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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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重ねたもの 二

生きるには教養は必要。売れている高級遊女を見て学んだことだ。

 馬鹿は愛されやすいが飽きられるのも早い。知識があれば人から嫌われることはあっても誰かに依存して生きるという選択肢は減る。

 禄士郎は与えられた教科書を眺めながら紙に文字を書き出していく。


「へえー、禄士郎様って字ィ、綺麗っすね」

「ありがと」

「なんで『お』と『を』って同じ音なのに文字は違うんですかね?」

「…さあ」

「あ!今ちょっと気になったすね!」


 半眼になった禄士郎は紙を眺める少年を見た。

 禄士郎が毒を盛られてから毒見役が付けられることになった。その毒見役こそ、この呑気で旋毛(つむじ)から蒲公英(たんぽぽ)から生えてそうな少年である。

 名を伊坂祐司(いさかゆうじ)と言う。


「気になるなら伊坂が調べればいい。分かるまで俺に話しかけないで」

「じゃあ、しょうがないっすね!大人に聞いてきます!」


 祐司ははしゃぐ犬のように元気よく部屋を出て行った。

 これで今日の勉強の時間は静かになるだろう。

 最初は祐司の勢いに困惑する日々だったが慣れてしまえば扱いやすい。

 静かになった部屋には時計の針の音とペンを滑らせる音だけが奏でられている。

 このまま時間が過ぎればいい、と思っていたのもつかの間。

 奏でられていた音は突如として轟音でかき消されてしまった。

 ド派手な登場である。部屋の窓ガラスを割り、挨拶も無しに刀で斬りかかってきた。

 自身も刀を武器として使っているので言える立場ではないが今の時代に刀でただの斬りつけてくるのは時代遅れじゃないか。


 (ただの武器に興味はないんだよな)


 禄士郎は机の引き出しから銃を取り出して三発、発砲する。

 連続で撃ったせいで軽量に改良した銃は壊れてしまったがそれも想定内。そして分家が香山がいない時に襲撃を仕掛けてくるのも想定内。

 壊れた銃を刺客に投げ飛ばし、その隙に心臓から糸を引き抜いて刀を紡ぎ上げる。

 人を斬り始めてから人から奇妙な糸が見え出した。その糸は刀では切れなかったが、人を殺めれば糸は消失する。

 そして何度も糸が消える光景を見た禄士郎は見える糸は人の命と判断した。

 それから遊郭にいる間に試行錯誤を繰り返し、自身の心臓から糸を引き抜くことができること、糸で想像の刀を作ることができることを知った。

 武器の精度は想像力があればあるほど、正確であればあるほど現実的で強力な武器を紡ぐことができる。

 禄士郎は音羽ほど想像力豊かではないので実際に使っている刀を模倣するのが精一杯だが。

 遊郭にいた頃は紡いだ刀で糸を切れば血で汚れることなく楽に殺せるくらいにしか思ってなかったが、桃坂家に来てからは簡単に相手の糸を切ることが難しくなった。


「ガキがッ!」


 投げられた銃を避けることができなかったようで刺客は左目を閉じていた。

 幸運なことに銃は刺客の左目に当たったようだ。

 戦場において幸運を逃す者はいない。小さな幸運であってもそれが生き延びる一手になりえるのだから。

 右足で力強く踏み込み、刺客の間合いに入る。

 成長中の子供の体で大人の間合いに入ることは禄士郎にとって容易かった。

 刺客は遺言を言うことさえもできずに、ごん、と床にその首を落とした。


「糸を切ってもいいけど、偶に死んだ魚みたいに動くやつもいるからなぁ…」


 そうボヤいた禄士郎は刀に着いた血を床に薙ぎ払った。

 また姦しい女中達に影で文句を言われ、嫌がらせをされるだろう。


 (まあ、遊女のほうがもっと酷いから、ここの嫌がらせってお可愛もんなんだよね)


 すると扉の向こうからドタドタと何人かの足音がちかづいてくる。これもいつもの恒例で、大体駆けつけるのは異母兄弟の響介、香山。最近は祐司も増えた。


「禄士郎!大丈夫かい!?」


 今日の一番乗りは響介だった。突如として現れ、次期当主争いの邪魔者である禄士郎の為にこうして血相を変えて駆けつけてくる。

 本来、禄士郎が死んで喜ぶのは次期当主の有力候補であり、正当な後継者である響介だ。


「怪我は!?」

「ないです」

「そうか、良かった…。香山、禄士郎に新しい洋服と風呂の準備してくれ」


 後ろに控えていた香山が一礼をして早々に女中達へと手配を始めた。

 服はともかく、風呂まで必要だろうかと思ったところで禄士郎は気づいた。

 殺した刺客の血がべったりと禄士郎の頬や肌に着いていたのだ。

 響介はこの血を見て風呂を用意させたのか。

 だが禄士郎にとって別に風呂なんぞどうでも良かった。むしろ一日一回湯船に浸れるになったのは有難いが返り血を浴びる度に風呂に入らされるのはめんどくさい。


「井戸の水で拭うので大丈夫です」

「ダメだよ、禄士郎」

「そうですよ禄士郎様!ダメっす!ちゃんと風呂に入りましょう!自分もお供させていただきますから!」

「いや別に一人で入れるからいらないんだけど」

「ダメっす!禄士郎様、そう言って風呂に入ったふりをする気でしょう!」


 旋毛から蒲公英が生えてそうな奴だがよく人を見ている。

 祐司の仕事の出来は程々だが人を観察する目、人の癖や表情の動きを事細かく覚えるのが得意なのだ。

 その能力が評価され、禄士郎の毒味役になった訳だが。

 

