偶像崇拝 二
「禄士郎よ、小春嬢の容態をレイチェルさんに診てもらうが良いな?」
「…いいよ」
「というわけだレイチェルさん。甥の気が立っているが気にせんで彼女を診てくれ」
「かしこまりました」
いつの間にか八虎の隣にいるレイチェルと呼ばれた女はズカズカと部屋に入り、眠る小春の顔を覗き込んだ。
奇妙な女だった。簡素な洋服を纏っているが、その顔はベールに覆われていて顔が見えない。
この館に配置されたもう一人の魔女。
するとレイチェルを知らない禄士郎のために八虎は補足するように口を開いた。
「彼女はレイチェル・ヘンブリー。さっきの雷の魔女、ロヴィン・フレデリクスの娘さんでな。そして今回の魔女捕縛作戦においてフレデリクスの補助兼世話係だ」
「お父様が仕事を放棄しましたので代わりに私がレディ霧崎を治療させていただきます。もちろん、ミスター吾妻の婚約者の魔術も解除させていただきますのでもう少しお待ちくださいませ。それではレディ、失礼します」
息継ぎをする間合いもなく、レイチェルは言い切った。
小春の体を触り、傷や容態を確認をしていく。
妖力と魔力では質が異なるせいか、レイチェルが小春に流す魔力を目視しにくい。
日本で永住権を得た魔女の魔術を封じる理由が分かる。
今の日本では魔術を封じるのが最大の防御手段だからだ。
祓魔師、紬師、そして妖は妖術の基盤となる妖力を重要視し、その流れや性質を見て判断する。
一番わかりやすい例が浅草で胡紫を攫った輩だ。禄士郎は輩が零した妖力を辿ってトドメを刺した。
如何に相手の持っている材料が見えないと不利なのかよく分かる。
「ミスター八虎、至急レディの輸血の準備を。同じ血液型の血及び同じ血液型の親族をここにお願いします」
「輸血用の血液はともかく、親族を呼ぶとなると少し時間かかるぞ」
「日を跨がなければ大丈夫かと。今のレディは水の入っていない花瓶のようなもの。その水こそが血と考えていただきたいのですが…出血量や傷があったであろう箇所を見れば重症なのは明白。花瓶が割れてしまってもおかしくはない状態のはず」
「だが小春嬢は私のような治癒系の異質持ちではない。夜の魔女は小春嬢に何をしたんだい」
「『肉体のみに発動する自動回復』です。本来、この術は祝い事に送られる祝福として使われるものですが、夜の魔女は自身の目的のためにこの術を使っています」
レイチェルの話を聞くなり、眉間に皺を寄せた八虎はニシキを起動させながら部屋を後にした。
八虎はレイチェルの話を聞いて事の危うさに気づいているようだったが、禄士郎にはいまいち理解できない。
「レディの中をよく見てくださいませ」
禄士郎に目もくれずにレイチェルは言う。
小春の中を見ろ、つまり妖力を使って見てみろと言いたいのだろう。
目に妖力を集中させ、小春の中にある妖力や糸を見る。
その先に見えた光景は禄士郎を絶望させた。
祓魔師、紬師が輪廻の糸について学ぶ時、最初に教わるのが人間は魂を一つしか持つことができないということ。必然的に糸も一本となる。
だが今の小春の体はどうだ。見知らぬ白い球体が小春の糸をゆっくりと侵食している。
一つの体に一つの魂。それ以上の魂が体に入り込んでしまうと体は負荷に耐えられず、人間は化け物化してしまう。妖も同様に自我を保つことができずに暴れてしまう。そして討伐対象となるのだ。
「早く小春から魂を取り出さないと…!」
「落ち着いて。侵食を始めた魂を抜き出すのは困難です。このままレディを放っておくと魔物になってしまうとお考えでしょうが、今回の場合はそれは該当いたしません」
「何を根拠に」
「魂の性質が似ていれば似ているほど体内での反発は起きにくいのです。今、レディの中にある別の魂はレディの魂と相性が良いのでしょう。それでも反発による内部の肉体の損傷は大きかった。だから大量出血が起こり、血だけが足りない状態になったのです。夜の魔女はそれを見越し、埋め込む魂に祝福を施した。祝福は元々祝い事の主役に与えられるものです、その日一日を健やかに過ごせるようにと」
