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■存在理由

 最近の精密機械はハードな衝撃実験もパスして初めて合格といえるらしい。父に投げ捨てられた『グラフィカルヘッドギア』は、奇跡的にその機能を損なうことなく、原形を留めていた。乱暴に引き抜かれた配線をつなぎ、PCの電源を入れる。あの日、強制的に離脱させられたあの時のままの、砂漠の光景が俺の視界に入った。


「おお、やった……!」


 ―ぶつんっ。


 喜びもつかの間、ヘッドギアは再び暗闇だけを映す。故障ではない。その証拠に、部屋に置かれたテレビの待機状態を示す赤いランプすら消えていた。部屋の電気そのものが止められたのは明らかだった。


 俺は怒りを抑えることが出来ず、扉を開け階下に居るであろう母親に叫んだ。


「ババア! 何しやがる!」

「文句があるならお父さんに言って! もうあなたの言うとおりにしちゃ駄目って言われてるの! 私が怒られるんだから!」

「このっ……!」


 駆け下りて暴力に訴えようとした俺の脳裏に、あの日の野蛮な父の素行がよぎった。母に暴力を振るって、あの野蛮人に告げ口でもされたら、こんどこそPCとヘッドギアは大破するかゴミの日に捨てられるか、とにかく俺の手から離れてしまうだろう。結局今の俺に出来ることは何も無かった。


 俺は諦めて部屋に戻り、ベッドに体を投げ出した。そして、この前の学校での野口の言葉を思い出していた。


 ―私、大野君のこと怒ってないよ?

 ―ギルドのみんなも、大野君が帰ってくるの待ってるって。


 最近は、野口の俺を見る目が変わった。俺にはそれが心地良かった。かつて俺を見下していた女子集団の一員、あの優等生の野口が、俺を尊敬の眼差しで見るのだ。


 あの『ケルベロス』討伐以来、ギルドメンバーは俺を頼るようになっていた。倒せない敵が居る。取れないアイテムがある。そう言って、俺に縋るのだ。


 俺は≪アンダンテ≫という世界を得て、優越感という、今までに抱いたことの無い感情を味わうことが出来たのだ。≪アンダンテ≫のおかげで、俺は人間として扱われるようになったのだ。




「大野って、どうして毎日学校に来るの? 誰も呼んでないのに」

「お前が居ると、教室の空気が悪くなるんだよ。お前、今日は息するなよ」


 小学生の頃から、俺は陰湿ないじめを受けていた。きっかけは何だっただろう。ひどく些細なことでガキ大将の機嫌を損ねたのは覚えている。くだらない一時的なものだろうと無視していたが、いじめは日常化し、そして過激化して、6年生になった頃には、俺は学校で完全に孤立していた。


「学校を休みたい? 具合でも悪いのか」

「う……うん、そう……」

「だったら薬でも飲んで、今日中に治しなさい。学校を休むなんて許さないからな」


 親は、味方になってくれなかった。かつて、いじめの事実を告白したとき「お前の精神がたるんでるからそういう目にあうんだ。堂々としていれば向こうも何もしない」などと、現状の認識すら放棄した発言を返されて以来、何の期待もしてはいなかった。


「やだー! 大野の隣だけは嫌! 私こっちで3人で座るから!」

「わがまま言うな、二人で一組なんだ。お前たちだけ3人とか特例を認めるわけにいかんだろ」

「やだ、やだぁぁぁ……」

「うわ、高橋さん可哀想……」


 男子には殴られ、女子には汚物として扱われる。俺はひたすら目を逸らし、心ここに在らずといった風を装い、自分の心を守った。味方が誰も居ない日々の中で身につけた、俺の処世術だった。




「お前、授業中に長谷部のこと凝視してただろ。お前に『視姦』されたって泣いてたんだぞ」

「こいつ、一回殺さないとわからないんだよ。いいよやっちゃおうぜ」


 中学生になっても、俺は一人だった。相変わらず同級生はくだらないことで俺に因縁を付け、男は殴り、女は蔑む。


「今日、勝手に学校を休んだらしいな。何のつもりだ? 中学生になると勉強が難しくなるだろう。お前、ちょっとやそっとで我慢できないで学校サボってるようじゃ、この先ろくな人間にならないぞ」


 親も、相変わらず何も理解してはくれなかった。俺の直面している問題は矮小で、すぐにどうにでも出来る程度のもので、つまりどうにも出来ない俺が悪い……と、そう言いたいようだった。


 この頃には、俺はゲームに没入するようになっていた。ゲームの世界では、俺は民草に崇められる英雄にもなれた。町行く人を無差別に銃で撃つ犯罪者にもなれた。ゲームだけが、俺に安寧をもたらしてくれた。家が比較的裕福だったことも幸いして、俺は新作や話題作、数多のゲームを買い揃えた。


 何が幸いするかはわからないもので、ゲームという趣味は、俺に学校での居場所を作ってくれたのだ。高校に入り、相変わらず俺を蔑む連中は居たけれど、ゲームという共通項を持つ友人が出来、そして、話題の新技術を導入した最新ゲーム≪アンダンテ≫を手に入れたことで、優等生の野口までもが、学校で俺に話しかけるようになっていたのだ。


 ゲームが無くなれば、俺は、また他人に迫害されながら生きていかなければならなくなる。現実世界には、俺を慕うギルドメンバーは居ない。そして野口は、また俺を蔑んだ目で見るのだろう。今の俺という存在の全ては≪アンダンテ≫が作り上げたものだった。


 ―≪アンダンテ≫。中世風のファンタジー世界。手に触れられる本物そっくりの草木。手に握る剣の感覚。身に着けた鎧の重み。野を駆け回る怪物との熱い死闘。俺を慕うギルドの仲間たち。俺にだけ与えられた特異な能力。敵を倒し入手するドロップアイテム。『ヒクイドリの羽』。『ケルベロスの首輪』。『コ・イ・ヌール』―


 ……その刹那、俺は決意した。戦わなければ、ドロップアイテムだって入手できないのだ。


 俺の頭に有ったのは、ノエルがいつか話していた与太話。≪アンダンテ≫のプレイヤーが、現実世界に戻れずゲームの中を彷徨っているという噂。だが今は、その話を心の底から信じることが出来た。俺も、向こうの世界に行こう。俺の『現実』は、仲間が居て、羨望の眼差しを浴びることが出来る、≪アンダンテ≫の中にしか無いのだから。


 俺は、現実に足を引っ張られたりしない。俺は、≪アンダンテ≫の中で生きていく。現実に未練なんて、無い。



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