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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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移り変わる秋の空 二

自由ヶ丘にある桃坂家の本邸は洋館造りの屋敷で警備もかなり厳重になっている。

 トクダネを狙おうと記者が張り込もうとするが、妖術のいろはを知らない一般人ならまず話にもならない。

 本邸には何重にも施した妖術が主人である響介を守っている。

 加えて響介を守るのは妖術だけではない。

 禄士郎、そして家令の香山が率いる使用人達だ。


「おはようございます、香山さん」

「はい、おはようございます。小春嬢」


 ベルを鳴らし、開く扉から現れたのは執事服を見に纏った香山だった。

 好々爺のような笑顔とは似つかわしくない鍛えられた体。皺のない執事服がはち切れそうである。

 小春はベレー帽を取って胸元に当て、一礼をした。


「小春嬢、少しお顔を見てもよろしいでしょうか?」

「え、はい。何かありましたか?」


 即座に顔を上げ、小春は自分の顔を触る。

 多少の化粧はしているとはいえ、雑誌を見たり、千子から教わったものでおかしな化粧をしてはいないはずだ。

 香山は恥ずかしさで少し目を伏せる小春の顔を穴が空きそうなほど見つめる。


「少し目が腫れていますね。泣かれていましたかな?」

「あう…そうですね…」

「響介様は鈍い方なので気づかないと思いますが、禄士郎様は小春嬢の変化には気づくのが早い御方なので。他者から何かされての涙だった場合、少々問題ですね」

「それは大丈夫です。個人的な事情で泣いてしまっただけなので」


 さすがは禄士郎の教育係の香山だ。禄士郎のことをよく分かっている。

 小春は横浜での出来事を思い浮かべながら引き攣った笑みを浮かべた。

 また誰に泣かされたと問い詰められるのは勘弁して欲しい。

 苦いものを食べたような表情を浮かべる小春を見て察したのか、香山は溜息をつきながら額を手で抑えた。


「禄士郎様は少し極端なところがありますからね。今もその事で響介様からお叱りを受けているところですよ」

「お叱り、ですか?」

「ええ、先日せっかく仕立てた背広を汚して帰ってきたことが響介様にバレてしまって。そろそろお叱りも終盤じゃないでしょうかね。小春嬢が来るまでには終わらせると申されていましたから」


 先日、背広、汚して。この単語に小春は心臓が止まりそうになった。

 なぜなら背広を汚すことになった原因を作った現場に小春もいたからだ。

 しかも現場にいながら禄士郎を止めることができなかった。

 様々な事情や偶然が重なり、不可抗力であったと主張したところで暴走している主人を止めるのは従者の役目と言われてしまったら反論はできない。

 小春は最大限、素知らぬ顔をしてそうでしたか、と空気を流す。


 (私やれることはやったし、無理なもんは無理)


 小春は話を切り上げた香山の後に続いて響介と禄士郎がいる部屋へと向かう。

 おそらく今回の報告会は那由の調査結果を踏まえた魔女事件についてだろう。

 そろそろ軍内部でも進展があってもおかしくはない。

 夏季休暇明けて一日目だというのに午後からはかの子からのお呼び出しだ。

 那由の話、魔女について独自に調べたこと、魔女と契約した人間のテロ事件を頭の中で整理していく。

 するといつの間にか目的の部屋に到着していたようで香山が扉を軽く叩いた。


「響介様、禄士郎様、霧崎小春が来ました」

「入ってくれ」


 扉越しに響介の声が響く。

 香山に促され、小春は静かに扉を開けた。

 またベレー帽を緊張している胸に当て、頭を上げて挨拶をする。


「ご挨拶申し上げます。おはようございます、響介様、禄士郎様」

「おはよう小春。変わりは無いかい?」

「お気遣い感謝いたします。変わらず日々を過ごしております」

「なら良かった。さあ座ってくれ。香山、彼女の分の茶を」


 禄士郎と同様に桃坂家特有の桃色が滲む瞳。

 兄弟の二人の違いを挙げるなら禄士郎は人を寄せつける甘い蜜のような(かんばせ)だが、反対に猫のように釣りあがった瞳の形と常に下に下がる口元で人が簡単に寄り付くことはない。

