差し出す代償 三
館の門は裏口世界の入り口であり、現実世界への繋がる入り口も担っている。
そこに紀江は律儀に待っていた。そんなに時間をかけた気はないが短気な紀江のことだから先に出て行ってしまったと思っていたが。
すると深琴が来たことに気づいたのか、手を振って深琴を迎えた。
「お待たせしてすみません!」
「女の支度は時間かかるしね、良いよ別に〜」
「…怒らないんですか?」
「ん?ん〜、先輩が女の支度は時間掛かるからごめんねっていつも謝ってたから慣れた」
「先輩?」
「うん、アタシの先輩!これからその先輩を迎えに行くんだ!アタシは魔女になったからな!」
「え、あの、それって私、いない方がいいんじゃ…?」
紀江の先輩を深琴は知らないし、むしろ初耳だった。
そもそも紀江に親しい間柄の誰かがいることに深琴は驚きを隠せなかった。
お世辞にも紀江に友達がいたとしても多い方ではないと思っていた。
(…まあ、私よりかはマシか)
思えば深琴には同年代の友達といえば思い当たる友人は嵐丸しかいない。
だが今は嵐丸の連絡を無視している状態だ。彼はもう深琴のことを忘れて違うパートナーと任務しているかもしれない。
もしそうなら悲しいが、白夜軍から逃げることを選んだのは深琴自身だ。
考え込んでしまった深琴の表情を見ずに紀江は深琴の手を取って門を開ける。
「先輩は優しいから大丈夫だし、深琴も絶対先輩のこと気にいるから!行こう!」
「ちょっ、ちょっと!どこに行くんですか!?」
「銀座!」
楽しそうに紀江は二カリと笑う。
だが深琴は紀江のように笑えなかった。
なぜなら一週間前に銀座でアーベンと共に深琴hオークションを運営していた人間と妖を壊滅させた。
白夜軍の捜査が始まっている頃だろう。あの上官室にいる大佐がこの騒動を見逃すはずがない。
だからこそ深琴はアーベンの元で隠れることを選んだというのに。
門を通れば一秒も経たずに銀座の見知らぬ雑居ビルの裏通りに出ることができる。
裏口世界への門今夜行われるヴァルプルギスの為にアーベンが全国各地に作っておいたのだ。
無論、全国各地にいるアーベンの友達のために。
「あれ?ここどこだ?」
「え」
「なあ深琴、カフェーリリィってどこにあるか知ってる?」
「調べますからちょっと待ってください」
溜め息を吐きながら深琴はニシキの電源を入れて検索画面をホログラムで映し出す。
カフェーリリィと検索しながら被っていた帽子を目深く被り直す。多少不格好になるが知り合いに見つかるよりマシだ。
まさか行き先が銀座だったとは。行き先を確認しなかったことがいけなかっったとはいえ、不安で今にも腹の奥が爆発しそうだ。
(帽子を被ってきておいてよかった…)
すると画面の右上に赤いピンが刺さった。
銀座中央通りの一角でカフェーリリィは営業しているようだ。
そういえば、と深琴は暇そうに小石を蹴っている紀江を見た。
耳朶、手首、首元を順々に見るがニシキを所持しているようには見えない。
深琴が持っているニシキは軍から支給されたもので一定の金額を支払えば自身の名義での所有権を貰える。
故に今使っているニシキは深琴自身の物ではあるが、紀江はどうだろうか。
「出雲さん、ニシキは持っていないんですか?」
「リリィで働いてた頃は客から貰って使ってたけど監視されてたから捨てた。今はリリィも辞めたし必要ないから買ってない。あと高いもん」
「監視…?」
「そそ、どこにいるのかいつも知ってたから問い詰めたらニシキの追跡機能を使って見てたって。あ、思い出した」
「何をです?」
「その客にここら辺で無理やりキッスされたんだった。気持ち悪くて近くの泥水で口を洗ってやったんだよね!」
紀江の言葉に深琴は絶句した。
キッス、所謂接吻を無理やりされてケラケラと笑っているのだろうか。しかも泥水で洗うほど気持ち悪かったのに。
今度はちゃんと深琴の表情を見たようで、紀江は大きな舌打ちを鳴らした。
「笑えよ。先輩は笑ってくれるしよくやったって褒めてくれた話なんだけど」
「ご、ごめんんさい…」
「…あーあ、つまんな。さっさと連れてって」
変わらずの傲慢さに深琴の方が溜め息をつきたくなる。
だが今ここで紀江を拒絶すれば癇癪を起こして暴れかねない。アーベンも紀江のこの気まぐれには困り顔をしていた記憶がある。
きっと紀江の先輩に会えば、紀江の機嫌も戻るだろう。
深琴は紀江を連れ、カフェーリリィに向かう。
