未完成のカンバス 四
「ああ、魔女狩りね。でも私、ここから離れる気はまだないわよ」
「え、僕の話聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
ルナーは呑気に答える。本当に事の重大さを分かっているのだろうか。
確かに出会ってから一ヶ月、ルナーは誰にも会っていない上に村で噂にもなっていない。そもそもこんな泉しかない森にクレマン爺さんくらいしか出入りしているのを見たことがないが。
だとしても司祭が来た以上、ルナーにとってビクトールの村は危険な場所であることに変わりない。
「バレなきゃいいのよ。それに見つかっても私は強いからただの人間なんかに殺られたりしないわ。あ、でもビクトールがここに来ることが危なくなるのかしら?」
「まあ…全く危なくない、とは言い切れないね。ここに来る途中で司祭様に出会ってどこに行くんだって聞かれたし」
「ふーん…ならこうしましょ!私がビクトールに会いに行くわ!」
「え!?何で!?来ちゃダメだけど!?」
何がどうしてそんな案になるのだ。
疑問を顔に浮かべるとルナーはクスクスと笑いながら足先で泉の水に触れた。
ルナーのような自然から産まれた魔女、所謂始祖と呼ばれる存在は人間じゃないからこそ、人間を模倣するらしい。
容姿、口調、思考、それら全てを隣人から真似ていく。
だがルナーはろくな人間に会わなかったのか、どれもこれも何かがズレていた。
容姿と思考が特に顕著だ。
女性の体を元に構成されているが所々で男の部位が混じっている。本人に性別の認識が薄いということも影響しているが。
そして思考は情熱的で強欲。気に入った人間はどこまで甘やかし、蜜に漬け込む。本人は無自覚に学んだようだが欠落した人間が欲している言葉も力も的確に見つけ、その欠片を埋め込んでくる。
故にルナーが語る人間との思い出はろくなものが無い。というより危ない人間との話が多すぎる。
(…僕もろくな人間、なのかなぁ)
少なくとも神と女王に背を向け、ルナーとこうして語らっているのはイギリス国民として良くないだろう。そういう意味では該当する。
「夜に会いに行くわ。夜はどんなことだってできるの」
「でも見つかるかもしれないよ」
「大丈夫よ、今までだって見つかってないし。何かあっても私が守るから」
「…本当に大丈夫?異国に逃げることだってできるよ」
するとルナーはビクトールから視線を逸らし、水面に移る自身を嘲笑うように鼻で笑った。
「どこに行ったって一緒。皆、最初は珍しいから近づくけど、魔女が『便利』って気づいて徐々に物になって消費されていくの。そして最後は…。魔女の掟に隣人を愛することってあるんだけど、ダメだった」
「…でもここよりはマシだと思うよ。アジアは魔女狩りが起きてないって聞くし」
「いいえ、マシよ。ビクトールがいるもの」
辛そうに開いていた瞳がビクトールの名目を呼ぶ時には愛おしそうに細くなる。
心臓がいくつあっても足りない。恐ろしいのがこれを容易く言ってしまうところ。
きっと魔女の掟の隣人を愛するというのは持ちつ持たれつ、助け合うということを示しているのかもしれない。
だとすればルナーの言葉は。
「ビクトール?どうかした?」
「いや…なんでもない。夜に会いにくるって言ったけどどうするの?さすがに僕も夜中に抜け出せないよ」
「ふふっ、心配しないで」
不敵にルナーは笑みを浮かべた。
ーーー
日付が変わる前の夜。何も娯楽のない村には明かり一つ灯っていない。
そんな中でルナーは現れた。
「こうするの」
「え!?飛ん!?え!?」
ビクトールはルナーの言葉を信じた。ルナーが来るまで窓から差す月明かりの下でカンバスに鉛筆を滑らせていた。
絵を描いてる最中、突然月明かりが遮られ、窓を叩く音が静かに響いたのだ。