 小春もまた最初は冷たい氷のような印象を抱いたが、それはただの見た目からの偏見だった。

 響介から紡がれる柔和な口調と穏やかな声色は出会った者の印象を変える。

 禄士郎の兄で桃坂家の当主の才覚を持っていて誰もが羨む存在であるが、欠点はある。


「響介様も足のお加減はいかがですか?」

「ふふっ、気にしてくれてありがとう。順調だよ。医者の話によればまた歩ける日も遠くないって」

「それは喜ばしいことですね」


 今、響介が座っている場所は部屋にある椅子ではなく、長年愛用している車椅子だ。

 先代の当主が亡くなった年に分家の襲撃により、足を負傷し、後遺症として歩けない体になってしまったそうだ。

 詳しい話は知らない小春はこうして会う度に気にかけ、手助けするくらいしかできない。


 (まあ、私が首を突っ込むものではないしな)

 

 小春は部屋に入り、下座にある丸椅子に座ろうとした。

 だが突き刺さる熱い視線に気づき、屈む動作を止めて顔を上げると隣に座れと言わんばかりに禄士郎が小春を見つめていた。

 禄士郎が座っている二人用の横長の座椅子だ。小春が座れる広さはある。


「おはよう、小春。今日もいい天気だね」

「…おはようございます、禄士郎様。良い天気ですね」


 いつもなら単刀直入に隣に座りなよと言ってくるが今日は目の前に響介がいるからか言ってはこない。

 だが目は口ほどに物を言う。本当にここに来るまでにこの人は叱られていたのだろうか。

 小春は次に優雅に紅茶を飲んでいる響介を見る。

 すると小春の視線に気づいたのか、響介は紅茶を飲むのをやめて顔を上げた。


「ん?どうかしたかい、小春」

「いえ、その…」

「あ、もしかして私の隣に座りたいのかい?」

「え」「はあ!?」

「構わないよ」

「え゙」「はあ゙!?」


 頭から血の気が引いていくようだった。

 ここに千子がいたら執筆が捗っていただろう。それくらい今の状況は乙女の心をざわつかせることができる。

 だが残念ながらここにいる乙女は小春だ。悲しいほどに心が揺らがない。それどころか、この場に香山がいないことを言葉にして憂いたい。

 年頃の乙女とうら若き色男から出てはいけない声が出てしまっている。


「二人とも、冗談だよ」

「兄さん、すごく分かりづらいからやめて」

「わ…わあ〜、響介様、さすがでございます…?」

「おやおや、違ったかな」


 苛立つ禄士郎となんとか発言する小春。

 頭の中で焦りと疑問が入り交じって出てくる言葉がめちゃくちゃだ。

 挙句の果てには発したの言葉の意味が分からず、疑問詞になってしまった。

 禄士郎と響介の違いは外見より中身の方が大きい。

 こうして響介は偶に冗談を言うが表情と言葉の軽さが不釣り合い故に冗談に聞こえないのだ。

 禄士郎も冗談を言うが自覚している故にまだそれ相応の反応ができる。

 だが響介は自覚のない無邪気な冗談なので、選択肢を間違えると奉公の約束が取り消しになることも有り得る。


「冗談って難しいな。ね、禄士郎?」

「一緒にしないで」


 横目で二人のやり取りを見つつ、小春は背負っていた革鞄を床に下ろして丸椅子に座る。

 結局、それぞれ別の椅子に座ることが一番の正解じゃないか。

 そして程なくして扉が叩かれ、紅茶を持った香山が部屋に入ってくる。

 小春の前に淹れたての紅茶、ミルクと角砂糖が置かれた。

 さすが香山である。しっかり小春の好みを理解してくれていた。


 (香山さん…!)


