21. Scout 1 (side Ohmori)
芸能プロダクション社長・大森氏の視点のお話です。
僕はその日、山田先生のお宅へコンサートツアーの打ち合わせの為にお伺いしていた。
お忙しい山田先生は来客中で、約束の時間までまだ時間があったし、僕は遠慮なく待たせて頂く事にした。
「いつもいつも、社長さん自ら出向いて頂いて申し訳ありませんね」
山田先生のマネージャーである堀田君は一見腰が低い好青年だが、見縊るとニコニコした顔をしたまま辛口のコメントをする男だ。
「いやいや、他ならぬ山田先生とのお仕事ですから。僕は例え南極でも北極でも出向きますよ」
「いやですね、大森さん。先生は寒い処はお嫌いですよ。例えるならアマゾンかサハラ砂漠にでもしといて下さい」
ムムム、堀田君にそう突っ込まれるとは、僕もまだまだだな。
「今日はお弟子さんのレッスンでも長引いているのかい?」
出されたお茶に口を付けながら、尋ねる。
うん、この家のダージリンは相変わらずいい物を使ってる。
「いえ、今日は弟子志望?になるのかな?その方との面談ですよ」
疑問形が多い堀田君の言葉に僕は興味を惹かれた。
「へえ?どんな子なんだい?」
「それは先生から直接お聞きになって下さい」
ニコニコと笑う堀田君は口が堅い。
山田先生が話してくれれば構わないと言う事か。
まあ、信用はこの世界でも大切だ。
やがて、冷房を嫌う為に真夏でも窓やドアが開いている山田先生の練習室から、歌声が聞こえて来た。
女の子か・・・ん?この曲は?
じっと耳を澄ますと・・・間違いない。
「堀田君!この声の持ち主は誰なんだい?」
僕は歌が終わると、堀田君に詰め寄った。
「ですから、先生からお聞きになって下さいと申し上げましたでしょう?」
ええい!融通の効かない男だ!
こうなったら、先生から直接聞くしかないのか?
歌謡界で『伝説の歌姫』と呼ばれる存在は過去何人もいたが、その中でも極め付きなのが『リンファ』という名前だけで、その他のプロフィールを一切明かさないまま、一年間だけの芸能活動だけで引退してしまった歌手だ。
僕が生まれる何十年も前の事なので、話に聞いた事しかないが、残されたレコードを聞くと、どうして短い活動だけで引退してしまったのか?疑問に思うのが当然だと言える。
確かに惜しまれる才能の持ち主だと思った。
僕と同じ様に思う人は多く、何度も二人目のリンファを探し出そうと試みる人間は多い。
一番ヒットした曲も一度カバーされた事があるくらいだ。
一般には知らされていない彼女の正体だが、政財界では有名だ。
歌手の正体は旧家の財閥、成島家の当主となる人の婚約者であったから。
結婚までの一年間と限定して芸能活動を認められたらしい。
結婚後は家庭に入って、一度も表舞台に立たなかった成島鈴華が亡くなって久しい。
僕が家族の反対を押し切ってこの仕事を始めた切欠の一つに、成島鈴華のあの歌があった。
アレンジなどせずとも、あの歌を歌える様な歌手を見つけて育てたい!
僕自身は音楽の才能には恵まれなかったが、耳は肥えていると自負している。
そして、閃きも。
お陰で、ジャンルを問わないプロモーターとして事務所の経営も軌道に乗っている。
こうして、日本でトップレベルと言われる山田玲子先生のコンサートツアーを任せて頂ける程に。
「先生!先程歌っていた子は誰ですか?お願いですから教えて下さい!」
僕は、さっきの歌姫が帰ると通された練習室に入るなり、挨拶も早々にそう捲し立てた。
「あら、来てたの?大森。気付かなくてごめんなさい。お待たせしたかしら?」
慌てふためく僕を窘めるように、山田先生は妙に落ち着いている。
「いえ、取り乱して失礼いたしました。待つ事は辛くありませんよ。先程の様な出会いを齎してくれるのなら」
にっこりと微笑めば、山田先生はニヤリと僕に笑い返して来る。
「そう?でもダメよ。あの子はあたくしが狙ってるの」
ええ?そんな~!
