25. Chorus (side Natsuko)
合唱部部長・朝倉夏子視点のお話です。
その時まで、わたくしは一年生達の言葉をあまり真剣に聞いていませんでした。
「部長、本当に朱里様は素敵な方なんです!是非、文化祭での伴奏をお願いして頂けませんか?」
噂に名高い編入生の趣味がピアノだとかで、合唱部の一年生達は彼女を伴奏に駆り出したいらしいのです。
確かに、我が合唱部はいつも伴奏者不足に悩んでいます。
ピアノの経験者はオーケストラ部へと入ってしまい、ソリストとして弾く事に集中したいと言って伴奏を嫌がる方が多いもので。
合唱の伴奏は、確かに大変です。
音が合うまで何度も何度も繰り返しの演奏になるし、中断する事も多いと言った事が、伴奏をする側としてはストレスになってしまうのでしょう。
それに、オーケストラ部とは言っても、それぞれお嬢様が習い事で楽器を経験して来た者達が集まっているだけで、オケとして纏まって演奏している姿なんてお目に掛かった事はありません。
みなさま、プライドが高くて、他の者に合わせる、と言った事が出来ない方達ばかりだから、仕方ないのかもしれません。
そんな中、いつもオーケストラ部に頭を下げて臨時でピアニストを貸し出して頂いているのが合唱部の現状です。
その日、部活に参加する為に第二音楽室へ向かったわたくしは、隣の第一音楽室の前の人混みに驚かされました。
廊下にはみ出している人達の数は多く、その中に我が合唱部員の一人を見つけたわたくしは事情を訊ねました。
「これは一体何の騒ぎですの?」
「ご存じありませんの?噂の編入生、岡村朱里様が、本日これからミニ・コンサートを開かれるのですわ」
それだけでこの騒ぎですか?
わたくしは思っていたよりも、編入生の人気が高い事に驚かされました。
見れば、他にもこの人混みに混ざっている部員を数多く見かけました。
これでは今日は部活は出来ないかもしれない、と思い、わたくしも噂の編入生がどんな音を出すのか確かめて見ようと思いました。
もし、ある程度の腕前をお持ちなら、一年生達が言っていた様に、伴奏をお願いしてみてもいいかもしれません。
そして、入り切らない人達は廊下で視聴する、といった措置をとられたまま、ミニ・コンサートとやらが始まったようでした。
何しろ、もの凄い人で、ピアノの音を聞き取るのも一苦労でした。
時折、悲鳴や歓声に音が消されてしまう事もありましたから。
それでも、岡村朱里という編入生のピアノの腕前は、満更悪いものではないようでした。
わたくしはピアノの曲についてはあまり詳しくないのですが、聞いた事のある曲は間違いがなかったし、あのベーゼンドルファーをきちんと弾きこなしていたようでしたから。
そして、三曲を弾いた後にアンコールの拍手が鳴り響く中、彼女が弾いた曲はなんと『荒城の月』でした。
ワンフレーズを弾いた後、誰彼ともなく、歌い始める方が居て、それは次第に合唱へと変化していきました。
もちろん、練習も何もしていない、即興での合唱ですから、声もバラバラで、音を外していらっしゃる方もいらっしゃいました。
けれど、わたくしはそのパワーに圧倒されてしまいました。
人気がある方と言うのは、これだけの人数を動かす力があるのだと。
数人の音痴が混ざっていようとも、これだけの人数になれば、見事な合唱となり得ます。
わたくしは、一年生達の言っていた、彼女に伴奏を頼む件を真剣に検討しなければ、と思い始めました。
しかし、正直に申し上げると、あれだけの人気者である彼女に伴奏をお願いすると、歌う時に注意力が散漫になってしまうのではないか?と言った危惧も生まれます。
それでも、伴奏者不足は深刻な事態となりつつあり、一年生達に頼んで伴奏をお願いしたところ、クラブ活動はピアノのレッスンのために行えないとのお返事を頂いたと、一年生達は泣き付いて参りました。
断られると、何としても引き受けて頂きたい、と熱意が燃え出し、わたくし自らが彼女の前に出向いてお願いをする事に致しました。
熱心な説得に、人の良さそうな彼女は『一曲だけなら』といった制限付きで承諾をしてくれました。