 お礼を言いつつ、小春ができる最大限の笑みを浮かべる。

 またもや小春の表情を見て察したのか、香山は眉を下げながら微笑み返した。香山の笑顔は心を落ち着かせる作用があるのではないだろうか。ただし筋肉で執事服を着ている好々爺ではあるが。

 そんなやり取りが気に食わなかったのか、眉をひそめた禄士郎が空席になっている隣をぼふぼふと叩いて座れと小春に催促し始める。


「禄士郎様、埃が巻き上がりますからおやめ下さい。はしたないですよ」


 神様、筋肉様、香山様。

 これを声を大にして小春は崇めたくなった。

 香山に窘められたことで禄士郎は催促することをやめ、小春を隣に座らせることも諦めた。

 心が穏やかになった小春は用意してもらった紅茶にミルクと角砂糖をいれる。

 ミルクをいれることを前提に淹れられた紅茶はそのまま飲むには熱いが、ティースプーンで混ぜて口をつける頃には程よい温度になっていた。


(今度香山さんに紅茶の淹れ方を教わろう)


 神様、執事様、香山様である。

 そして報告会に必要な人間は揃ったところで和やかだった空気は一変した。

 空気を変えたのは響介だった。


「さて本題に入ろう。小春、那由さんから話は聞いたかい?」

「はい」

「ならば良し。夜の魔女が与えた影響は関係各所に響いてる。海軍、陸軍、警察、それぞれからヒガン及びテロに関しての被害報告は上がっていてね。幸いなのはヒガンの存在が広く根付いていたけど満州まで届いていなかったってことくらいかな」

「赤レンガ倉庫での任務で発覚しましたがヒガンがもたらす副作用は脅威です。化け物化を活性化させる作用がある可能性が考えられます」


 空になったカップを香山に渡しながら響介はゆっくり頷いた。

 浅草の時もそうだったが路地で少女を誘拐していた男は化け物化が始まっていたことに加えて、ヒガンの名を出していた。

 玩具屋の店主が言っていたように誘拐が増えているといっていた理由も元を辿れば夜の魔女に繋がるのだろう。

 境での石母田貴美子が起こした功績は大きい。

 ここまでヒガンが広がっていたなら、恐らく彼女が境に乗り込まなくても他の人間が同じことをしていただろう。それがあの時だったというだけ。

 

 「入手したヒガンを技術開発部隊に解析してもらったらヒガンの妖力に反応する人間と反応しない人間がいるということが判明した。ヒガンを服用した全員が化け物化するということはない。完全な化け物化してなければ白夜軍じゃなくても警察だけで対処は可能、なんだけどね…」

「どちらかといえば夜の魔女と契約した人間のほうが厄介ってことでしょ、兄さん?」

「そうなんだよ。彼、彼女らは自らの意思で契約し、自暴自棄になっている。自暴自棄になった人間を止めることできるのは神のお告げくらいじゃないかな」

「むしろ契約した人間は神を恨んでいるんだから神のお告げなんて火に油だよ」

「あ、確かに。それもそうか」

 

 禄士郎と響介は互いに笑い合っている。兄弟ならではのジョークなのだろう。小春としては一切笑えないが。

 貴美子は世界を恨み、命の炎を復讐のために燃やし続けた。

 今こうして笑っている禄士郎も響介も貴美子と同様に薪をくべ続けているのだろうか。

 

(邪推良くない、ダメ絶対)


 小春は紅茶を飲んで腹の奥に考えを流し込む。


「話を戻すけど魔女事件についてだが、これから禄士郎と小春には外れてもらう。ただし桃坂家としての話になるけど」

「では白夜軍としては任務を与えられることもあるということでしょうか?」

「そういうこと。那由さんにはイギリスにいる魔女達、そして国際連盟の魔女対策本部に話をつけてもらった。軍でも三日後から本格的に夜の魔女捕縛作戦が行われる。その間、白夜軍から禄士郎達にも任務を与えられると思うけど精々見回りや避難誘導かな」


 事の動きを理解した小春と禄士郎はそれぞれ頷いた。

 本格的に、というのは陸軍、海軍、警察、白夜軍で連携を取るということだ。

 それぞれが派閥争いを起こし、連携が難しいと小春は考えていた。

 だが実現させた。それもまた桃坂家の現当主としての手腕故に成せたことなのだろう。


「ここまでで質問はあるかい?これから少し忙しくなるから質問するなら今だよ」

「兄さん、浅草の件のこと、まだ怒ってる?」

「怒ってるよ、反省してね。小春も質問はある?」

「今のところは無いです」


 質問を最後に報告会は閉幕となった。

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