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才色兼備で文武両道のはずが、気づけば悪役令嬢の席に座っていました  作者: 渚月(なづき)
第2章

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第14話 雨上がりの手

王都での会議を終え、リンデに戻ったのは、雨の日だった。馬車を降りると、石畳が濡れて光っている。見慣れたリンデの街並みが、なぜか懐かしかった。


宿に荷物を置くと、マルタが黙ってスープを出してくれた。王都の話を聞きたそうな顔をしていたが、わたしの表情を見て何も訊かなかった。その気遣いが、ありがたかった。


その気遣いが、ありがたかった。マルタは言葉よりも行動で人を支える。温かいスープ一杯が、百の言葉よりもわたしを癒してくれる。


翌日から、カイと二人で登記所への閲覧申請の準備を始めた。商会の正式な業務として申請するには、それなりの書類が必要になる。カイが表の手続きを担当し、わたしが裏の資料──グランヴェール家の旧領地に関する情報──を整理する。


商会の正式な業務として申請するには、それなりの書類が必要になる。取引先の土地情報調査という名目で、申請書を作成した。


嘘ではない。ドルーク家は商会の取引先に関わっているのだから。ただし、調査の真の目的を記載していないだけだ。


一週間後、申請が通った。


閲覧のために再び王都へ向かう必要があったが、今回はカイだけが行くことになった。わたしが王都に頻繁に姿を見せれば、セレナの目に留まるリスクが高まる。


「お前はリンデで待て。登記所の資料は俺が書き写してくる」


「……お願いします」


カイを見送るとき、胸が締めつけられた。任せることの難しさ。前世でも、自分でやった方が早いと思う仕事を人に委ねるのは苦手だった。


だけど、これは一人で抱え込む話ではない。第5話で学んだことだ。


正しい場所に、正しい人を置く。信頼とは、そういうことだ。


カイを待つ三日間は、長かった。支所の仕事をこなしながらも、気づけば窓の外を見ている。


馬車の音がするたびに、入口に目を向けてしまう。自分でも可笑しいと思ったが、止められなかった。


支所の仕事をこなしながらも、気づけば窓の外を見ている。馬車の音がするたびに、入口に目を向けてしまう。


自分でも可笑しいと思ったが、止められなかった。マルタに「落ち着かないねえ」と言われて、初めて自分の落ち着きのなさに気づいた。


カイが不在の三日間、わたしは支所の業務をこなしながら、これまでに集めた情報を整理した。ドルーク家の商業ネットワーク、グランヴェール家との関係、父の死の前後の出来事。紙の上に、すべてを並べる。


ドルーク家の商業ネットワーク、グランヴェール家との関係、父の死の前後の出来事。紙の上に、すべてを並べる。


点と点を線で繋ぐ作業。前世では「マインドマップ」と呼ばれる手法を使っていた。


この世界にそんな言葉はないが、やり方は同じだ。中心にドルーク家を置き、放射状に関連情報を配置していく。


三日目の夕方、カイが戻った。


出張所の扉が開いた瞬間、安堵で膝が緩みそうになった。カイは旅の埃をかぶっていたが、歩き方に疲労の色はない。


この人は身体も強いのだ。そして、カイの顔を見て分かった。


何かを掴んできた、と。その目に、静かな確信がある。


出張所の扉が開いた瞬間、カイの顔を見て分かった。何かを掴んできた、と。



閉所後、二人きりの支所で、カイが書き写してきた資料を広げた。


「ヴェルナーの言った通りだ。グランヴェール家の旧領地は、市場価格の三割以下で売却されている。しかも、入札に参加したのは一社だけだ。ドルーク家の関連商会だけが入札し、他に参加者がいない」


「入札の告知は?」


「登記所の記録では、告知は通常通り出されたことになっている。だが、告知期間が異常に短い。通常二週間のところが、わずか三日だ」


三日間の告知。それでは、ほとんどの買い手が気づく前に入札が終わる。形式的には合法だが、実質的には出来レースだ。


「もう一つ。この売却を管理した役人の名前を確認した。──ドルーク家の当主、アルベルト・ドルークの推薦で就任した人物だった」


繋がった。ドルーク家の当主が推薦した役人が、意図的に入札告知を短くし、自分の関連商会だけが入札できるように仕組んだ。そして市場価格の三割以下で領地を買い叩いた。


父の借金が膨らんだのも、本当に偶然だったのだろうか。


「カイさん。父の借金について、もう少し調べたい。借金の相手先が、ドルーク家と繋がっていた可能性があります」


カイは頷いた。


「そこまで繋がれば、グランヴェール家の没落はドルーク家が仕組んだものだと証明できる」


大きな絵が見えてきた。ドルーク家は、グランヴェール家の領地を手に入れるために、借金を膨らませ、父を追い詰め、屋敷と領地を安値で奪った。そしてわたしを排除し、真相が露見しないようにした。


怒りが、静かに燃えている。だけど、感情では動かない。証拠で動く。


資料をしまい、支所を出ようとしたとき、入口でカイと鉢合わせた。カイは扉を押さえて、わたしを先に通した。


外は、雨上がりだった。濡れた石畳に、夕暮れの光が反射している。空気が澄んで、遠くの山の稜線まで見えた。


「レティシア」


「はい」


カイが隣に立った。並んで、雨上がりの街を見ている。


「王都の登記所で、係の人間に言われた。「グランヴェールの土地について調べる人間は初めてだ」と」


誰も、疑問に思わなかったのだ。没落した小さな貴族の土地が、不当に安く売られたことを。


「……わたしが声を上げなければ、誰も知らないままだった」


「ああ。だからお前がやる意味がある」


カイの手が、ふいに伸びた。わたしの手に──ではなく、わたしの手が持っていた資料の束に触れた。一瞬だけ、指先が重なった。


どちらも手を引かなかった。ほんの二秒ほどの出来事。


だけどその二秒が、永遠のように長く感じた。指先から伝わる温度。カイの手は、わたしが思っていたより温かかった。


雨上がりの風が、頬に冷たかった。けれど、隣を歩く人の温度を、今はっきりと感じていた。この手の温もりを、わたしはきっと忘れない。


どちらも手を引かなかった。ほんの二秒ほどの出来事。


カイは何も言わず歩き出し、わたしもその隣を歩いた。


雨上がりの風が、頬に冷たかった。けれど、隣を歩く人の温度を、今はっきりと感じていた。


リンデの夜は、雨上がりの後が一番美しい。濡れた石畳が街灯の光を反射し、街全体がかすかに光っているように見える。


カイと並んで歩く夜道。足音が二つ分、石畳に響く。


その音が、不思議と心地よかった。一人の足音には慣れていた。


二人分の足音は、まだ新しい。だけどもう、手放したくない響きだった。


宿に戻り、マルタに「ただいま」と言ったとき、マルタが「おかえり」と返してくれた。それだけの言葉が、こんなにも温かい。


この街に来た日、マルタは「食べな」と言ってくれただけだった。今は「おかえり」と言ってくれる。その変化の中に、わたしがこの場所に根を下ろした証がある。


──証拠はあと一つ。父の借金の出所を突き止めれば、すべてが繋がる。

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