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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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82/98

人と人 二

「おはようございます、レディ霧崎。お腹は空いていますでしょうか?」

「え、誰、ですか…?」


 見知らぬ女が湯気が立つ粥を持って立っていた。しかも黒いベールが顔に掛かっていて表情が見えない。

 分かることと言えば身長や髪色、服装から見て日本人女性ではないという事くらい。

 だが胃袋にいれていた簡易食も吐き出していた小春には粥が一等星の様に輝いて見えてしまい、仔細を問うことより食べますと返事をしてしまった。

 女は粥をサイドテーブルに置き、小春に食べるよう促した。

 腹の虫が鳴き止まない小春は早々に温かな粥を食む。乾いていた食道に潤いを与えながら胃袋へと粥が落ちていく。

 味付けも優しく、日本人好みの出汁が小春の食欲を刺激する。


「ではそのまま食べ続けながら話を聞いてください」

「あ、名前だけ聞いていいですか」

「レイチェル・ヘンブリーと申します。レディを運んだ雷の始祖の娘です。今は遊びに出かけた父に代わって仕事してます」

「何か…大変ですね」

「ええ、本当に。今回の夜の始祖様捕縛作戦に父の世話役として同行するか、という異母兄弟達の勝負に負けてしまったのが運の尽きでした」


 小春は朧げな雷の始祖の顔を思い浮かべる。…残念ながら白い髭とべっこう飴の色をした背広しか思い出せなかった。

 そんな雷の始祖は子沢山らしい。しかも異母兄弟ときた。レイチェルは苦労しているようだ。

 粥を咀嚼しながら小春はレイチェルの見えない顔を見上げた。

 するとレイチェルは空気を切り替えるように小さく咳ばらいをする。空気は変わっても粥は美味く、食べる手が止まらない。


「今、レディの体にはギフトが授けられています」

「レイチェルさん、話を遮って申し訳ないんですが体の現状は把握してます。中にある魂とも話しました」

「もしかしてレディは臨死体験などの経験がございますか?」

「臨死、というか似たようなことは二回ほど」

「あまり楽観できることではないのですが…魂が体への定着が不安定ということは非常に危険です。一週間経たずに飲まれる可能性が高いですね」


 小春は空になった皿と銀のスプーンをサイドテーブルに置いた。

 そしてベットに座りなおし、しっかりとレイチェルを見据える。


「それはないです。ビクトールや魔女に私の人生を渡す気はありません。こいつらのおかげで死ねない理由もできましたし、()()()()()()()()()()()()


 口の中に出汁の味が残る中、小春は心臓に手を当ててはっきりと告げた。

 死にたい、そう思えば今施されている魔女のギフトは解かれる。

 ギフトを解き、小春から無理やりビクトールの魂を引き抜くこともできないわけではない。小春に後遺症は残るが。

 それにこのギフトは小春が自死するのを防ぐこととビクトールが体を乗っ取るまでの間、第三者から体を傷つけれても大丈夫なように、という意図が透けて見えている。

 めんどくさいことにビクトールに体を乗っ取るという意思がなくても魂の生存本能として乗っ取るという事は止められない。

 それらを踏まえてレイチェルは小春のことを危惧しているのだろう。


「レディはお強いですね。確かにお父様が気に入るのも分かります。ですが私達、魔女はもう一つのことを危惧しているのです」

「もう一つ?」

「小春さんの体が乗っ取られた場合のことです。即ち死者の蘇生に成功したということ。それは我々、魔女の掟の中で一番の禁忌です。これまでの魔女の歴史のなかで死者の蘇生を試みたものは多くいます。特に魔女狩りが活発だった頃は酷かったと聞いています」


 レイチェルの口から魔女狩りという言葉が出た瞬間、心臓が小さく跳ねた。

 どちらかと言えば魔女狩りに反応したのは小春の中にいるビクトールのほうだ。

 ビクトールもアーベンと関わったせいで魔女狩りの対象になってしまった。

 いくら国策としてもあまりにも苛烈で私刑だと言われても納得してしまう。

 しかもこれは百年後に生きる小春だから知ったことだが、当時の魔女狩りは女王の名を盾に強行された貴族の独裁政治だった、と語られている。

 産業革命の栄光の裏で潰されってしまった労働者や市民の革命を恐れた貴族の政策だったのだ。


「レイチェルさんは魔女狩りのこと、どう思います?」

「悲惨だったと聞いています。私は只中に生まれていなかったのでこの目で見ていません。命を狙われた魔女は皆、裏口世界に逃げ込むしかなかったらしいです。始祖様達は事が収まるまで大人しくしていればいいと考えていたようですが、火は鎮火するどころか、関係のない人間にまで燃え移りました」


 ベールに覆われたレイチェルの表情は見えなかったが、その声色はどこか怒りと悲しみが滲んでいた。


「その中で大切な人を失った魔女もいました。だから蘇生術が生まれ、何度も失敗に終わり、その都度人が死んだり魔物が生まれました。ここで言う、魔物になるっていうのは日本でいう化け物化みたいなものですね。だから始祖様達は蘇生術を禁忌としました。その後は記された歴史通りです」

