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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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偶像崇拝 三

空気が気まずくなった時、大抵禄士郎は黙ることが多い。適度に笑いながら話を逸らしたりすることもあるが。


「小春は俺が連れて帰る!そもそも軍は何故魔女を捕まえられないんだ!」

「追って説明しますから、まずは落ち着いてくれ會澤殿」


 禄士郎はベットの近くに椅子を置き、腰をかけていた。

 手当てを終えたレイチェルが早々に部屋を出ていき、残された八虎と小春の父、透の間には緊迫した雰囲気が立ち込めている。


(まあ、こうなるよね)


 透の言い分も分かる。だが事は家出した娘を引き取るような、そんな単純な話ではない。

 八虎が妖力や魔女について分かりやすく嚙み砕き、状況の説明に織り交ぜながら話すがそれでも透は納得できないようだ。

 態度や端々に聞こえてくる言い分から察するに透は紬師や祓魔師に否定的らしい。

 透の怒りの声が禄士郎の鼓膜を軋ませる。話に決着がつくといいがそれは夢で終わるかもしれない。


「連れて帰るのもできない、傍にいることもできないというのはおかしいだろう!小春は魔女を誘き出す為の餌じゃない!俺の娘だ!」

「軍は小春嬢を囮にする気はない。それにここでの治療が必要というだけで絶対に近づくなとは言っていないですよ」

「じゃあ小春を軍から除隊させてくれ!こんなことになるなら俺が養う方がマシだ!」


 どういう経緯で那由と離縁し、小春を捨てたのかは分からない。

 ただどうにもこの男は火に薪をくべるのが上手い。

 容姿も口調もまったく異なるのにどうにも実の父、紀一郎の姿と重なって見えてしまう。


「小春の意思は聞かないんですか」


 禄士郎が呟いた一言が部屋に静寂をもたらした。

 口論になりかけていた大人たちの視線が一気に禄士郎に注がれる。


(…余計な事、言っちゃったな)


 いつもならこんなこと言わないのに。どうしてか、口から溢れてしまった。


「君は…」

「私の甥っ子で小春嬢の相棒ですよ」

「…そうか、君が小春のパートナーなんだな」


 透の顔をようやく正面から見ることができたが、その顔には怒りや悲しみに満ちていた。


「意思を聞くにしてもこのまま小春が目覚めなかったら意味がないじゃないか。これ以上小春が危険な目に合うのは違うだろ」

「小春は危険を承知で紬師を全うしています。彼女が積み重ねてきたものを早々に否定しないでいただきたい」

「否定なんか!大体、大事な娘が危険な目にあって止めないわけないだろう!命を普段から軽んじているから軍人はそんなことを言えるんだ!小春は軍人の前に俺の大切な娘だ!」


 大切な娘。以前の小春が吐き出した不安は杞憂ということが証明された。紛れもなく小春は父親に愛されている。

 世間一般なら、大衆演劇なら、誰もが涙を流すのだろう。

 だが禄士郎の目に映るこの男は娘の意志を聞かずに紬師という、小春にとって大切なものから引き離そうとする男にしか見えなかった。

 確かに紬師は危険な仕事で立場だ。そして小春が置かれている状況も危険だ。

 だが遠くへ連れていくことしかできない父親に一週間で小春を救えることができるのか。


 (命を軽んじる、か)


 軽んじたことなどないとは言い切れない。

 それでも刈り取る命を間違えれば次は我が身だ。

 命を刈り取ることは生きる為の仕事で手段だった幼少期から助けるべき命を選別し、見知らぬ他人を救う祓魔師へと理由と立場が変わっただけ。

 そんな日々が休む暇なく行われてきた人生で、一度も軽くないなんて思もわなかった日なんてない。

 かつて出会った東雲少尉のような人間やオークションを開催した妖と人間のことを考えれば刃を振り翳す手は軽くなる。

 だが目の前で眠っている小春は違う。

 今回のことだってそうだ。助けられた拉致被害者は皆、傷ひとつなかった。

 なのに小春はここに来るまで血を吐きながらも意識を保ち続け、自分のことを後回しにした。

 小春の自分を安く見ているところは考えものだが、それでも紬師として戦う小春を誰も否定なんてできやしない。

 この男に小春は愛されたいと泣いた。

 解せない。こんなにも恋焦がれ、愛し、喚く心を押さえ込んでいるのに。


「會澤殿、勘違いしてはならない。これまで新聞記者として色んな光景、人を見てきたのだろう。だが本当に今、貴殿の目の前にいる禄士郎と小春嬢は言葉通りの人間に見えるかい?」

「いや…!だがっ!」

「ちゃんと見たまえ。今そこにいるのは『十六歳』の小春嬢だよ。もう三歳の無垢な少女じゃない」


 透の口から言葉が止まった。ゆっくりと視線を落とし、小春の寝顔を見る。

 まだ八虎に喰らいつくかと思ったが、そんなことはせずに大きく息を吐いて無理やり怒りを鎮めた。

 透が小春の顔を見て何を思ったか分からない。それでも小春が透のことをどう見て、どう思っているかは知っている。


 (なんか小春がしそうなことしちゃったな)


