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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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重ねたもの 三

「禄士郎様は友達とかいなんすか?」

「向こうは友達と思ってない友達はいるかな」

「…あの、禄士郎様、自分は友達って思ってるんで大丈夫っすよ」

「慰めるの苦手ならやらないほうがいいよ、祐司」


 刺客の首を切り落とした日から手に包帯を巻く係が香山から祐司へと変わり、給与も少し上がったそうだ。

 香山に比べて包帯の巻き方は下手だが、本人は隠れて練習しているらしいので禄士郎は特に何か言及する気もなかった。


「今日も旦那様のところに行くんすか?」

「それがここに来させられた理由だからね」

「逃げないんすか?」

「は?」

「だから逃げないんですかって?」


 なんの危機感もなく聞いてくる祐司に対して禄士郎は横目で扉を見る。扉の向こうに人の気配はない。誰かに今の発言を聞かれた可能性は低いと思って大丈夫だろう。

 禄士郎はため息を吐き、祐司の額を軽く叩いた。わざとなのか分からないがこんなところでする発言にしてはあまりにも危ない。


「何するんすか!」

「あのね、そういう発言はすっるもんじゃないよ。今は当主争いでここは戦場。いつだれが何を聞いてるか分からないんだから」

「…もしかして禄士郎様って優しいですか?」

「ソウダネ、ヤサシイネ」


 人に好かれる人間はこういう人間なんだろうな、などと考えていれば振り子時計の鐘が鳴る。

 今日も十三時を告げる鐘が鳴ってしまった。

 禄士郎は椅子から立ち上がり、扉へと向かうが何故か祐司もまた後ろからついてくる。

 あくまで祐司は禄士郎の毒見役なのであって側仕えではない。

 禄士郎は紀一郎の部屋に向かいながら祐司に言葉を投げた。


「今まで来なかったのにどういうつもり?」

「自分は毒見役ですけど、側仕えの仕事をすると給与が上がることが分かったのでついて行こうかと」


 祐司が金を必要としているのは知っているが、半分は好奇心で来ているのだろう。

 特に見られて困ることもない。部屋の中で行われていることを広められたとしても別に構わない。

 だがせっかくの毒見役が死なれても困る。


「珈琲が出されるんだけど毒見で飲まなくていいから」

「え?何でですか?」

「俺、珈琲は嫌いだから」


 紀一郎の部屋に着き、扉を軽く叩いた。


「禄士郎です」


 いつものように無言で扉が開く。

 だが今回はいつもと少し違う。禄士郎の後ろにいる祐司の方に紀一郎は視線を動かした。


「世話役の伊坂です。伊坂も同席させたいです」

「…そうか。二人とも入れ」


 言われた通り、祐司を連れて部屋に入る。

 禄士郎はソファに座り、祐司は禄士郎の後ろに立つ。

 そして使用人が部屋に入り、珈琲を置いていく。今日も用意された珈琲は飲む気はない。


「高尾の話をしてくれ」


 表情一つ変えず、紀一郎は万年筆を滑らせながら言う。

 そして禄士郎もまたありもしない高尾との思い出話を話す。

 一時間が経ちそうになり、話を切り上げようとした刹那、紀一郎が禄士郎に呼び掛けた。

 いつもとは違う行動に禄士郎は少しだけ目を見開いた。


「今日はもう少し残ってくれ。私から話がある」

「…わかりました。伊坂は」

「伊坂、お前は部屋を出なさい」


 出ていくように命令された祐司は大人しく返事をして部屋を出て行った。

 話とは何なのか。祐司に聞かれたくないことなのかと紀一郎を訝しげに見るが本人の表所は特に変わらない。

 次に紀一郎は呼び鈴を鳴らした。

 程なくして使用人が部屋に入り、今度は果実水を注いだグラスを禄士郎の前に置いて出て行った。

 何を考えているのか、分からない。以前に珈琲を飲まないと言ったからわざわざ用意させたのか。

 

「果実水だ。甘めに作らせた」


 どうやら紀一郎の気遣いだったようだ。

 だが禄士郎はそれでも飲む気はない。珈琲が嫌いなのは本当だが、紀一郎が用意させたものを飲むのも嫌なのだ。

 ゆっくり談笑する気もない。禄士郎は早々に口を開いた。


「話って何ですか?」

「ああ、そうだな。今、私は遺書を書いている」

「は…?」

「自分の死期くらい分かる。私はそういう体質だからな。遺書には響介に当主を継がせること。お前が望むなら桃坂家の除籍、将来の援助を必ず行うことを書いた。お前が遊郭で稼いだ金に関しても店主から預かった分がある。それも必ず渡す」


