19. Extra ! (side Megumi)
このお話は『高等部新聞部ブログ版からの抜粋』といった形になっています。
九月二日 号外!
みなさま既にご存じの事かと思われるが、夏期休暇中に早くも話題に上っていた噂の編入生・一年月組の岡村朱里嬢が、二学期二日目にして早くも我々の前でその素晴らしいピアノの腕前を披露し、その才能の一部を明らかにした。
その発端は、朱里嬢と親衛隊との何気ない会話から始まったとされている。
始業式初日からテニス部やバスケット部からの勧誘を受けていた朱里嬢は、同じクラスの親衛隊員からも合唱部やオーケストラ部への勧誘を受けていたらしい。
そこで持ち上がったのが、朱里嬢へのピアノ演奏の懇願である。
心優しい朱里嬢は、親衛隊員達からの願いを聞き入れ『一度だけ』という約束で、演奏を承諾した。
それを聞いた親衛隊員は、オーケストラ部顧問である佐々木先生と部長に直談判をし、交渉の結果、その日の放課後の第一音楽室の使用権を獲得した。
そのニュースは瞬く間に、既に全校の半分が加入していると言われる親衛隊のみならず、オーケストラ部や、合唱部・テニス部やバスケット部の部員達にまで届けられ、放課後の第一音楽室は、その収容人数が百名を超えるにも拘らず、人で溢れ返り、入り切らない人まで出る始末だった。
かく言う記者自身も、情報を聞きつけて六限目終了と共に第一音楽室に駆け込まなければ、席を確保出来たかどうか定かではない。
その為に、扉が開け放たれ、音響効果に一抹の不安を残したが、人数を制限でもすれば、暴動が起こりそうな勢いだった。
素早く適切な対処をした、寛大な佐々木先生に感謝の意を送るべきであろう。
さて、こうして急遽、決まった朱里嬢のミニ・コンサートだが、どのような曲が披露されるのか? 注目の的であった。
候補としては、親衛隊員が聞き出した朱里嬢の得意な曲であると言う『ショパンのワルツ』か? それともアメリカ仕込の『ジャズ』なのか?
ザワザワと聴衆が期待に胸を膨らませて待つ中、然程時間を於かずに主役の朱里嬢が登場すると、盛大な拍手で迎えられた。
その聴衆の多さと迫力に、非常に驚かれていた朱里嬢だったが、ピアノの前に立ち止まると、一礼をしてから挨拶を始めた。
記者は噂に名高い編入生である岡村朱里嬢を間近で拝見したのは、その時が初めてであったが、噂に違わず、スラリとした長身にシンプルな白いワイシャツと赤いリボンタイにグレーのミニ・スカートが思いの外お似合いで、長い前髪から覗く目元は涼しげで、スカートがズボンであったなら、我が校のプリンスと呼ぶに相応しい容姿をしていた。
「本日は、こんなにたくさんの方にお集まりいただいて恐縮ですが、拙いわたしの演奏を少しでもお楽しみ頂ければと思います」
朱里嬢の挨拶は緊張の所為か、些か堅苦しいものだったが、彼女が椅子に座ると、第一音楽室はし~ん、と静まり返り、その期待は否が応にも高まっていった。
そんな中、朱里嬢が弾き始めた曲は、得意と本人が言っていたショパンの『ワルツ第一番・華麗なる大円舞曲』であった。
軽快なテンポのこの曲は、弾き手にそれなりのテクニックを要求する曲でもある。
自らが、得意だと称するだけあって、テクニックは中々の物だと、記者自身が持つクラシック聴衆歴十七年を賭けて申し上げよう。
朱里嬢がアメリカで師事していた人物がどのような経歴をお持ちなのか? 残念ながら未だ解明には至っていないが、さぞかし名のある人物だったのか? それとも、朱里嬢の才能が希有なのか? 大いに期待出来る才能を持っている事は確かだと思う。
そうして十分足らずの演奏が終わると、割れんばかりの拍手が起こった。
岡村朱里嬢のピアノは、その容姿から齎される贔屓目ではなく、称賛に相応しいものだと記者自身も思った。
聴衆の拍手は、ピアノの前に座り続けている朱里嬢が弾く次の曲への期待から、間もなく止み、再び静けさが取り戻されてから披露された曲は、その静けさに相応しいと言えるシューマンの『三つのロマンス』だった。
五分足らずの小品で、ピアノ以外にも弦や管などで奏でられる事が多い作品だが、シューマンらしい情緒溢れる曲で、選曲としても素晴らしいものだ。
朱里嬢はロマン派がお好みなのだろうか?
そう考えていたのを読まれた様に、次の曲はやはりロマン派であるリストの『ラ・カンパネラ』。
ピアノコンクールでよく使われる曲だが、朱里嬢はコンクールに参加された経験をお持ちなのだろうか? 腕前は確かなようだが。
記者としては、ついつい過去の経歴に拘ってしまいがちだが、そんな事を考えずとも、朱里嬢のピアノの腕前が単なる習い事程度で済まされるものではない事は、あの時、第一音楽室に居合わせた幸運な聴衆なら理解出来る事だと思う。
三曲を弾き終えた朱里嬢が、盛大な拍手の中、ピアノの前から立ち上がり聴衆に向かって一礼をした後、アンコールを促す拍手へと変わったのは言うまでもないだろう。
鳴り止まない拍手に、戸惑いを隠せない朱里嬢は、それでも再びピアノの前に座り、暫し考えた後、滝廉太郎の『荒城の月』を弾いた。
それは、聴衆の歓声を呼び起こした。
特に、合唱部員達は歓喜した事だろう。
誰彼ともなく、合唱が始まり、朱里嬢はそれに合わせて何回かフレーズを繰り返し演奏した。
演奏家と聴衆が一体になった、素晴らしい舞台だとと言えよう。
合唱は最後の四番まで歌われ、弾き終えた朱里嬢自身が聴衆に拍手を送った。
もちろん、聴衆は歓喜・狂喜し、拍手と共に黄色い声援をも送った。
絶叫にも似た悲鳴は、演奏後の朱里嬢の笑顔に由来すると思われる。
緊張が解かれた所為なのか? 一見、無愛想にも見える朱里嬢が微笑むと、それまでの冷たい印象からガラリと変わって、得も言われぬ愛らしさが覗く。
かく言う記者自身も朱里嬢の魅力に強く惹かれてしまった一人である。
我が新聞部では今後とも岡村朱里嬢の動向を追及していく所存である。
文責 二年梅組 小野恵
補足:ショパンのワルツ第一番に付いては表の20話でも語っています。
シューマンの「3つのロマンス」は小品でピアノ以外にクラリネットやバイオリンなどでも演奏されています。
リストの「ラ・カンパネラ」は最近、盲目のピアニストとして話題になった辻井伸行氏がコンクールで優勝を決めた際に弾いた曲としても有名です。
正式なタイトルが「パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲」
滝廉太郎の『荒城の月』は合唱曲としても有名で、日本を代表する曲と言っても過言ではない?これは4番まであるそうです。