重ねたもの 四
紀一郎は遺書を書き上げた次の日、この世を去った。
桃坂家の当主は遺言通り、響介が選ばれた。禄士郎も今後をどうするかを問われたが独り立ちができるまでは桃坂家に留まること選んだ。理由としては外の世界に頼れる相手がいないからだ。
そして紀一郎は持っていた遺産を響介と禄士郎のみに分配することを唯んごんしょに付け加えていたようだ。
響介には桃坂の財貨。禄士郎には鍔のない刀だった。
「兄さん、この刀は…」
「禄士郎が持っている鍔が元々付いていた刀だよ。本来は桃坂の当主に引き継がれ続けてきた刀なんだけどね」
「え…じゃあこれは兄さんが持つべきじゃ」
「禄士郎は嫌かと思うけど、それはお前が持っていて。ここだけの話、私の代で桃坂を作り変えるよ。父の血は私で終わらせる。腐りきった桃坂も復興させる。今まで以上に分家から反感を買うことになる。禄士郎、自分の命を一番に優先してくれ。いいね?」
「…分かったよ」
大きく変わったのは桃坂家の使用人もだった。
信用できる使用人のみを残し、ほかの使用人はすべて解雇となった。響介の言っていたことは本気だったらしい。
そして祐司も変わった。毒見役から世話係に昇進したのだ。
傷の手当をし、風呂場では背中を流し、果てには禄士郎のご飯を全て祐司の手で作られるようになった。
そんな生活が半年が続き、庭には雪が積もり始めていた。
「禄士郎様、学校の件どうするんすか?」
「あー…あれね」
動かしていたペンを止め、響介に提案されていたことを禄士郎はぼんやりと思い出す。
次の春から学校に通ってみたらどうかと提案されたのだ。
外の世界を知るにはいい機会かもしれないが、禄士郎にはあまり学校というのは魅力的だと思えなかった。
勉強は学校に行かなくてもここでできる。学校に行かず、家庭教師で勉学に励む貴族もいると聞いた。
それ故に禄士郎は通うかどうかを迷っているのだ。
「行けばいいじゃないっすか」
「興味が湧かないってのが本音。祐司は行ったことあるんでしょ?どうなの?」
「あるって言っても小学校だけですけどね~。俺は楽しかったっすよ!勉強は苦手だったんでよく授業中に寝てたっすけど!」
「想像つくなぁ、それ」
ヨダレを垂らしながら突っ伏し、教科書を濡らしている祐司が頭の中で浮かぶ。
ついこの間も「自分も一緒に勉強するっす!」と言って一時間も経たずに船を漕いでいた。
だが祐司は仕事に対して勤勉だ。勉学というより学ばなくちゃいけないことを正確に選別し、分からないことは必ず聞いて着実に身につけている。
「祐司は中学校には何で行かなかったの?」
「お金が無かったので元々行く気はなかったんですよねぇ。でも結果としてここで毒味役として奉公できてるので特に問題なしっす!むしろ中学では学べなさそうなことも学べてるので得っす!」
「例えば?」
「毒の種類とか!」
確かにそれは中学で学ばないだろう。学校に行ってない禄士郎でもそれは分かる。
興味が湧く湧かないは別として、結論を来月までには出さないといけない。
学校に行くことも幸せになることに繋がるなら行くべきだ。
(母さんならこういう時どうするかな…)
禄士郎は高尾の生い立ちを人伝からしか聞いてない。
いくら考えたところで高尾からの『行け』や『行くな』などの答えはない。
時間というのは残酷なもので嘘で作り上げる高尾との思い出は縷々と語れるのに、本物を思い出すことが難しくなっている。
あれほど聞いていた高尾の声が上手く思い出せない。顔もずっと靄で隠れたまま。
だが幸せになれという言葉は刺青のように心に残っている。
「あ、自分、夕餉の準備をしてくるっす!」
「もうそんな時間か。ありがとう祐司」
「うっす!」
世話係となり、給金も上がったというのに言葉遣いは未だに治っていない。
祐司は祐司なりに禄士郎の友として傍にいることを全うしている。度々、香山に注意されているが事情を禄士郎が伝えたことでこの関係は途切れることなく続いている。香山には感謝しかない。
すると机の隅に禄士郎がのものじゃない筆記帳が残っていた。
(あ、筆記帳忘れてる、あいつ)
祐司のことを蒲公英が生えたやつと思っていたが、最近は時折蒲公英が生えた犬に見える現象が起きている。
こうして持ち物を禄士郎の部屋に忘れていく。そして思い出しては「忘れ物ー!」と部屋に突撃してくることがほとんどなのだが、今日は来ないようだ。