 いきなりの宣言に禄士郎は言葉が出なかった。

 反対に紀一郎は椅子の背もたれに背中を預け、ゆっくりと禄士郎を見る。その顔は重荷を下ろしたかのような安どの色が少し浮かんでいた。


「死ぬ前に聞かせてほしい。高尾がどうやって死んだのか」

「…話す前に俺が貴方に母さんのことで聞く権利もあるよね」


 腹が立った。喜んだのもつかの間、この男が勝手に解放されたかのような心地になっていることに腹が立ったのだ。

 紀一郎がどういう人生を歩んできたのかは知らない。平穏に過ごせなかったのも容易に想像できる。

 だが己の欲を振りかざし、禄士郎や高尾を苦しめたことを忘れているのだろうか。

 

「そうだな。何が聞きたいんだ?」

「何で母さんをすぐに身請けしなかったの。母さんにそれだけ執着するなら周りに反対されたとしてもできたでしょ」

「事情が重なってすぐに身請けはできなかった。それだけだ」

「だから俺に母さんの思い出を語らせた訳ですか?」

「ああ。高尾は俺よりもお前と過ごしている時間が多い。そう聞いている。それにお前は高尾によく似ている。お前を見ていると高尾を思い出すことができる」

「…どうして遊女の女を好きになったんですか。偽物の色恋に本気になるほど貴方は馬鹿じゃないでしょう?」

「最初はただの付き合いで行っただけだった。だが高尾に出会って惹かれた。欲しいと思った。高尾さえいてくれるなら何でも良かった」


 淡々と紀一郎は禄士郎の質問に答える。

 これ以上、この男と話せば刀を抜きかねない。寿命の前に己の刀で糸を切ってしまいそうだ。

 静かに怒る禄士郎が見えてないのか、紀一郎はまだ話し続ける。


「お前もそのうち分かる。愛する女が私を意識した時の瞳は何物にも代えがたいことに。高尾がいない世界は何もない。早くあいつの元に行きたいんだ」

「そう…。なら教えてあげるよ、母さんの最後。あの人は俺を生んだ後、流行り病に蝕まれて死んだ。お前みたいな人間なんて愛するんじゃなかったって恨み言を吐いてたよ。母さんは少しもお前のこと愛していなかった!これで満足か!」


 病気以外は嘘である。高尾は紀一郎のこと最後まで愛していた。

 だけどそんなことこんな男に伝えたくもない。後悔を抱えて死ねばいい。

 禄士郎は叫んだ後、紀一郎の顔を見ることもなく部屋を出た。

 扉の近くで心配そうな顔をしている祐司が見えたが無視して自室に戻った。

 怒りで欠陥がはち切れそうだ。紀一郎を理解しようなんてこれっぽっちも思っていなかった。分かり合えるとも思っていなかった。それでも胸から湧き上がる嫌悪感が体中を蝕む。

 この体に同じ流れていること、その事実が嫌悪感に拍車をかける。

 シャツを脱ぎ、肌を爪で搔きむしる。痒くて、気持ち悪くて仕方がない。

 掻きむしった箇所から赤く染まり、血が滲みだす。


「禄士郎様!ダメっす!やめてください!」

「…うるさい。金が欲しいなら首を突っ込むな」

「でも俺は…!」

「関わるなって言ってるんだよ!」


 祐司を拒みながらも肌を掻き続ける。

 嫌悪が虫のように体中を駆け巡って蠢く。

 桃坂と関わりのない子供だったらどれほど良かったか。

 生活の質が良くても襲いかかる嫌悪と割に合わない。

 これで尚且つ顔も見た事ない分家に命を狙われるわけだ。


 (どれだけ幸せになる為に動いても、考えても、この血が流れてる限り俺は幸せになれない)


 刹那、掻きむしる禄士郎の手が掴まれた。掴んだのは祐司だった。

 その表情は怒りで満ちており、まるで鏡合わせのようで自身の表情を見ているようだった。


「確かに家族の為に金が必要っす。自分にできることなんて限られてるっす。だからって傷つき続けてる禄士郎様を見て見ぬふりをするのは違うじゃないですか!俺をあの人達と一緒にしないでください!」


 祐司が怒る理由が突き放そうとする禄士郎に対してだった。

 察しのいい祐司なら分かったはずだ。紀一郎に思い出を語っていた空間が如何に異様だったか。

 それが毎日行われ、禄士郎も響介も紀一郎の実の息子だからという理由で命が狙われ、人間の欲と命の危機と隣り合わせ。

 これまでそんな世界とは無縁で生きてきた祐司に何が分かるというのだろうか。


「言ってる意味が分かってる…?俺の味方になるってことがどれだけ危険なことか」

「おかげで覚悟決まったっすよ。やれることを全力でしてやるっす!」

「祐司に何も得もないよ」

「これから得になるんですって!」


 怒りに満ちていた瞳が今はやわらぎ、いつもの太陽のような眩しい笑顔が目の前にあった。

 いつもならこの笑顔が鬱陶しく感じるのに、今は痛いくらいに傷に沁みていく。


「…どういう得になるの」

「まずは給与が上がること、あとは…あ!禄士郎様に友達が増えます!」

「誰が友達になるわけ?」

「俺っす!」

「阿呆じゃん」


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