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才色兼備で文武両道のはずが、気づけば悪役令嬢の席に座っていました  作者: 渚月(なづき)
第1章

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第9話 暴かれた嘘

書簡を商人に託してから五日が経った。監査はとうに終わり、ベルツは「問題なし」の報告を本店に送ったらしい。支所長は上機嫌で、職員に菓子を配って回っていた。


平穏な日々。だけど、わたしの胸の奥では砂時計が落ち続けている。


毎朝、出勤するたびに支所の前で足が止まる。今日は何かが起きるだろうか。


今日もまだだろうか。待つ時間は、行動する時間の何倍も長く感じる。


マルタが朝食を出しながら「顔色が悪いよ」と言うので、「寝不足です」と答えた。嘘ではない。


六日目の朝、出張所に見慣れない馬車が停まっていた。商会の紋章が入った、立派な車体。支所長の顔色が変わった。


馬車から降りてきたのは、白髪交じりの痩身の男性だった。身なりは質素だが、纏う空気が違う。周囲の職員が自然と道を空ける。


「本店監査部長のグレイルだ。支所長、少し話がある」


支所長の笑顔が、一瞬で凍った。


顔の筋肉が引きつり、目が泳いでいる。本店から予告なしに監査部長が来る──それは、ベルツの報告が疑われているということだ。


支所長にとっては最悪の展開だろう。だが、わたしにとっては最善の展開だ。


グレイル監査部長は、ベルツとは別格だった。書類を見る目が違う。


一枚の伝票を手に取り、紙質を確かめ、インクの乾き具合を見る。差し替えられた書類は、紙もインクも新しい。そんな基本的なことを、ベルツは見て見ぬふりをしたのだ。


その目は鷹のように鋭く、しかし声は穏やかだった。威圧するのではなく、事実を静かに積み上げていくタイプの人間だ。


わたしの理想とする調査手法に近い。この人が味方なら心強い。


だが油断はしない。グレイルがどこまで踏み込むかは、まだ分からない。


午前中のうちに、グレイルは支所長を別室に呼んだ。扉の向こうから、支所長の声が漏れた。


弁明の声。だんだん大きくなる。


壁越しに、支所長の声が震えているのが分かった。追い詰められた人間の声だ。


だけど同情はしない。不正で得た利益を、支所長は自分の懐に入れていた。その間、正直に働いていた職員たちの信用を踏みにじっていた。


わたしは自分の席で、伝票の整理を続けていた。手は動かしながら、耳だけを澄ませる。


手は動かしながら、耳だけを澄ませる。グレイルの調査は午前中で核心に達したらしい。伝票の紙質の違いを指摘され、支所長が取り乱し始めたという話が、職員の間に囁かれていた。


昼過ぎ、グレイルがカイを呼んだ。三十分ほどして、カイが戻ってきた。表情は変わらないが、歩き方が少し軽い。


わたしは席で待ちながら、窓の外を見ていた。リンデの空は青く、雲がゆっくり流れている。


この平穏な空の下で、人の運命が静かに動いている。支所長の運命も、わたしの運命も。


そして、夕方。グレイルがわたしの前に立った。


「君がレティか。話は聞いている。少し時間をもらえるか」


別室に通された。グレイルは向かいに座り、わたしが送った書簡と、写しの束を机に広げた。


「見事な資料だ。時系列の整理、相場との比較、すべて筋が通っている。これを一人で?」


「仕入れの相場確認は、カイさんに同行していただきました」


「正直に答えてくれるのはいい。──では、もう一つ。君の本名は」


心臓が跳ねた。だが逃げ場はない。ここで嘘をつけば、すべてが崩れる。


「レティシア・グランヴェールです」


グレイルの目が細くなった。


「グランヴェール。──ああ、あの家か。名前は知っている。今は没落したと聞いていたが」


「はい。家も領地もありません。身寄りもなく、この街に流れ着きました」


隠すことは何もない。隠す必要も、もうない。


証拠は本店に届いた。あとは事実が語る。


グレイルはしばらく考え込み、それからゆっくりと口を開いた。


「支所長は本日付で解任する。ペルム商店との取引は凍結。ベルツについても調査を行う」


淡々とした宣告だった。だが一つひとつの言葉に、重みがある。


「君の告発がなければ、この不正は見過ごされていた。商会として、礼を言う」


「わたしは……ただ、おかしいと思ったことを報告しただけです」


「それができる人間は少ない。──カイからも聞いた。君は優秀だ。試用期間の終了を待たず、正式採用としたい。異存はあるか」


異存。あるはずがない。


この瞬間を、何度想像しただろう。路地で倒れていた日から、品書きを書いた夜から、伝票の不正に気づいた瞬間から。すべてが、この一言に繋がっていた。


「ありがとうございます。謹んでお受けします」



グレイルが去った後、支所は静まり返っていた。支所長の机は、もう空だった。


閉所後、わたしは一人で机に向かっていた。正式採用の書類に、名前を書く。


レティシア・グランヴェール。この世界での、本当の名前。


ペンを置き、乾くのを待つ。レティシア・グランヴェール。


没落貴族の、身寄りのない娘。だけど今は、それだけではない。


ヴァイス商会リンデ支所の正式な書記。自分の力で手に入れた肩書き。


背後に気配がして振り返ると、カイが立っていた。


「……終わったな」


「はい」


カイは机の端に手をつき、少し考えるような顔をした。


「パン屋、明日の昼でいいか」


思わず笑った。こんな場面で、約束を覚えていてくれたことが、嬉しかった。


「はい。明日の昼に」


カイが頷き、背を向ける。その後ろ姿を見送りながら、胸の中に温かいものが広がる。


最初の戦いは終わった。支所長は去り、不正は暴かれた。


だが勝利の高揚はなかった。あるのは静かな達成感と、そしてすぐに浮かんでくる次の問いだ。


これで本当に終わりなのか。不正の根は、もっと深いところにあるのではないか。


でも──これで終わりではない。グレイルが去り際に、小さな声で言った言葉が、耳に残っている。


『グランヴェール家の没落には、もう少し複雑な事情があるようだ。──君自身が、調べた方がいいかもしれない』


父の死と没落。遠縁の親族の拒絶。そしてあの声──『そういう手を、打ってあるからね』。


正式採用の書類を書き終え、インクが乾くのを待つ間、窓の外を見た。リンデの夕暮れは橙色が深い。


この景色を、わたしは好きになっていた。最初は生き延びるためだけにいた街が、いつの間にか居場所になっている。


マルタの宿の匂い、酒場の喧噪、朝市の声。すべてが、わたしの日常になっている。


思えば遠くまで来た。あの朝、知らない天井を見上げた日から。


名前も記憶もなく、銅貨が数枚あるだけだった。それが今では、正式な書記として商会に名を連ね、不正を暴き、次の戦いに向かおうとしている。


前世の自分が聞いたら信じないだろう。だけどこれは夢ではない。わたしの手で掴み取った現実だ。


次に暴くべき嘘は、もっと深い場所にある。

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