「ならこの効果も一日だけしか続かないんじゃないですか」
「本来ならそうですが、レディの中にある祝福の期限は恐らく一週間ほどです。つまり反発が一週間体内で起き続ける。そして埋め込まれた魂がレディの体を乗っ取るのに一週間…ということになります」
小春の魂、輪廻の糸が後一週間で吞み込まれてしまう。魂が共存できた例など少なくともこの国では聞いたことがない。
レイチェルは確実に体を乗っ取ると明言したのだ。
渦巻く思考の中で禄士郎は震える手を口元に当てた。
「動揺しても構いませんが気は確かに。外でのやり取りを見ていましたがレディはあなたに信頼を置いています。ナイフを落としたのが証拠です」
「…そんなの分かってますよ」
「それなら良かったです。レディの治療の準備等々を行う為に席を外しますので様子を見ておいてください。何かあればすぐに呼んでください」
そうきっぱり言い切るとレイチェルは早歩きで部屋を出ていった。
小春の顔は青白く、顎や口の端に付いている乾いた血が起きていた危機を物語っている。
どうして小春が。似た魂なんて他に探せばあるはず。この世界には掃いて捨てるほどの魂があるというのに。
何故小春が血を吐き、痛みを耐えながらナイフを持たなくてはならないのか。
小春以外だったらどれほど良かったことか。
「禄士郎、足を拭きなさい」
刹那、思考を止めるように濡れた手拭いが禄士郎の頬に押し付けられた。
顔を上げると苦笑した八虎がいた。
そういえばと思い出し、ふと足を見る。そこには土に汚れ、骨ばった自身の足があった。
だが禄士郎は受け取った手拭いで小春の顔に付いている血を優しく拭った。
後ろで八虎が呆れを吐いている声が聞こえるが気にせず、拭い続ける。
「俺はお前に使えと言ったんだけどなぁ」
「後で足は拭くよ。今は小春が大事。俺のことは後回しでいい」
「分かった分かった、ちゃんと足も拭いておきなさい。今から小春嬢の父親を迎えに行ってくる。外で待機していた治療部隊が輸血パックを持ってくると思うから受け取っておいてくれ」
「待って。なんで父親のほうなの?小春の事情を知らない訳じゃないでしょ」
「今の小春嬢を見て冷静でいられるほうを選んだ結果だよ。那由はこの惨状を見て必ず魔女の元に乗り込むはず。そうなれば作戦にも支障がでる。それだけだよ」
八虎は困ったように呟き、煙を纏って姿を消した。禄士郎もよく使う移動術式だ。ただ禄士郎と違って移動距離の規模はかなり広い。帝都内なら余裕と言っていた。
気が付けば空に三日月が昇っている。月明りだけが部屋にいる禄士郎と眠る小春を照らす。
血を拭いきった後、禄士郎は静かに小春の耳朶に触れた。
そこには少し凹凸のあるピアス穴があるだけ。いつも付けているはずのニシキがなかったのだ。
十中八九、魔女に外すように言われたのだろう。
禄士郎が使っていたニシキは軍から支給されたものではなく、桃坂家から買い渡されたものだった。先の戦闘で壊れてしまったが。
魔女は小春だけを選んだ。
(いつから小春は見られていた?いや…今も見られているのか)
魔女の最終目的は分からないが少なくとも小春の体を使って見知らぬ人間を蘇らせようとしているのは事実だ。
魂を小春に埋め込んだままで野放し、ということは考えづらい。魔女は必ず小春の前に現れるはずだ。
(魔女を殺すよりも先にまずは小春の中にある邪魔な魂を消す方法か)
禄士郎は小春の寝顔を眺めながら思考に耽る。
夜の静かな空気がどうにも面を被っていたころの幼い禄士郎を呼び覚ます。
ただ魔女を殺したくて仕方がない。
小春と禄士郎しかいない静かな部屋の中で獣が唸り声を上げた気がした。