「夜の魔女は始祖ですけど、あいつは賛成しなかったんですか?」

「お父様の話によれば禁忌とするかどうかの会議の際はまだ産まれたばかりでよく分かってなかったそうだった、と」


 あー、と小春は声を漏らしながら小春は体勢を崩した。

 どことなく、アーベンの言動に納得ができてしまった。あの幼さも傲慢さも。

 アーベンは今も子供のままなのだ。人間を模倣をしていているが故に子供のままで止まってしまっているのだろう。

 するとレイチェルは失礼、と言って小春の隣に座った。


「それらを全て踏まえてレディの質問にお答えしますと…私にはまだ結論を出せません」

「結論、ですか?」

「かつて私には魔術の師がいました」


 そこからレイチェルはゆっくりと二人きりの部屋で言葉を紡ぎ始めた。

 彼女の師匠は優しく朗らかな人だった。

 だが奥様を理不尽な殺人で亡くしてから蘇生術に没頭し始めたそうだ。それこそ寝食を忘れるほど。

 何度もレイチェルはやめるよう説得を試みたが、師匠の心には届かなかったそうだ。

 蘇生術を行えば始祖による処断が下されるから。


「蘇生は失敗。師匠は処断される前に亡くなりました。もし、仮に蘇生が上手くいっても必ず誰かが犠牲になっていましたからこの結末で良かったと思っています」


 刹那、レイチェルはベールを取り、その顔を露わにした。

 目元の彫りが深く、歪みのない黄金比の鼻筋。雪のように白い肌を引き立たせる赤い口紅。今まで見た事ないくらいに美しい横顔だった。


「私も数年前に祖母を亡くしています。大切な者を失う悲しみ、苦しみ、怒りは分かっているつもりです。一人の禁忌を許せば瞬く間に掟や理は綻ぶ。死者が生者の足を掴んではならない。隣人が隣人の人生を奪ってはならない。それを犯してでも師匠は奥様との人生を望んだ。では奥様はどうなのでしょうか。理不尽に死んでしまった奥様はもう一度人生を送れることを喜ぶかもしれません。ですがそれはあくまで仮説で、私の想像です。ですから私は『願われた方』の結果を知らない限り、結論を出せないと判断いたしました」


 言い切ったレイチェルは顔を少し動かし、小春の目を見た。

 そして静かに微笑み、凛々しい細い眉を少し下げる。


「お父様の世話係として日本に来たのは偶然でしたが、もしかしたらとは思っています。師匠にはなし得なかった『もしも』が見られるかもしれませんから」

「結末が思っているものじゃなくても?」

「いいえ、それは少し違いますね。結末がどちらに転んでも私は結論を得られます」


 私はこういう人間だ、と言われているようなものだった。

 要約すれば『現段階で魔女狩りに対して意見を述べることはできない。述べる為には死者側の想いが知る必要と考えている。それはそれとして今回の事件の結末はどうでもいい』ということ。


「レイチェルさんって性格悪いとか言われません?」

「お見事、正解です。よく言われますし自覚してます」


 クスクスと笑いながらレイチェルはベールを被った。

 魔女は皆こうなのか、と小春の眉間が深くなっていく。


「身の上話をすると皆さん、割と心を開いてくださるんですよ。これが便利で面白いのなんの」

「趣味悪」

「それも自覚してますよ。さすがにこんな事をする相手は選んでますけども」

「一言余計かと」

「小春さんはホント、いい音でなりますね。最高です」


 こうして笑いながらレイチェルは話すが実の所、本心なのだろう。

 レイチェルからすれば時刻の問題ではあるが、ほとんど対岸の火事。結末が見れたらそれで満足なのだ。


「でもレディなら私の考えを理解してくださると思ったのですが、そこの所どうですか?」

「分かるからこんな顔になってるんですけど」

「アハハ!百点です!」


 どうやらレイチェルの期待通りの返答をできたようだ。小春としては何も面白くはないが。

 刹那、空腹を満たして眠ったはずの腹の虫がまた鳴き声をあげた。

 部屋に腹の虫の鳴き声が響いたことよりも小春は何故、粥を食べたのにまた空腹感に襲われていることに首を傾げた。

 粥を一杯食べれたら小春の腹の容量は埋まる。

 腹が空くにしてもこんなすぐではない。


「ええ…?なんでぇ…?」

「そりゃそうですよ。生きようとしている魂が二つあるんですよ?一つの体でエネルギーが足りるわけないじゃないですか」

「まじですか…今なら二杯目もいけるってことですか…!」


 こんな状態で喜ばしいことなんて何もないのだが、今までできたことのないことの一つ『ご飯をおかわりする』ができるというのはベットの

 上で舞上がりたくなる。

 給食の時間でも皆がご飯をおかわりする中、小春は食べ切ることに精一杯だった。加えて外食の際は必ずと言っていいほど凉斗が食べきれない分を食べてくれていた。

 だがこの状態なら文字通り、二人分食べることができる。


「粥のおかわりください」

「それは構いませんけどもうすぐレディのご両親が来られると思いますけど」


 胸元まであげていた拳がゆっくりと沈んでいく。

 流石に両親の前で粥を元気よく食べるのはよくないのかもしれないと思ったのだが。


「いや、別に両親の前でご飯食べてもいいですよね?」

「普通は緊迫するであろう場でご飯を食べるのは喉が通らないと思いますけど、って私も思いましたけどレディなら食べれそうですね」

「いける気がします」

「さすがですふへっレディ」

「笑いながら言うのやめてくれます?」

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