主的に家に向かうわけにも行かず、大義名分が欲しかった私にとって、渡りに船の依頼だった。


 私は最初、大野君は回線落ちで『カーネイジドラゴン』討伐に失敗したことを気にしているのだと思った。約束の『コ・イ・ヌール』を持ち帰れなかったから、気に病んでいるのだ、と。ギルドメンバーを死なせてしまったから、悔いているのだ、と。


 だが、大野君はその全てを捨ててしまった。それだけではない。学校での人間関係すらも捨ててしまっていたのだ。大野君は、もしかしたら≪アンダンテ≫の枠だけでは語れない大きな悩みを抱えていたのだろうか。私は無神経に矮小な話題だけを持ち出して、大野君の心の傷を理解してあげられなかったのだろうか。だから大野君は、私を避けたのだろうか。




 大きな交差点を曲がると、小奇麗で交通量の割りに広い道に出る。ここ数年で新興住宅地として開発されたこの辺りは、アスファルトも黒光りして道路のペイントもまだ鮮やかさを保っていた。この道を進むと、大野君の家がある。もう三度目だからと迷いもせずここまでやってきた私だったが、何故か、急に足が進まなくなった。


(何を躊躇してるんだろう、私は。あれだけ会いたがっていた大野君が目と鼻の先に居るのに)


 面倒だから? 暑くてしんどいから? 帰って≪アンダンテ≫をやりたいから? 友達と遊びたいから? 私は足の進まない理由を必死に探していた。クラス委員の優等生を演じ続けている私は、引き受けた仕事を放り出すなどという真似をしたことは無かったし、したいとも思わなかった。だが今の私は、一年以上になる高校生活で初めて、担任の依頼を無視して家に帰りたいと強烈に思い始めていた。


 ……馬鹿なことを考えちゃいけない。私は『優等生・野口奈緒』なのだ。頼まれたことを放り出して帰れるわけが無い。私は自分を無理やり奮い立たせて、重い足を一歩、前へと出した。




 歩けば歩くほど、私は不安になっていった。スラム街とか、山奥の廃村とか、そんな「踏み入れてはいけない場所」に入り込んでしまったような感覚に襲われ、心細さに胸を締め付けられそうになる。なるべく何も考えないよう努めて足を前に出すことに集中し、ようやく私は、大野君の家までやって来た。


 それは、一見すると前に来た時と同じ「幸せな家庭の在り処」だった。星のエンブレムが輝かしい外国車はガレージに止まっていたし、ソーラーパネルはこの夏の日差しを浴びてせっせと電気を作っているのだろう。だが、それでも私は、この眼前の建物が人の住む家だとはとても思えなかった。悪魔の居城だと言われても、魔界に通じる門だと言われても、人が住んでいると言われるより納得が出来た。


 しばらく玄関の前で立ち竦んでいたが、どれだけ怯えても、大野君に会わなければ始まらない。私は震える指を突き出して、恐る恐るインターホンを鳴らした。


 頭の中で、大野君のお母さんが玄関に向かってくる姿を想像する。この扉の向こうは普段と何も変わらない大野家の日常が在り、扉を開けて大野君のお母さんが現れて、大野君が相変わらずゲームに夢中になっていることを嘆き、私は大野君の部屋に通され、≪アンダンテ≫をやっている大野君と他愛の無い会話をして、私の不安も霧散していくのだ。


 だが、私の祈りにも似た夢想をいくら続けても、扉は開かなかった。もう一度インターホンを鳴らしてみたが、やはりどれだけ待っても物音一つしなかった。


「はぁ……はぁ……」


 妙に息が切れる。周りに聞こえるような大げさな呼吸をしながら、私は家の二階を見上げた。前に来たときと同じ、カーテンの閉まった部屋の窓が見える。あの奥に、大野君は居るのだろうか。この『魔境』の中で、平然と座している大野君の姿を想像した途端、私は総毛立った。ふと気付くと、汗に混じって一筋の涙が頬を伝っていた。この謎の空気に呑まれ、知らぬ間に泣いていたらしい。


 もう認めるしかなかった。私は、怖かった。謎の濃密な空気が私の体中に絡み付いて離れない。この家は今、明らかにおかしい。帰りたい。逃げたい。でも、理由も無く「なんとなく怖かったから」と言って逃げ帰って、先生は納得するだろうか? もう少し、私はこの場で粘る必要があった。


 インターホンを鳴らしても誰も出ないのなら、次は……。考えただけで足が震えた。だが、それしかない。私は、ドアのノブに手を伸ばした。私は何をしようとしているのだろう。もし、鍵がかかっていたら「大野君は留守にしていた」という大義名分を得られる。大手を振って帰れるのだ。でも、もし、扉が開いてしまったら? この妖気漂う館に単身乗り込んで、大野君に会うとでもいうのか? 手が伸びる。あと3センチ。2センチ。もうちょっとで、ドアノブに手が触れる……。


 結局、私はドアノブに触ることさえ出来なかった。汗と涙が流れ落ち、頭からバケツで水を被ったような顔のまま、私は大野君の家から逃げ出したのだった。


 交差点にまで戻る頃には、体に絡みつく空気も恐怖感も消えていた。それでも私は、止まらない涙をぽたぽた落とし続けていた。


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