第十六幕 差し出す代償
重い。体が深く沈むベッドの上で深琴は目を覚ました。
体を起こそうとするが両脇に恵と幸奈が離れまいとくっついたまま、寝ているため動けない。
見慣れない天井、知らない部屋の匂い、温かい寝間着。
何もかもが一週間前に変わってしまった。
妖による人身オークションをアーベンが壊滅した後、帰る場所がない深琴達をアーベンが所有する館で住むことになったのだ。
深琴は二人が起きないように静かにベットから抜け出し、カーテンを開ける。
窓を開ければ太陽の光が差し込み、庭園にはダリアの花が色鮮やかに咲き誇っていた。
するとシーツが擦れる音が鳴り、恵が気怠そうに体を起こした。
「お姉ちゃん…?」
「おはよう、恵」
「んぅ…おはぉ…」
「まだ寝ていいよ」
「やぁ…私も起きるもん…」
深琴のように起きようとするが寝たい意思が勝っているようで頭はシーツに突っ伏し、お尻が山のように突きあがっている。
言葉と体の矛盾に思わず笑いが零れる。こんな穏やかな朝はいつぶりだろう。
寝間着から見える腕の傷を深琴は見つめた。
この館に来てから傷を作ることが無くなった。痛みに魘されて朝を迎えることもない。
「ねえね、だっこ」
「幸奈おはよう。おいで」
いつの間にか起きていた幸奈が覚束ない足取りで深琴の元へ近寄る。
深琴が手を伸ばしてやると幸奈も嬉しそうに手を伸ばして深琴の胸に飛び込んだ。
ここに来てちゃんと栄養のあるご飯を食べさせてもらっているからか、恵も幸奈も肉付きが少し良くなったように感じる。
深琴を掴む手も年相応に力強くなり、抱き上げれば重みを感じる。
するとようやく意識が覚醒したのか、恵が慌ててベットから降りて深琴の寝間着の裾を掴んだ。
「ご飯、食べようね」
「うん…」
恵と幸奈もまた妖が見える。それも相まって今回の一連は二人の大きな傷になってしまった。
深琴がどこへ行くにもこうして抱っこをせがんだり、離れまいと傍を離れようとしない。
すると扉を叩く音が響き、アーベンが深琴達の返事を待たずに顔を覗かせた。
「おはよう皆!ご飯ができているわよ!一緒に食べましょう?」
朝餉のお誘いだった。
笑顔を浮かべ、深琴達の返事を待っている。部屋には勝手に入ってくるのに。
深琴は是非、と答える。
ここに来て分かったことがいくつかあった。
まずアーベンは夜の魔女の始祖であること。魔女については海外任務の際に軽く調べた程度だったが、まるで御伽噺のようだくらいしか感想がでなかった。
だがその御伽噺が今、目の前にいて朝餉に誘ってきた。
(筐辺大佐もここまではさすがに予想してないかもなぁ…)
この館も日本に『存在はしているがしていない』。
今、深琴がいる館はアーベンが作り出した『裏口世界』にあるものだ。
裏口世界とは始祖の魔女だけが行き交いすることができる別の世界。その世界は深琴達が生きている世界の裏側にあり、魔女の子供であっても行くことができない。始祖の魔女でないと入り口が目視できないからだ。
だからこの館は田園調布に存在しているが、実際に田園調布にある館に行ったところでそこにアーベンたちはいない。
裏口世界に通ずる裏口から来ないと今、深琴達がいる場所に辿り着くことはできない。
(だからといって私にできることはないんだけどね)
一週間、アーベンと共にいたが本気で怒ったところを見たことが無い。
アーベンの表情から笑顔が消えたのはオークションの時だけだった。あの時の横顔も怒っていたのか、呆れていたのか、悲しんでいたのか、未だにわからない。
何がアーベンの引き金になるのか分からない。
それに白夜軍の通達を放棄している今、深琴はアーベンをどうこうする意思はない。互いに奇妙な相互利益が生まれているのだ。
前を歩くアーベンの後ろ姿をぼんやりと眺めるとあっ、と声を上げ、スカートを翻して振り向いた。
「そういえば人間って好き嫌いあるのよね?三人とも食べられない食べ物ってある?」
「特にないので大丈夫ですよ」
「まあ、良かった!今日は私が作ったのよ!」
アーベンの瞳では深琴達の姿は人間という名前の生命体でしか見えていない。
「人間って繊細だから気をつけなくちゃいけないじゃない?」
最後に分かったこと。
アーベンは人間ではないという事。今、深琴の前にいるのは妖でも化け物化した人間でもない何かなのだ。
それでもアーベンは深琴が生きてきて出会った人間の誰よりも深琴の話に耳を傾け、その生い立ちや苦悩に誰よりも涙を流した。
もう顔も名前も覚えてないが女性に助けて欲しいと言ったことがあったが何も変わることはなかった。
この館に来てアーベンと共に飲んだ紅茶は温かく、深琴を優しく慰めた。
「楽しみです。私、アーベンさんの作る料理好きなので」
「ふふっ、深琴ったら。紅茶も用意してるから一緒に飲みましょうね」
今、音を刻む深琴の心臓にはアーベンとの契約の刻印がある。
例え命を蝕むものであってもようやく訪れた幸せを手放したくないのだ。




