ツバキ
ツバキ
ヴヴヴン。ぼとっ。あ、ちょん切れた。
それを見るのは初めてだった。
いつも通りの朝。久々に朝練がなく、のんびりと家を出たら通学途中に小春とばったり会ったので、二人で一緒に歩いていた時のことだった。小春はまだ、学校指定である薄黒いネイビーのブラウスを羽織っていた。一方私は、五月の、この生温かさがまとわりついてくる感じが疎ましいので通学中は脱ぐことにしている。白いYシャツ姿だ。こうやって並んでみると、色の明度があまりにも違うので思わず面くらってしまう。
通学路の途中には、大手の本社ビルがどっかりと腰を下ろしていた。設備も豪華で、特に、庭園に趣向を凝らせていた。名前は分からないが、確かその筋では有名な芸術家が仕立てた庭だと聞いたことがある。私や多くの生徒はそこの横道を通っているが、いつ見てもそこだけ、夢の国にあるはずのお花畑が鎮座しているのだ。赤、黄、ピンク……明度の極めて高い色が完璧な精度で配置され、花は一心にそのアートとしての役割に徹している。もっとも私は素人だから、花畑を長いこと見ていると目がチカチカしてしまうのだが。
ヴヴヴン。
その音は庭園から聞こえてきた。ピンク色のゾーンからだ。そこはツバキが最盛期を迎えていた。五月の華。そんな華とは明らかに不協和音を奏でる機械音。
作業服を着た中年の男が、絵の具で塗ったのかと疑ってしまうほどの濃いピンクに向かって電動ノコギリを構える。そして、集団の中で、成長しすぎて飛び出しているツバキにあてがう。
ぼとっ。あ、ちょん切れた。
自分と根とをつなぐ茎を寸断されたツバキは、ただ重力のなすがままに転がり落ちていく。他のツバキの間をバウンドしていって、落ちた。
ノコギリが通ったあとは、洗練されたアートが発現している。
この様子を食い入るように見つめていたのは、私よりもむしろ小春だった。二人して立ち止まった。機械音がけたたましい。私はもう一刻も早くここから立ち去りたくなった。
小春を見やる。思えば、かつての小春ならネイビーは地味だから嫌い、とか言っていたはずだ。スカート丈も前より長い。表情は前の方が豊かだった。本当に明るい子「だった」のだ。
小春は二か月くらい前、「ターゲット」になった。突然始まった。あの唐突さには何度見ても驚かされる。理由? そんなもの、あの子達にはない。少し浮いたから。ただ、それだけ。
私は今のところ、「一日中部活に打ち込む熱血少女」というタテマエのもと、色々なグループ間をのらりくらりとして、それなりに仲良くやっている。だがあの、「ターゲット」の子が受ける「個人給食」、「寄せ書き」は見るたびに背筋が凍る。いつかは私も順番が……。そう思うと、口は、足は、心の臓から広がる悪寒に凍りつく。
そして、そんな自分に唾を吐きかけてやりたくなる。切り落とされないように、浅く広くなんとなく、みんなの「味方」であろうとする。そんな今が、いつまで続くかなんて保証もない。
小春は、それでも踏ん張り続けた。じっと耐えて、耐えて、負けなかった。そしたら、つい二週間前に「ターゲット」が他の人に移って、小春は「みんな」のところに復帰した。
だから私には小春がツバキを見つめているのを、遮ることなどできない。資格はない。
切り落としたツバキを、作業服の男はほうきで掻き集めて持参した黒いポリ袋の中へざくざく入れていった。土埃が舞う。ゴミ袋も、きっと中の見えてしまう透明なものではダメなのだ。アートを害してしまう。ゴミが混入していたのだろうか、男はツバキの茂みの中へ手を突っ込んだ。隠れた何かを引っ張りだそうとしている。私にはツバキのべとついた香りが漂ってくるように思われた。
不意に、小春が私の方を向いて何か言おうとした。その眼は、何かを訴えかけているようにも、逆に見放しているようにも思えた。しかし言葉にはせずに、灰色のアスファルトへすぐ視線を落とした。再び学校へずるずると足を動かす。
私は何も言えなかった。




