移り変わる秋の空 四
小春にはかの子と会うまでにやらねばならない事があった。
学校に着くなり、早々に禄士郎と別れて三階にある二年生の教室へ続く階段を上っていた。
一年生の教室がある二階とは雰囲気が全く異なり、ほとんど人がいない。
二年生になればほとんどの人が遠征任務に駆り出されるからだ。
履いているブーツの踵が静かな廊下に際立って鳴り響く。
小春は目的の教室の扉を開けて顔を覗かせた。
「あ、小春ちゃん」
「深琴先輩、お待たせしました!すみません!」
「大丈夫ですよ。小春ちゃんもお疲れ様」
深琴と会うのは夏季休暇に三鷹で遊んだ時以来だった。
顔をほころばせた小春は軽い足取りで深琴が腰をかけている机に駆け寄る。
近寄ったことでよく見える深琴の肌の傷に小春の浮ついた心が落ちていった。
以前から深琴は傷を絶え間なく作っていたが、三鷹で会った頃より傷が増えているのだ。
軍服から覗く包帯が痛ましい。
小春の視線に気づいたのか、深琴は困ったように微笑んだ。
「見苦しいよね、ごめんなさい」
「いえ、そんなことないです。確か海外任務に行かれていたんですよね?苛烈だったんですか?」
「たまたま戦闘になっただけ。運が悪かったんです」
「嵐丸先輩も一緒に行かれなかったんですか?」
「ええ。軍学校からは私と、あと何人かいたけど別行動だったから覚えてないや」
力なく笑う姿が小春には苦しかった。
深琴が体に傷を作ってまで任務に向かい続ける理由は分からない。任務も学生の間は断ることだってできる。
自分を大事にしてほしい。言ってしまえば深琴を困らせるのは目に見えている。
加えて小春はただの仲のいい後輩でしかない。小春が言うのも違うのかもしれない。
「先輩、良ければこれ使ってください」
小春は革鞄から小さな小瓶を取り出し、深琴の手に握らせた。
昔からそれなりにわんぱくな少女だった小春は小さな傷を作って帰ってきていたため、凉斗父や凉斗から軟膏を持たされていたのだ。
それが今では手放せない相棒となっている始末。
気休めでしかないだろうがただ消毒して包帯を巻くより効果はあるだろう。
渡された深琴は少し驚いて小春の顔を見たが、すぐにまた困ったように笑った。
「これは小春ちゃんのでしょ?私は大丈夫ですから」
「いえ、この軟膏は先輩の怪我に貢献できます。お願いです、ぜひ使ってください」
「…いいんですか?もらいますよ?」
「構いません!ぜひ!」
「ははっ、やったぁ。ありがとうございます、小春ちゃん」
小春から嬉しそうに小瓶を受け取った深琴は頬を染めて笑った。
可愛い。非常に可愛い先輩である。
嵐丸には深琴と引き合わせてくれたことに感謝してもしきれない。
深琴の笑顔を噛み締めながら、次に小春は革鞄から贈り物用に包装してもらった小さな紙袋を取り出した。
本来の目的は軟膏ではなく、こっちだ。
「先輩、これも受け取ってください。父のことで迷惑かけたことのお詫びと相談に乗ってくださったお礼と先輩への敬意を込めたハンカチです」
「おお…沢山詰まってるね…あ!お父さんのことどうなりました?気になっていました」
今度は深琴が心配そうに小春の顔を見た。
小春もまたなんと答えようかと眉を下げながら笑う。
和解といえば和解だが、全てを許した訳では無いので和解できなかったと言っても間違いではないのだ。
ただ那由の想いを尊重するのであれば透にだって情状酌量の余地がある。
「父には会って話しました」
「え…あ、そう、なんですね」
「はい、聞きたいこともあったので。父とは今後どうなるかわかりませんけど…まあ、なるようになるかと思います」
「小春ちゃんはそれでいいんですか?」
深琴の質問に虚をつかれて小春は固まってしまった。
恐る恐る深琴を顔を見上げる。
そこには何か縋るような、苦しそうな、喉が締まるような表情を浮かべてた。
何故深琴がこんな表情をするのか。
今まで過ごしてきた中でこんな表情を小春は初めて見た。
「先輩、その」
「あ、いや、ごめんなさい!気にしないでください!」
「は…はい」
「改めてハンカチと軟膏ありがとうございます。私、次の予定があるので行きますね」
それだけ言って早々に深琴は教室を出て行った。
確かに予定があるから長話はできないと言っていたが、湧き上がる寂しさと疑問に小春は呆然とその姿を見送ることしかできなかった。
以前、深琴は透と会わなくてもいいんじゃないかと言った。
小春が深琴の意見と反して会ったことに何か思うことがあったのだろうか。
「私、余計なこと言ったかな…」
秋の空は移り変わりが激しいようで、ここに来るまで晴れていたのに気がつけば曇り空が雨を連れてきていた。
小春の苦手な雷が雲の中で呻いている。