「魔女といえば箒、と言いたかったけど箒は調達できなかったから葉っぱ付きの幹で飛んできたわ」
窓を開ければ木の幹に跨ったルナーがいたのだ。しかも物語に出てくる魔女のように宙を飛んでいる。
怒涛に注ぎ込まれる情報にビクトールの頭は整理が追いつかなかった。
おかげで空いた口が閉まらない。
刹那、ルナーは跨っていた幹から窓へと身を投げ、そのまま窓辺にいたビクトールに抱きついた。
慌てながらもビクトールは全力で抱きとめ、体を半回転させて部屋の床にルナーを着地させた。
「ふふっ、あはは!ありがとうビクトール、それからこんばんは!」
「こ、こんばんは、ルナー…」
「んふっ、やっぱりダメだわ!あはは!」
「何がさ!ちょっ、笑いすぎじゃないかな!?」
そんなおかしな顔をしていだろうか。ビクトールはぺたぺたと自身の顔に触れるがよく分からない。
笑いで出た涙を拭いながらルナーは幹を部屋の壁に立てかける。そしてゆっくりとビクトールの部屋を見渡した。
月明かりが差す部屋に二人。静寂の中でルナーの歩く足音だけが小さく響く。
「ねえ、どうしてこのカンバス、裏向けているの?」
ルナーはイーゼルに乗せているカンバスを指差した。まずい。
他の部屋やベットなどに隠そうとも考えたがそうもいかなかった。
カンバスに描かれている絵をマイアに見られても困るし、かと言ってベットのシーツに絵の具が付いても困る。
だから苦肉の策で裏返したのだ。
「ここで問題。私は人間ではありません。では何者でしょうか?」
「え?あ、えっと、魔女だよね?」
「正解。では魔女にできて人間にできないものって何でしょう?」
「それは魔術…あ!こら!だめだよルナー!」
質問の意図に気づいたが既にお遅し。ルナーの口が小さく動き、カンバスが一人でに動く。
そしてカンバスの絵が時と共に動いた月明かりに照らされてしまった。
「そんなに焦るなんて何を描い…た…」
徐々にルナーの声が小さくなり、カンバスから視線が動かなくなってしまった。
カンバスに描いていたのは未完成のルナーでビクトールにとって初めての人物画だ。
だがここで問題なのはルナーをモデルにすることを彼女に言ってなかった。
自業自得ではあるがこんなあっさり見られるとは思わなかった。それだけルナーが接し方に遠慮が無くなったと捉えてもいいのかもしれない。それはそれで嬉しいことではある。
などとビクトールの思考は明後日の方向に飛んでいってしまった。現実逃避だ。
「ごめん、ルナー…!そ、その…!」
「あなたから見る私はこういう風に見えてるの?」
「うん…まあ、その…そうだね…はい…」
描いていたルナーの絵はこちらに向かって微笑む姿だった。
絵を見れば普段ビクトールがどういう風にルナーを見ているかがよく分かる。あーでもこーでもないと懸命に描けば描くほど恥ずかしかったが、それでも描きたいと思ってしまったのだ。
今更、言い訳をする余地もない。
「私ってこんな顔してたのね」
「勝手に描いてごめんね!でもやっぱりどうしてもルナーが描きたくて、その…!」
「怒ってないわよ。ただ…そうね、少し恥ずかしいかしら。これじゃあバレバレだもの」
「バレバレって何が?」
「…魔女にとって一ヶ月は人間の瞬きと一緒なの。人間が誰かを好きになる時も瞬きだと思う。目を逸らしたらすぐに愛を誓ってる」
ルナーが振り向いた瞬間と共に満月が宿る瞳から涙が流れた。
初めてルナーがビクトールの前で涙を流したのだ。
「人はこれを嬉しいというのでしょうね。それから好きだとも」
「ルナー、それは…」
「初めて『愛されたい』って感情が分かったわ」
月明かりがゆっくりとルナーの美しい顏を照らす。
出会ったあの日よりももっと人間的で、よりルナーらしい表情だ。笑っているところなんてこの一ヶ月でたくさん見てきたというのに。
今、ルナーが浮かべる笑みが何よりもビクトールの心を掻き立てる。
「私、ビクトールに愛されたいわ」