その時に、正直に申し上げると、初めて岡村朱里と言う編入生を間近で拝見したのですが、みなさんがそれほど騒ぐほどの人なのかしら?と不思議に思いました。
確かに、整った顔立ちをしていらっしゃいますし、線が細く、ボーイッシュな感じは、この学校では他にあまり見受けられないタイプではありますが、男性と間違える程逞しくはないし、この学校であれほど騒がれている理由が今一つ理解できませんでした。
そして、彼女のピアノレッスンがお休みだと言う水曜日の放課後、合唱の練習に付き合って頂く事になりました。
楽譜を早々に要求して来たり、その前日には昼休みに練習をして見せたり、かなり前向きで熱心な態度に、わたくしも安心いたしました。
ですが、練習の初日、わたくしの恐れていた事は現実となってしまいました。
発声練習の時から既に、その兆候がありました。
伴奏者である彼女に見惚れて、声を出さない人がいらっしゃったのです。
指揮をするわたくしは注意を致しましたが、集中力が落ちているのは確かです。
実際に練習が始まると、もうダメでした。
チラチラと窺うと、気の毒に、伴奏中の岡村さんは、合唱部の部員達に視線を向けない様に努力なさっていらっしゃいましたが、部員達の視線は指揮を執るわたくしではなく、岡村さんの方へと向けられてしまっています。
これではコーラスにはなりません。
やっと最後まで何とか歌いきる事が出来たので、休憩にしましたが、その時も一年生達は岡村さんにおしぼりだ飲み物だと差し入れをして喜んでいました。
このままでは、折角伴奏を了承してくれた彼女にも失礼です。
わたくしは、休憩が終わると部員達に申し伝える事に致しました。
「みなさん、今日の練習は一体どうなさったのでしょう?集中力に欠き、声が出ていない方が多く見受けられます。そんな事では、わざわざお忙しい中、伴奏を引き受けて下さった岡村さんにも失礼ではありませんか?これ以上、やる気のない姿勢を見せた方は、申し訳ありませんが退室して頂きたいと思います。わたくし達は舞台に上がってみなさんに歌をお聞かせする為に練習しているのであって、伴奏者に見惚れる為にこの場にいるのではありませんから。この決定に異義のある方はいらっしゃいますか?」
第二音楽室は静まり返り、異議はないようでした。
「それでは練習を再開いたします」
その後は、休憩前ほど酷くはなりませんでした。
幸いな事に退室者を出す事もありませんでした。
でも、今後もこのような事が続くようなら・・・こちらから頼んでおきながら、心苦しいのですが、岡村さんには伴奏を降りて頂くようにお願いしなくてはなりません。
練習が終わって、第二音楽室の戸締りをして帰ろうとしたところ、廊下には一年生の部員が三人程残っていました。
確か、白石さんに松岡さんと中野さんだったと思います。
「どうしなさったの?もう遅いですわよ」
わたくしに用でもあるのかしら?と思って尋ねると、三人は一斉に頭を下げて謝って来ました。
「申し訳ございませんでした、部長」
心当たりは山の様にありましたから、わたくしは黙って彼女達の話を聞く事に致しました。
「今日の練習では、浮かれてしまい、大変失礼いたしました」
「今後は今日の様な事のない様に致します」
「部長の仰った通り、朱里様にも大変失礼な事を致してしまいました。本当に申し訳ございません」
それぞれが反省してくれたようです。
「そのお言葉は、わたくしだけでなく、岡村さんにも申し上げた方が宜しいのではなくて?」
そう申し上げると「もう朱里様にはお詫び申し上げました」との事。
素早いわ。
「厳しい事を申し上げる様ですが、今日、申し上げた事は今後も続けさせて頂きますよ。歌う事が出来ない方には舞台から降りて頂きます。宜しいですわね?」
そうお伝えすると、みなさん「はい」と元気のいいお返事をなさいました。
果たして、どこまで実行出来るのか?不安は拭いきれませんが、それでも文化祭でのステージを成功させたい気持ちはみなさん同じだと信じたいですわ。
特に、わたくしにとっては高校生活最後の舞台となりますから。
楽しみにして・・・宜しいのよね?
朝倉先輩は朱里のファンにならずに被害に遭われた方、になりますかね。
コーラスの指導に厳しく、とても真面目な方のようです。