第二十二幕 重ねたもの
蝋燭の灯りだけが部屋を照らす中、禄士郎は淡々と話す。
ウルシュの言葉に対して何故衝撃を受けたのか。
禄士郎の中で心当たりがあった。それが高級遊女であった母親の言葉。
『必ず長く生きて私以上に幸せになりなさい』
幸せになること。示された指標を元に禄士郎は選択し続けた。
幸せになる為に金を集め、人を斬り、再会した父親に買われる。
それら全ての根源を辿れば母親の影があった。
「小春のことを幸せをくれる人として母親に重ねていた。母さんだけが俺に幸せを教えてくれた人だからね。でも実際は俺の中で朧気になっていた母を『作り替えていた』んだ」
「作り替えていた…でもそれは誰でもそうなりませんか。私も父親に会うまで朧気で、父親を語る時想像が入ってたといっても過言ではありませんでしたし」
「ううん、違うんだ。本当に自分自身で作り替えていたんだよ」
禄士郎は自分の手のひらを見る。
まだ赤いマメが手に多かった頃を思い出し、またゆっくりと語る。
前に過去を奏多に話したが父親の紀一郎に買われ、桃坂家に連れてこられた頃の話をするのは小春が初めてだった。
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「こんなの包帯巻いとけばいいよ」
「いいえ、潰れたマメから菌が入ってからは遅うございます。消毒はし過ぎるくらいで良いのです」
執事長として紹介された香山は朗らかな笑顔で消毒した禄士郎の手を包帯で巻いていく。
遊郭では薬や包帯は貴重なもので高価だった。故に吉原を出たかった禄士郎は節約のために包帯を洗って使い回していたのだ。
子供の体に刀は重く、振るうたびにマメができては潰れ、手を自身の血でも赤く染めていた。
(綺麗な包帯をこんない使うだなんて。さすがは貴族)
桃坂家に連れてこられた禄士郎はまず風呂に入れられ、真新しい洋服を着せられた。
今までは薄汚く薄い着物だったが今ではボタンがついた洋服に。邪魔になったら遊女に貰った鋏で髪を乱雑に切っていたが定期的に香山が切ることに。
鏡を見れば綺麗に身なりを整えられたせいで写真に写っていた母親の高尾にそっくりだった。目元を覗いて。
身なりが綺麗になっても傷は消えやしない。この手のひらもそうだ。
遊郭では依頼で自ら人を殺めていたが、不思議なものでここに来てからは命を狙われる側になってしまった。
分家からの刺客が来ることもあれば使用人に毒を盛られ、血を吐いて高熱で倒れたりもした。
毒を盛った使用人は解雇となったが使用人たちの井戸端会議では毒を持った使用人が行方不明になったことが話題になっている。
刹那、部屋に置いてある振り子時計が十三時の鐘を鳴らした。
出そうになったため息を飲み込み、禄士郎はベットから降りる。
「禄士郎様、部屋までお供いたします」
「別に大丈夫。香山さんは兄さんの元に戻って」
「…かしこまりました。では私は失礼いたします」
香山は頭を下げ、部屋を出ていった。
親切な人だ。この屋敷にいる紀一郎、異母兄弟の響介の傍仕えしつつ、時間が空けばこうして禄士郎の面倒も見てくれている。
「監視かもしれないけど」
監視であろうと何であろうと禄士郎にとって大差はない。
ただ住む地獄が変わっただけで、禄士郎は誰も信用していない。
禄士郎はいつものように部屋を出る。
すれ違う使用人たちが形だけのお辞儀をする。口にしないだけで視線は怪我をしている手や紀一郎に似た禄士郎の目元に向けられる。
誰が何を言おうとどうでもいい。どちらかといえば出て行ってくれと追い出されるほうがマシだ。
禄士郎は目的の部屋に着き、扉を軽く叩いた。
「禄士郎です」
すると中から返事もなく、扉が開けられる。
扉を開けたのはこの部屋の主であり、桃坂家の現当主の桃坂紀一郎だ。
入れなどという言葉もなく、無言で執務机に戻ってしまった。
禄士郎も部屋に入り、ソファに腰を掛ける。
程なくして使用人が珈琲を持ってやってくる。紀一郎にはミルクも砂糖もなく黒いままの珈琲。禄士郎にはたっぷりのミルクと砂糖が入った珈琲。
この間、二人に会話はない。紀一郎はベラベラと口を動かすこともないし、禄士郎も自ら何か話題を提供する気もないからだ。
使用人が珈琲を置いて出ていくとようやく紀一郎の口が動く。
「高尾の話をしていてくれ」
それだけ言うと紀一郎は万年筆を取り、紙に滑らす。仕事を再開したのだ。
毎日十三時、紀一郎の執務室で一時間だけ高尾の話をする。これが唯一、紀一郎からの命令だった。
何故こんな命令を禄士郎にしたのか。その理由は単純だった。
紀一郎は不治の病に侵され、もうこの先が短いからだ。禄士郎を見つけ、買った時にはもう紀一郎の体は治せないところまできてしまっていたのだ。
別に無言のままでも紀一郎に殺されることはない。このまま退出しても屋敷から追い出されることもない。
最初はずっと黙ることも考えたがそれでは意味がない。この男を不快にさせることにはならない。
「母さんとあやとりをしました」
だから禄士郎は嘘を吐くことにした。
婆様が高尾が死んだとは伝えたらしいがどう死んだのかは伝えていないと遊郭を出る日に教えてもらっていた。
高尾がどのように死んでいったのか知らない紀一郎に嘘の高尾を語り続ける。
遊郭では嘘は教わらずとも、そこで暮らしていれば自然と身に着く。
生い先が短いなら息子から愛した女の話を聞こう。そういう魂胆なのだろうが生憎、その息子は紀一郎を親として見てはいない。
小さな嫌がらせだ。息子が作った幻想の母親を想って死ねばいい。
高尾との思い出に矛盾が起きないように話し続ける。
そして十四時を告げる鐘が振り子時計から響き、紀一郎は手を止めて顔を上げた。
「ありがとう。戻っていい」
禄士郎は何も言わず、腰を上げて部屋を出ようとした。
「禄士郎」
だが呼び止められてしまい、禄士郎は足を止めた。
振り返り、少し頬がこけた紀一郎の顔を見る。
「珈琲は飲まないのか」
「…何が入ってるのか分からないので飲みません。失礼します」
お前が飲めばいい、と言わないまま禄士郎は部屋を出た。