その日から夜はビクトールにとって特別なものへとなった。
ーーー
ルナーが訪れ始めて一ヶ月が経った。
この日、ビクトールはいつもと違って心も体も浮き立っていた。
時計の針があと数十分で次の日を示す。その時をビクトールは待っていた。
「こんばんはビクトール!」
開け放っていた窓からルナーが乗り込んでくる。
ルナーの魔術は確かで未だに誰にもその姿を捉えさせていない。
「こんばんは、ルナー」
「ん?何だかビクトール、嬉しそうね?もしかして私が恋しかったかしら?」
「そうだね。特に今日は恋しかった」
「ふ、ふぅん」
ルナーの体は人間の模倣してるだけで体温はない。
だから恥ずかしがって頬が熱くなったり、耳が赤く染まることはない。
故にルナーは恥ずかしがると強がってふぅん、なんて言ってビクトールから顔を背ける。
これはルナーに出会ってから分かったことだ。その仕草が可愛くて堪らなく好きだった。
ビクトールはルナーの顔を覗き込むように回り込んだ。
「照れた?」
「わ、私は魔女だもの!照れなんかしないわよ?」
「その割には僕の顔見てくれないじゃん。会えて嬉しいのに悲しいなぁ」
「…ビクトールって意地悪する時、すごく嬉しそう。悲しいなんて思ってないでしょ」
ルナーは頬を膨らませる。そしてビクトールの頬を両手で掴み、少し背伸びをしてビクトールの温かな唇に冷たい唇を乗せた。
その冷たさに少し驚くがルナーの華奢な腰に腕を回し、持っている熱を冷たい唇に移していく。
この熱も早まる心臓もルナーのせいだと伝えるために。
次第に唇が名残惜しそうにゆっくりと離れ、互いに視線が交わった。
「それで私のことが特に恋しかったのは何でなの?」
「んと、実は明日僕の誕生日なんだ」
「へ!?そうなの!?」
「あ、ちょうど日付変わった。十七歳になったよ」
「先に言いなさいな!もう!おめでとう!」
また頬を膨らませたルナーはビクトールの胸板を叩く。
気分がいいからか、今日はルナーから何をされても怒れる気がしない。
すると腕から抜け出したルナーはビクトールをベットに座らせ、仁王立ちで立ちはだかった。
「どうしたの?」
「今から主役のビクトールに祝福を与えます!」
「ギフト?魔術?」
「そうよ。世界から祝われる人間にはその日を幸せに、健やかに過ごせるように特別な魔術を施すの」
そう言うとルナーは膝を着いてビクトールの手を取り、指を絡めた。
「あなたに祝福を。世界一の幸福が降り注ぎますように」
絡められた指先からじんわりと熱が湧き上がった。次第に熱は血流に乗ってビクトールの全身に行き渡っていく。
風邪を引いた時のような熱さではなく、誰かに抱きしめてもらった時のような優しい熱だ。
「これは一体どういう魔術なの?」
「今日一日、機関車に撥ねられてもナイフで刺されたとしても傷が自動的に治るの。でもビクトールに見えている落書きのような元々ある病気や怪我は治せないの」
「そうなんだ」
もし治るならそれはそれで面白そうだと思ったがそんな都合のいいものではないらしい。
ルナーはそれからと言葉を続けた。
「このギフトは解除する方法もあるの」
「それは僕にできることなの?」
「むしろ施された本人しかできないわ。解除する方法は『心の底から死にたい』と思うこと」
死にたいと思うこと。今のビクトールには無縁の思考だ。
それにビクトールじゃなくても死にたいとなるのはよっぽどの出来事が起きないと思わないことだ。
ビクトールは垂れるルナーの頬に掛かる髪を払いながら笑った。
「ありがとね、ルナー」
「こんなの序の口よ。たくさんプレゼントを用意しておくわ」
「ははっ、嬉しいよ。だけど何より僕としては誕生日をルナーと共に迎えられたことが一番なんだよ。本当にありがとう」
「私としては文句言いたいところだけど…どういたしましてっ、ビクトール!」