 小春はバレていないと思っているだろうが小春が禄士郎がいないところで他人に手を差し伸べていることに気づいている。

 山梨の少女も、浅草での禿も、深琴の妹達も。ダメだと命令することもできるがそんなことをすれば小春の良さを潰すことになる。

 ならば眠っている間に小春の手助けをしてしまっても構わないはずだ。


「…条件がある。小春が目覚めたらまず俺と会わせてくれ。俺と話させてくれ。そのためなら俺は全てを投げ捨ててここに駆けつける。絶対だ」

「ふむ…その条件をこちらが呑んで何の得に?」

「得だとかそういう話じゃない。そういう態度を続けるなら明日の朝刊にここで聞いたことを全て書くぞ。それでもいいのか」

「新聞記者としてこれ以上ない最大の脅しだな。いいでしょう、その条件は私が保証しよう」


 八虎の頷くところを見た後、透は捲っていた服の袖を下ろして部屋を出て行った。

 張り詰めていた空気が和らぎ、眉を下げた八虎が盛大に息を吐く。八虎の知らない一面だ、珍しいものを見た。


「親のあるべき姿に正解なんてないが…會澤殿の気持ちもまた分かるからこそ、苦しいものがあるなぁ」

「…ごめんなさい。俺、余計なこと言ったね」

「それは違う、余計ではないさ。禄士郎が言うのは意外だったがお前が言ったから彼も小春嬢の顔をちゃんと見ることができたんだ。背筋を伸ばしなさい」

「じゃあ小春には内緒にしておいてよ、俺が言ったこと」

「それは構わないが…どうだろうなぁ〜?小春嬢は禄士郎が思うより禄士郎を見ているぞ?精々ボロを出さないように気をつける方が良いだろうな」


 先程の顔から一変、空を照らす太陽のような笑みを浮かべながら禄士郎の頭を優しく撫でた。

 久方振りに八虎に撫でられたせいか、どうにも首筋がむず痒い。


「もうすぐ帝都から白夜軍兵士が派遣される。お前も適度に休みなよ」


 八虎は部屋を出て行った。

 秒針の音を立てる時計を見上げる。どうやら気づかぬうちに次の日へと切り替わっていたようだ。

 小春が目覚めるまでは休むわけにはいかない。

 例えこの別邸に結界が施されていても魔女が現れる可能性があるなら絶対に機会を逃してはならない。絶対にだ。

 禄士郎が小春の髪に触れようと刹那だった。

 鍵を掛けていた窓が静かに開き、昼間に見た白髪の少年が月明かりを背に禄士郎達を見下ろした。


「人の出入りが多くて困りました。それだけ霧崎さんは愛されているんですね」


 迷うことなく心臓から糸を引き抜いて刀を紡ぎ、禄士郎は少年に斬りかかる。

 だが少年は見越したように振り下ろした刀を斧で受け止め、振り払う。ガチンと甲高い金属がぶつかる音だけが部屋に鳴り響いた。

 そして少年は許可もなく部屋に降り立つ。


「野蛮ですね。話も聞いてくれないなんて」

「そのまま返すよ。俺を殺そうとしたくせに」

「勘違いですよ、それ。加減はしたし、生きててもらわないと困るから生かしてるじゃないですか」


 飄々として禄士郎を冷笑する姿はどうにも怒りを増幅させる。

 ここで捕縛して目的を吐かせたいところだが小春がいるこの部屋ではそれは難しい。


「あなたが死んでしまうと霧崎さんの魂が暴走する可能性があったから生かしたんです。だから今度こそ殺されたくないなら邪魔はしないでくださいね」

「小春の体を奪って何をする気?俺が邪魔しないなんて言うと思った?」

「思いませんね。あなたの霧崎さんへの想いは異常ですから」


 少年はひらりと軽やかに禄士郎の隣を通り抜け、小春の寝顔を覗き込んだ。

 すかさず少年の首筋に刃を当てる。褐色の肌から一筋の血が流れ、少年は愉快そうに笑った。

 あえて煽る為にこういう態度であるならタチが悪い。


「祝福を小春に施したと言うことは無理に小春を殺す気はないと言うことだよね。何しに来た」

「そうです、殺す気はありません。うまく馴染んでいるか見に来ただけです」

「じゃあ単刀直入に言うけど目的を吐け」

「せっかちな人ですね。聞いてどうするんですか、霧崎さんを助ける方法なんてないのに」


 禄士郎が柄に力を込めた刹那だった。

 閉ざされていた小春の瞼が少し上がり、僅かな隙間から見える瞳が禄士郎達を捉えた。


「ヒッ!?うわぁ!」


 目の前に広がる光景に驚愕し、シーツを頭から被りながら小春はベットから逃げるように飛び降りた。

 シーツから覗く瞳は酷く怯えている。

 怯える姿、揺らぐ瞳、その全てが普段の小春とは全く()()()ものだった。