「でも、クラシックの為だけの声楽にするには惜しい声ですよ!」
そうだ、ピアノを勉強していく上で声楽が必要になる場合がある。
しかし、それなら歌わせる曲があの曲である必要はどこにもない。
「お黙りなさい!大森、あなたはあたくしの弟子だったクセに、自分には才能がないからとさっさと辞めてしまった上に、あたくしの弟子を次々と他の道に誘いこんで・・・まあ、いいわ。これまでの事は過去の事。でも、あの子は決して譲りませんよ!」
ありゃりゃ、山田先生は樹の事をまだ根に持っていらっしゃるのか?
でも、アレは僕が誘ったと言うよりは樹自身が選んだ事なんだが。
僕は仕事を回しただけで。
それに次々とって・・・もしかしたら唯の事か?
それについては勘弁して貰いたいなぁ。
「ですが、彼女本人の気持ちはどうなんでしょうか?もし、芸能界に興味を持って歌手になる気があるのなら、僕に任せて頂けませんか?僕の事務所が他の芸能プロダクションよりも信用が置ける事は、山田先生ご自身が認めて下さっている筈ですよね?」
でなければ、今回の様にコンサートツアーを任せては下さらない筈だ。
「・・・確かに、あなたの仕事ぶりは信用しているわ。そうでなければ一緒に仕事などしませんよ」
「ありがとうございます」
「でも、あの子はダメよ!」
山田先生は頑なだった。
僕は仕方なく、家政婦さんを口説き落とす事にした。
その結果、彼女の名前が『岡村朱里』である事と朱里ちゃんは成島会長の紹介で先生の元を訪ねて来た事を知った。
朱里ちゃんはピアノを長い間勉強して来たが、それを続ける事を悩んで先生に聞いて貰いに来たらしい。
それにしても成島会長の紹介って・・・確か跡取り娘の葵さんには息子しか居ない筈だし・・・そう言えば葵さんには妹がいたっけ?
確か、結婚してアメリカに居ると聞いているが・・・その娘か?
凄いな、伝説の歌姫のひ孫にその才能が受け継がれているっていうのも。
しかし、山田先生も彼女の才能を欲しがっている様だし・・・確かに漏れ聞こえて来たピアノの腕前も悪くはなかった。
でも、歌はまた別だ。
朱里ちゃんのあの腕では、ピアノで大成するにはまだまだ時間が掛かると思う。
だが、歌でなら、僕が必ずや数年の内にトップスターに押し上げて見せる事が出来る!
そうだ!樹にも話して先生を説得して貰おう!
何しろ樹は過去に山程いた先生の弟子の中でもピカ一でお気に入りだから。
あの無愛想で出不精な奴が先生に挨拶に行けばきっと・・・
いやぁ、楽しくなって来たな!
しかし、折角、家政婦さんを誑し込んで朱里ちゃんが先生のお宅を再び訪れる情報まで漏らして貰ったのに。
樹を駆りだして先生のご機嫌まで取らせたのに。
朱里ちゃんは僕の誘いを断った。
まあ、あの学校が厳しいのは僕も良く知っているが。
気長に口説くしかないな。
幸いな事に、山田先生が自分に代わって推薦した教師は樹だし。
あの樹がピアノ教師を引き受けた事自体が驚きだが。
幾ら恩師の山田先生の推薦とはいえ。
やはり、樹も朱里ちゃんに感じるモノがあったと見える。
朱里ちゃんがあの学校を卒業するまであと、二年と半年!
その間にゆっくりと慎重に準備をしておこうではないか。
ふっふっふ・・・楽しみだ。
樹視点にしようかと思いましたが、彼の出番はまた後で(幾らでもありそうだし)
最初考えていた通りの大森氏にしました。
次は・・・内容的に言えば後藤先輩ですが、それよりも杉田先輩と合唱部の部長さんとか佐々木先生とか・・・いっその事、三人全部にするか?