筆記帳に何を書いているか、禄士郎は知っていた。だが人の筆記帳を見るのも良くないと分かっていても気になってしまう。
禄士郎はペンを置き、筆記帳を捲った。
そこには聞いていた通り、これまで禄士郎に出した料理の作り方が書かれていた。
材料、手順、作った感想、それら全てが祐司の言葉と字で書かれている。
面白いのが料理を作り食べた感想の所に禄士郎の感想も書かれているのだ。
『あんまり好きそうじゃなかった』『食べ切るのが早かった!好きなのかも!』『白米と一緒に食べる回数が多かった。禄士郎様には味が濃かったのかも』など。
「どれも美味いんだけどね。ほんと、よく見てるなぁ」
禄士郎にとって祐司との関係は心地よく、嬉しかった。
もっと違う形で出会いたかったが、それはそれで違う関係性になっていたかもしれない。
だからこそ、学校に行くことを躊躇し、禄士郎は祐司との何気ない時間を減らしたくないと思ってしまうのだ。
分家からの刺客は変わらず命を狙いに来るが、それでも安らぐ時間が少しだけ増えたのは事実だ。
(あの物置小屋で過ごすよりはマシになったかな)
これが幸せと呼ぶことに気づいたのは響介に学校の件のことを話そうと決めた日だった。
その日の夕餉は祐司が作ったものではなかった。
事情を聞くと祐司は香山の付き添いで外出していたため、何も知らなかった新入りの使用人が禄士郎の分の料理を作ってしまったのだ。
また帰りが遅かった祐司も夕餉を作る時間も無く、禄士郎は気を遣って使用人が作った夕餉を食べることにした。
祐司ほどではないが禄士郎も祐司のことを理解していた。料理の中に茄子の煮びたしがあった。茄子は祐司が食べられない食材だった。
茄子を多く食べると拒絶反応が出てしまうらしく、医者にもあまり食べるなと言われていたそうだ。
今までの毒見の際も茄子が出たらなるべく避けるか、少量しか食べなかった。
だから禄士郎は茄子の毒見はしなくていいと言った。新入り使用人の作ったものだが、ここに奉公に来る前に徹底的に身辺調査が行われるようになったため、あまり疑っていなかった。
祐司も納得してくれるかと思ったが力強く首を横に振り、いつもの太陽な笑顔を浮かべた。
一口だけなら大丈夫っす!、と口に含んだ。
祐司は茄子を食べた直後、血を吐いて倒れた。
すぐさま香山を呼んだが現れたのは血相を変えた女中達だった。
混乱する禄士郎の耳に入れられたのは今しがた分家の襲撃に遭い、響介の部屋が燃えていること。そして響介と香山が重傷で本邸にいる使用人達総出で消火活動、響介達の救出が行われていること。
禄士郎は血を吐き続ける祐司を背負い、戦える数人の使用人を連れて医者の元へ向かった。
結果として祐司は死に、響介と香山は助かった。だが響介の足は動かなくなった。
平和ボケしていた自身を呪った。治まっていた嫌悪が湧き上がり、また肌を搔きむしった。
もう掻きむしる手を止める友はいない。その事実がより一層、嫌悪と呪いに油を注いだ。
のちに明らかになった話だが夕餉を作った新入りの使用人は分家の手先だった。
祐司が茄子を食べれないこと、禄士郎と祐司の関係性、それらを知ったうえで禄士郎は毒見されていない茄子の煮びたしを食べると推測し、今回の騒動を起こした。
もちろん火を放ち、響介を襲ったのも同じ使用人だ。香山が相打ち覚悟で殺したらしい。
無理にでも奪い取って食べていれば良かった。そうすれば祐司が死ぬことはなかったのに。
禄士郎は後日、初めて頭を下げ、額を地面に擦りつけた。
頭を下げた相手は祐司の家族だ。祐司の父親は毒見とはそういうものだと禄士郎に土下座をやめさせようとした。
だが祐司が金を稼ぐ理由になっていた弟と妹達は母親に止められながら、禄士郎に向かって何度もお兄ちゃんを返せと泣き叫んでいた。
許されようと思っていない。毒見役なのだからこうなる運命もあったのだと思う気もない。
だからこそ祐司の宝物の泣き声がは何年経っても褪せることなく、今も聞こえる。
失い、壊され、壊した中で禄士郎は考え、選び続けた。壊れない幸せを手に入れる為に。
禄士郎は自室の鏡を見て自身の顔を見る。
祐司は確かこう笑っていたはず。いつか見た時の写真の高尾はこう笑っていた。
高尾は紀一郎を愛していない。高尾の幸せは禄士郎と家族でいられたこと。ならば禄士郎の成長を喜ぶはず。
自然に見えるように造作した微笑みを張り付け、響介の元へ向かう。
学校に行きたいと伝えるために。