 異なる。この違和感を決定付けるものがあった。

 小春の瞳の色だった。小春の瞳は黒目に異国の海のような青緑色が少し滲んでいるのが特徴的だ。だが今の怯える瞳は琥珀色に染まっている。

 すると少年は面白そうにケラケラと声を上げて、腹を抱えて笑いだした。

 揺らぐ琥珀の瞳を見た瞬間、禄士郎は岩で頭を殴られたような衝撃に襲われた。


 「小春じゃない…誰だ…?」

 

 刀を掴む力が抜ける。頭が真っ白になっていく。

 少年の目が大きく開き、嬉しそうに顔を歪めた。


「ああ!すごいな!こんなにも上手く事が運ぶと笑える! どうです!?大切な『神様』がいなくなった気分は!?」


 神様。そう、少年の言っていることは正しい。

 小春は禄士郎にとって幸せを与えてくれる神様であり、生きるための道標だ。

 目の前で蓑虫のように蹲っている少女は小春の姿をしているが、禄士郎の神様じゃない。

 うまく思考がまとまらない。口の中から水分が乾いていく。

 どうして小春なのか。どうして。


「いやぁ、霧崎さんへの態度がどうにも既視感があってホント気持ち悪かったんですよねぇ!偶像崇拝は楽しかったですか?あなたのそれは本当に霧崎さんを見ていたんですか?」

「何を、」

「霧崎さんの奥に誰か望んだ人でもいました?」


 少年は禄士郎の顔を覗き込むように距離を詰め、ニヒルに嗤う。

 全てこの少年が仕組んだことなのだろうか。

 だとするなら憎い。今ここで八つ裂きにしてやりたい。

 そんな気持ちと同時に心は今にも崩れそうだった。刀がゆっくりと解け、糸が心臓へと戻っていく。

 

(もう何も考えたくない。何もしたくない)


 唸っていた獣が姿を見せない。戦意が満たされない。

 

「壊したニシキ代!」


 瞬きだった。

 俯きかけた禄士郎の顔を上げさせたのは紛れもなく小春だった。

 小春は叫びながら小さな拳を少年の頬へとぶつけたのだ。

 少年は避けることもできず、床へと転がった。

 慌てて殴った小春を見るが瞳は琥珀色のまま、何より情けない声に戻ってしまっていた。


「ひぃ!ごめんなさいごめんなさい!ちょっと小春ちゃん!殴るために外に出たならボクと交代してよ!ねぇ!」


 だがあの時の叫んだ声はいつもの小春だった。

 目の前で刹那的に表れた小春に会いたくて、禄士郎はおもむろに手を伸ばした。


「あーあ、最悪。いいところだったのに。まあいいや、今日は様子見でしたし。それじゃあ、霧崎さん、ビクトールさん、そして禄士郎さん、また会いましょう」


 伸ばした手が止まり、ふと禄士郎は我に返った。

 捕縛しなくてはならないと振り返ったがそこに少年の姿はなかった。窓から出て行ったのだろう。

 すると扉の向こうからドタドタと鳴り響く足音が近づく。

 騒ぎに八虎達が気づいたのだろう。

 禄士郎は改めてまたシーツに包まっている小春、否『誰か』を見た。

 変わらず食われる寸前の小動物のように小さく震えている。

 

(ビクトール、って言ってたな)


 冷静さを取り戻した禄士郎はビクトールからシーツを剥ぎ取り、見下ろした。


「うわぁ!」

「小春に会わせて」

「そうですよね!分かってますぅ!分かってるよぉ!」


 今にも泣きそうな声で叫ぶとすぐに小春の口は閉ざされた。

 小春の意志次第で入れ替わることができるということなのだろう。その点は憑依術式とは異なるようだ。


「俺の糸、いらないって言ったくせに」

「…誰のでもいらないですよ、禄士郎様」


 不機嫌そうに眉を顰め、小春は禄士郎を睨む。

 睨まれているというのに心は正直だ。緩やかな心音が体内で鳴り響き始めていた。

 だが少年の言葉は禄士郎の中に、確かに呪いとなって今も絡みついている。



 禄士郎と小春が半日ぶりに再会したこの日、帝都及び各地方にて潜伏していた魔女もどきによる一斉襲撃が行われた。

 だが前日に魔女の拠点に潜入していた祓魔師見習生がテロのことを報告していた為、負傷者の数は想定より少なかった。

 後にこのテロ事件は白夜軍兵士の教科書に記載され、日本の歴史に刻まれることになる。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次の更新は2月中を予定しておりますバゥルルレレレイ!!!!!!

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