(ここで押し問答してもしょうがないか)


 禄士郎は分かった、と言い、浴室へと向かった。

 どちらにせよ、死体の処理などがある為、明日まであの部屋は使えない。

 脱衣場に着いた禄士郎は刀を解き、返り血で汚れた服を脱ぐ。

 遊郭と違い、風呂設備が整っている貴族の風呂は準備も早い。浴室の中を見ると大きな湯船には湯がもう溜められており、湯気が立ち込めていた。

 無駄に大きいこの浴室は使用人たちには好評らしいが、無駄に大きくて落ち着かないというのが禄士郎の感想だ。

 改めて浴室に足を踏み入れた禄士郎は桶にお湯を汲み、頭から被る。

 流れていく水がわずかに赤く染まっていく。

 そして手に巻いていた包帯を解き、お湯で染みる傷の痛みに禄士郎は顔を僅かに歪めた。

 刹那、大きな音を立てて扉が開かれ、慌てて刀を紡いで振り返る。

 そこには袖を二の腕まで捲った祐司が立っていた。紛らわしいのでやめてほしい。


「お待たせしました!洗わせていただきます!」

「いらない」

「いえ大丈夫です!自分、いけます!やれます!」


 勢いがすごい。いらないと言ってるのに桶と手拭いを持ち、気合いをいれて歩み寄ってくる。


「自分、やれます!や!れ!ま!す!」

「…わかったから。しつこいって」

「ふふん!任せてくださいっす!」


 それからは宣言通りに洗われた。

 湯船に肩までゆっくり沈め、体の芯まで温めていく。祐司もまた浴室を出ていくこと無く、禄士郎の髪を櫛で丁寧に梳く。

 女の様に長い髪でも綺麗な髪でもないのにする必要があるかと問いたいところだが、どうせやれますなんて言い出すのだろう。

 禄士郎は黙ってされるがままになっていた。


「あ、禄士郎様!『お』と『を』の違い、分かりました!」

「誰かに聞いたの?」

「いや襲撃があって誰にも聞けなかったっす。でも自分なりの答えを考えました」

「それで違いは何だったの」

「ずばり発音っすね!」


 得意げに言った祐司は髪を梳くのを止め、パチンと指を鳴らした。

 そんなに『お』と『を』の発音は大きく異なるとは思ったことは無い、と禄士郎は思ったところで先程の戦闘で爪先がすこし削れてしまったことに気づく。禄士郎の思考は八割爪先のことで埋まった。


「お、は英語にするとOH()〜と似た音なんですよ」

「うん」

「でもを、はWO(ウォ)〜なんですよ!」

「へえ」

「だからいろは歌もきっと『いろはにほへとちりぬるWO(ウォ)』なんですよ!ちりぬるWowWow!」

「んぎっ…!」

「よっしゃあ!禄士郎様笑ったすね!自分の勝ちっす〜!」


 祐司が言ってる意味は分からないのに妙に面白くて不覚にも笑ってしまった。

 近くに置いてあった桶にお湯を入れ、後ろで勝ち誇っている祐司の顔面に目掛けてお湯をぶっかける。

 浴室に野太い声が響き渡り、お湯が滴る祐司は濡れた犬のようになっていた。


「なぁーにするんすか禄士郎!」

「なんかムカついた」

「なんでっすか!めっちゃ自分考えたんですけど!」


 口では文句を言いながらもケラケラと祐司は笑う。

 一ヵ月、共に過ごしただけで全てを信用している訳ではない。

 禄士郎が唯一信用しているのは祐司に誰に対しても敵対心がなく、桃坂の当主争いに無関心であること。

 ただ給金を貰うこと。余計なことに首を突っ込んで死ぬくらいなら誰にでも当たり触りなく、関わればいい。


「当たり障りなく接するんじゃなかった?」

「えー?それは変わってないっすよ?皆、平等ですとも」

「取捨選択くらいしたほうがいいでしょ」

「自分はできるほど偉くないので無理っすね!」


 下手に嘘をつかれたり、取り繕われるよりずいぶん楽だ。

 禄士郎は湯船から立ち上がり、扉へと向かう。

 すると慌てて祐司も立ち上がり、早足で禄士郎の後を追ってくる。


「禄士郎様、もういいんですか?まだゆっくりしましょうよ」

「伊坂が風邪ひくから」

「えぇ?俺のせいですか?濡らしたの禄士郎様っすよ?」

「だからもう出る。毒見役の仕事を奪うわけにもいかないでしょ」

「うはは!禄士郎様、適当っすね!」


 広い浴室に祐司の笑い声だけが響いた。

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