第十九幕 偶像崇拝
桃坂の数ある別邸の一つが所沢にある。
現在は禄士郎の叔父にあたる桃坂八虎が館の主人として生活している。
そんな別邸の一部屋に禄士郎は寝かしつけられていた。
「今回の奪還作戦には吾妻中尉殿と雷の魔女、ロヴィン・フレデリクスが行くことになった。小春嬢達を必ず連れ戻してくれるよ、と言ってもお前は不服だろうな、禄士郎」
「そりゃそうでしょ。目覚めたら小春は連れ去られてるし、しかも俺の知らないところで小春が叔父さんを頼っていたみたいだし」
「おお、面白いくらいに不機嫌になっていくなぁ」
今はこの笑顔が憎たらしい。
魔女捕縛作戦に参加していた那由の助けと指示により爆発によって負傷した禄士郎はこの別邸に運び込まれた。
本来なら白夜軍医療部隊の医療施設に運ばれるのだが、現場で分家の刺客の遺体も発見されたことで急遽八虎の手で保護するということになった。
負傷した禄士郎を守る役目である小春がいないどころか、魔女に連れされたときた。
これで禄士郎にとっても親である那由にとっても胃が痛くならないなんて無理な話だ。
禄士郎は早々にベットから降り、部屋を出ようとした。
「いけないよ禄士郎。今のお前に必要なのは休息であって戦闘ではない、そぉーれ!」
「うおおっ!?」
前線から退いてもかつて白夜軍と桃坂に貢献した男だ。
腕力は衰えておらず、百八十を超える体躯の禄士郎の首根っこを掴んでベットに投げ飛ばす。
おかげで見ていた景色が数秒前に見ていたものに戻った。
ベットに投げ飛ばされ、禄士郎は痛みに顔を歪める。
八虎の異質妖力で傷を無理やり完治させられたがそれでも痛いものは痛い。
「頭を冷やしなさい。今回の作戦だけ参加できないだけで小春嬢が保護されたらいくらでも傍にいてやればいい」
「…そういうことじゃないよ。分家、魔女…桃坂には敵が多すぎる。今回だって分家の邪魔がなければこんなことにはならなかった」
「ふぅむ。それは驕りだな禄士郎」
「はぁ…?」
眉を顰めて睨む禄士郎が面白かったのか八虎は口元に手を当ててカラカラと笑った。
「いいかい?お前は確かに実力ある祓魔師だ。分家からの刺客や妖を積み重ねた数で言うなら禄士郎が一番だろう。でもそれはただの事実と結果。作り上げた屍の数が多かろうとお前は十七歳の少年だ。結果を買いかぶれば驕りになる」
「俺は驕ってなんか…!」
「驕ってないなら自分の失敗を反省し、認めなさい。私に愚痴を零すのはそれからだ」
ぐうの音も出ない。
今まで小春と共に多くの任務をこなし、どんな場面でも小春を守り抜いた経験が多かった。だからこそ今回の任務は失敗ではないが、禄士郎にとっては失敗だと感じてしまった。
焦燥と後悔が尽きない心を八虎は容赦なく指摘し突き刺した。
(自分の経験を買いかぶってた。だから油断してこうなった。叔父さんはそう言いたいんだろうな)
行き場のない拳を作り、下唇を噛む。嵐丸にも忠告されていたことだ。
「…俺にできることないの?」
「今はないな。私の異質妖力で怪我も治したし、禄士郎の情報を元に分家と魔女の繋がりを調べている最中」
「そう…」
「悪いことばかりでもないと思うけどなぁ。分家が荒を出してくれたおかげで桃坂から切り離す大義名分を得られたわけだ。そして分家が解体されれば命を狙われたり、禄士郎の周りの人たちが傷つくこともなくなる」
返す気力も起きない。もちろん、響介の助けになるなら喜ばしい。これ以上、禄士郎に関わる人間への危害が少なくなるなら嬉しい。それは禄士郎も思っている。
だがそれを上回るほどの焦燥が禄士郎の冷静を蝕んでいた。
こうして八虎と話していないと刀を片手に館で待機している他の魔女を脅してでも夜の始祖の元へと案内させてしまう。
そんなことをしようとすれば背負い投げでは済まないだろう。禄士郎とてせっかく治った体にまた傷をつけるのは避けたい。
刹那、窓から差し込む夕陽の光と共に雷鳴が別邸に響き渡る。
「おお、帰還か。フレデリクスは全てにおいて音量が大きいな」
禄士郎は窓の外に目もくれず、裸足のまま外へと駆け出した。
後ろから八虎の声が聞こえたが無視して階段を降りていく。
そして重たい扉を開け、小春の姿を捉える。
だが待ち望んだ小春の姿は顎と軍服を血で汚し、虚の瞳のままナイフを握りしめていた。
禄士郎は声を上げることもなく、静かに小春を抱いているイギリス人の男に近づく。
「んん?なんだ、男の出迎えしかないのか」
「…小春、おいで」
「おいおい、余を無視とは…いやあれか、貴様この娘のパートナーか?」
「早く小春をこちらに渡せ」
禄士郎との会話が噛み合わないせいか、男は嘲笑しながら肩を揺らした。
男との会話なんざどうでもいい。
禄士郎からすれば男と会話をする気はなかった。余裕がないと暗に嘲笑されようがどうでも良かった。
そんな禄士郎の様子を見た吾妻がすぐさま男に小春を引き渡すように促した。
すると虚だった小春の瞳がかすかに動き、禄士郎の視線と交わる。
カランと小春の手からナイフが落ち、空になった手が禄士郎の頬へと伸びた。
傷まみれで白い軍服が血で赤黒く滲み、弱々しいその姿で小春は禄士郎に手を伸ばしたのだ。
そして息だけで音にならない声で微かに禄士郎の名を呼んだ。
禄士郎はただ静かに小春の手を取り、男の腕から奪い抱き上げた。
決して落とさぬよう、誰にも渡さぬよう、優しく力強く小春の体に触れる。
「ん〜、なるほど余の付け入る隙は無かったか。余が抱き上げているというのにナイフを離さず、意識も手放そうと一切しない強い少女であった。まさに余の好みの女の要素を兼ね備えていたのだがなぁ」
小春を抱えて館へ入ろうとした禄士郎は小さく振り返って睨んだ。
言葉を返す気はない。目を閉じ、緊張の糸を切った小春に下劣な言葉を聞かせようとしているこの男に噛みつけば同等の生き物になってしまう。
そんな姿を小春の前ではしたくない。
「雷の魔女、あまり甥に油を注がないでくれ。せっかく落ち着かせたところなんだ」
「余には落ち着いているようには見えんが、まあ良い!面白いものも見れた!余は街に繰り出る故、明日の朝まで連絡は寄越すな!ではな!」
「ああ、存分に観光を楽しんできてくれ。こんな退屈な田舎にいるよりはマシだろう」
八虎は輝く稲光を眺めながらため息を吐き、吾妻達と禄士郎に中へ入るように促した。
言われずとも禄士郎はそのまま自身が使っていた部屋に入り、小春をベットに寝かせる。
後を追って来た八虎が呆れた様子で禄士郎に声をかけた。




