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才色兼備で文武両道のはずが、気づけば悪役令嬢の席に座っていました  作者: 渚月(なづき)
第2章

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第12話 血筋という鎖

王都は、リンデとは別の世界だった。石造りの建物が何層にも重なり、通りには馬車がひっきりなしに行き交う。


人の波、声の波、匂いの波。すべてが圧倒的な量で押し寄せてくる。


リンデの十倍は人がいる。声が重なり、匂いが混じり、視界に収まりきらないほどの情報量だ。


前世の大都市を思い出した。あの雑踏の中で生きていた記憶が、不思議と安心感をくれる。人混みの歩き方は、覚えている。


わたしはカイの半歩後ろを歩きながら、目だけを動かして街を観察していた。商店の規模、看板の質、通行人の服装。リンデとは経済の桁が違う。


カイは王都に来るのが初めてではないらしく、迷いなく道を選んでいた。街の構造を把握する能力が高い。


地図を一度見れば、主要な道は覚えてしまうのだという。孤児時代に街を歩き回って培った能力だそうだ。生い立ちの厳しさが、そのまま生存能力になっている。


ヴァイス商会の本店は、商業区の一角にある堂々とした石造りの建物だった。正面には商会の紋章が彫られ、出入りする人間の身なりも立派だ。


全体会議は翌日から三日間。初日は各支所の報告、二日目は商会の方針議論、三日目は取引先との交流会だという。


宿に荷物を置き、本店への挨拶を済ませた夕方、カイが言った。


「明日の報告で、リンデ支所の実績を発表する。お前が作った資料を使う」


「わたしの名前は出さないでください」


「分かっている。だが、資料の質を見れば、誰が作ったか察する人間はいるだろう」


それは覚悟の上だ。目立たず、しかし実力は示す。その綱渡りを、ここでもやるしかない。


宿の部屋で、鏡に映る自分の顔を見た。銀色の髪はリンデにいた頃より少し伸びて、肩にかかっている。


痩せていた頬にも、わずかに肉がついた。マルタのご飯のおかげだ。


もう「路地に倒れていた小娘」の面影はない。だけど油断はできない。



会議初日。各支所の報告が淡々と続く中、カイの発表は異彩を放った。


不正の発覚と対処、その後の再建、そして新たな仕入れ先の開拓による利益回復。事実を簡潔に並べただけだが、その内容自体が他の支所とは次元が違っていた。


会議室の空気が変わったのが分かった。本店の幹部たちがカイを見る目に、敬意が混じる。


そしてわたしは、末席で議事録を取りながら、もう一つの観察をしていた。会議に出席している人物の中に、ドルーク家の関係者がいないかを。


二日目の午後、それは見つかった。


商会の方針議論の席に、一人の女性が加わった。年齢はわたしと同じくらい。


金色の巻き毛に、宝石をあしらった衣装。歩き方から指先の動きまで、すべてが「上位貴族」を示している。


レティシアの記憶が微かに反応する。この所作、この姿勢。


没落する前のグランヴェール家の晩餐会で、似たような動きをする貴婦人を見たことがある。だが、セレナの動きはもっと洗練されている。現役の貴族と没落した貴族の差が、こんな細部に表れる。


「ドルーク家のセレナ様です。当商会の主要出資者の代理としてご出席いただいています」


本店の幹部がそう紹介した瞬間、わたしの背筋に冷たいものが走った。


ドルーク家。しかも代理として会議に出てくるということは、商会への発言力を持っているということだ。


セレナは微笑みながら席に着いた。穏やかに見える。


だが、その目がわたしの方を一瞬だけ捉えた。視線が触れた感覚がある。


偶然か。それとも──。


視線が触れた感覚がある。偶然か。


それとも──。わたしは視線を逸らし、議事録に目を落とした。手が震えそうになるのを、ペンを強く握ることで抑える。


会議後、廊下を歩いていると、背後から声がかかった。


「あなた、リンデ支所の方ね」


振り返ると、セレナが立っていた。近くで見ると、目の色が薄い紫だった。美しいが、どこか探るような光がある。


「はい。書記のレティと申します」


「レティ。素敵な名前ね。──どこかで会ったことがあるかしら。あなたの顔、少し見覚えがある気がするの」


心臓が凍った。見覚えがある──それは、わたしがグランヴェール家の人間だと気づかれかけているということか。セレナがドルーク家の姪なら、幼い頃にレティシアを見たことがあってもおかしくない。


「いえ、お初にお目にかかります。地方の出ですので」


セレナは数秒、わたしを見つめた。それから、ふわりと微笑んだ。


「そう。気のせいね。──でも、良い書記をお持ちね、カイ支所長は。リンデ支所の資料、見事だったわ」


去っていく後ろ姿を見送りながら、指先が冷たくなっていた。


気のせいではない。セレナは探りを入れてきた。


そしてわたしは──まだ、尻尾を掴まれていない。だが時間の問題かもしれない。


その夜、宿の部屋でカイに報告した。


「セレナ・ドルークに声をかけられました。顔に見覚えがあると言われました」


カイの表情が引き締まった。


「探りか」


「分かりません。でも、警戒すべきだと思います」


カイは窓辺に立ち、しばらく黙っていた。夜の王都の灯りが、窓から差し込んでいる。


「明日の交流会には、できるだけセレナと距離を取れ。接触は最小限にしろ」


「はい」


「それと──」


カイが振り返った。いつもの無表情だが、目の奥にはっきりと心配の色がある。わたしには、もう読み取れるようになっていた。


わたしには、もう読み取れるようになっていた。カイの感情の微細な変化が。それは、長い時間を共に過ごしたからだ。


「何かあったら、すぐに俺のところに来い。一人で抱えるな」


その言葉が、思いのほか胸に染みた。一人で戦うことに慣れすぎていたのかもしれない。


「……はい。ありがとうございます」


カイが部屋を出た後、わたしはベッドに座って、冷たくなった指先を握りしめた。


ドルーク家は、すぐそこにいる。真実も、すぐそこにある。だけど手を伸ばせば、相手もこちらに気づく。


血筋という鎖が、わたしの足を掴もうとしている。それを断ち切るには、もっと確かな証拠が要る。


セレナとの最初の接触を終えた夜、宿の部屋で一人、今日のやり取りを反芻した。セレナは探りを入れてきた。


だが同時に、わたしの能力を認めるような発言もしていた。「良い書記をお持ちね」という言葉は、社交辞令以上の重みがあった。


セレナは敵か味方か。まだ分からない。


だが、一つだけ確かなことがある。セレナもまた、何かを探している。


眠れない夜だった。ベッドに横になっても、セレナの薄紫の瞳が頭から離れない。


あの目には、探りだけではない何かがあった。哀しみに似た光。


もしかしたらセレナもまた、ドルーク家の中で孤独なのかもしれない。権力の中心にいるからといって、幸福とは限らない。


わたしは没落貴族として外から家名に苦しんだ。セレナは有力貴族として内から家名に苦しんでいるのかもしれない。


──そしてその証拠は、明日の交流会で見つかるかもしれない。

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