(普通だ…)
オークション会場での出来事はアーベンとウルシュ、そして深琴しか詳しいことは知らないはずだ。
あの場にいた子供たちは警察に保護してもらうように解放したが、その際にアーベンや深琴のことは話さないようにとお願いしてある。
幼い子供達はともかく、深琴と同年代くらいの少女や青年は流石に魔女の存在を知っていた。
命令ではなくお願いでしかないので話しているかもしれないが、恩人に恩を仇で返すなんてことをするとは思いたくはない。
半々くらいの気持ちだったが街の様子を見るとまるであのオークションが嘘のように思える。
男に色を売る女。女の色に金を差し出す男。艶のある洒落た背広を着た男。赤い唇を艶めかせ、ヒールを鳴らして闊歩する女達。
そんな老若男女が忙しなく行き交っていた。
違いがあるとすれば普段は巡回などしていない警察や白夜軍の兵士が混じっているくらいだろう。
深琴はニシキの画面を確認し、歩く速度を早める。
文句を言う紀江を宥めながら足早に歩けば、予定より早めにカフェーリリィに到着した。
カフェーリリィは純喫茶ではなく、女給が客の隣に座って接客をする店の一つだった。
だからか、利用客は男性客が多く、店に入った深琴達は目立つ客だった。
「あ、先輩いた!」
席に着くや否や紀江は先輩と思われる人物の元へと向かおうとした。
だが、奥の席にいた先輩は紀江に手を振り、座っていたソファから立ち上がってこちらへ来た。
切れ長の目と唇には真紅が添えられており、艶やかな黒髪は椿柄のシルクの布で結われている。
袴の上に着ている白いエプロンがよく似合っていた。
「久しいねぇ、紀江」
「はい、お久しぶりです先輩!」
「今日はお友達と遊びに来たのかい?随分、若そうな娘さんだけど」
そう言って笑顔で視線を向けてきた先輩に深琴は慌てて会釈した。
化粧のせいなか、醸し出す妖艶な雰囲気のせいか、深琴や紀江よりも年上に見える。
年齢を聞いてみたくもなったがここでは御法度だろう。
どう見ても周りで働いている女給達は深琴より少し年下か同年代の少女が多い。先輩のような妖艶な女性もいるが数は少ない。
しかも喫茶店ということもあってか、うら若き少女達が男性客に接近し机の下で太ももを触らせてたり、手を握ったりして色を売っている。
そして男達は値踏みするように少女達を見つめ、彼女達の袖口に金を忍ばせていた。
ある意味、少女達は深琴が辿る道の一つだったと言える。確かに男たちに色を売れば大金を蓄えることhができただろう。
だがどうしてサオリのような人生を送りたくない。その思い一心で地道に稼ぎ、戦場を駆けた。
少女達から目を逸らし、紀江と先輩に視線を向けた。できることなら早々に退出させてほしい。
「私の後輩です!今日は遊びに来たわけじゃないんですよ先輩!」
「じゃあ何しに来たんだい?紀江が働く席なんてもうこの店には無いよ?」
「ふふん!先輩を迎えに来ました!」
「……は?」
深琴達の席に重い沈黙が訪れた。
店内に流れる音楽がやけに耳に入ってくる。ほんの数秒前までは曲なんてどうでも良かったのに。
恐る恐る先輩の方を見上げると眉を顰め、先ほどまでの笑顔がすっかり消え落ちている。
反対に紀江は褒められるのを待っている子供のように頬を緩ませていた。
部外者の深琴でも分かるくらい二人には確実な溝があった。
「アンタ、何を言っているだい?」
「何って。先輩、ここから抜け出したいって言ってたじゃないですか」
「…そうだったかい?悪いね、あんまり覚えてないわ。悪いけど冷やかしなら帰っておくれ。アタシも忙しいんでね」
先輩の紀江に対する態度が一変し、凍りつきそうなほど冷たくなった。
しかも先輩は深琴の耳に口を寄せた。
「アンタも災難だねぇ。この子、馬鹿で面倒くさいからさっさとおさらばしたほうがいいわよ」
小声でそう言い放った。
先輩の言うことは正しいのかもしれない。一週間しか付き合いのない深琴より先輩の言葉の方が説得力があると言える。
だが仮にも先ほどまで頬を緩めて慕っている姿を見せた紀江に対してあんまりではないか。
怒りよりもどうしてか呆れや悲しみを感じてしまった。
「やっぱり、ここにいるから先輩はそんなこと言うんですよね」
「は、何言って」
紀江は席を立ち上がり、先輩が接待していた男がいる席に近づいた。
急に目の前に来た紀江に呆然としている男の胸ぐらを掴み、紀江は顔を近づけて小さく口を動かす。




