色男 三
「ありがとう小春。そろそろ時間だから行くよ」
「妖力はもうよろしいのですか?」
「もう大丈夫。あと、このまま振り返らずに路地を出て。後ろのあれは知り合いが片付けるから。これは命令ね」
「理由をお聞きしても?」
「世の中には小春が知ってほしくないこともあるんだよ。これはそのうちの一つ」
小春が振り返らないように肩を掴んで阻止する。
本当は命令なんて使いたくはないが他人の命を優先してしまう小春には強く言わないと効かない。
小春が半年で禄士郎のことの扱い方を学んだように、禄士郎もまた小春の扱い方を知った。
お互い様ということで妥協してほしい。
すると息が吐く音が微かに漏れ聞こえた。息を吐いたのは小春だ。
呆れられてしまっただろうか。
そう思われてもおかしくない事を今、禄士郎はお願いしてしまっているのだ。
「不躾なことを申し上げます」
「あ、自主申告制なんだね。どうぞ」
「いつか聞かせてください、今日のことじゃなくてもいいので。私の中で方針が変わりまして、禄士郎様のこと知っていこうと決めました」
小春は命令通りに体は振り返らさせず、代わりに少しだけ首を動かして禄士郎の顔を覗くように上目遣いをした。
禄士郎を見上げる瞳は独占して食べてしまいたくなるほどに愛らしく、禄士郎の心臓を容赦なく鷲掴む。
仮面がなければきっと赤くなっている顔がバレて揶揄われていただろう。
どうしてくれようか、本当に。
「それではまた二日後に本邸で」
「えっ、うん?」
「ではこれにて失礼します」
「あ、ちょっと!?」
昂る脈を落ち着けようとよそ見をした隙に小春は禄士郎の手を振り払って、逃げるように大通りに走って行ってしまった。
こういう時の小春の逃げ足は一級品だ。
後ろ髪を引かれる思いだったが禄士郎は屋根に上がって宿屋の方角へと急いだ。
怒られないように急いだが花魁道中は既に再開しており、音羽が変わらず道の真ん中を歩き出していた。
「逢瀬は楽しかったか?」
「見てたの?」
「んなもん見るか、ゲロ出るわ。邪魔せずに逢瀬の時間を与えたんだからしっかり仕事してくれ」
「あらら、もしかして冷たく当たったこと怒ってるの?」
「別に。そもそも面人衆を人扱いするほうが珍しいんだからあれくらいで怒るほどガキじゃねぇよ」
実際の年齢は知らないがガキであることは変わりない、と言えば刀が飛んできそうなので禄士郎は黙って奏多を見た。
だが刀は飛んできた。解せない。
飛んできた刀を避けたせいか、奏多が着けている面の向こうから舌打ちが聞こえてきた。
なので代わりに禄士郎は奏多の頭を撫でる。面白いもので怒った猫のように奏多が暴れだした。
「きもい!やめろ!」
「奏多くん面白ぉ」
「くそが!楽しむんじゃねぇ!」
痛んでいる髪をひとしきり撫でた後、禄士郎は奏多の頭から手を離して花魁道中の列を追う。
奏多もまた禄士郎の後に続くように歩き出した。
本来なら浅草全体を練り歩くが、今回はごろつきが増えている状況ということもあって遊郭近辺のみとなっていた。
列は大通りを歩き、遊郭の門へと歩みを進めていく。
すると風に乗って奏多のなあ、という呼び声が禄士郎の耳に届く。
「何?」
「吉原の外って楽しいの?」
奏多の問いはどこか固く、期待を求める声色だった。
どうしたものか。禄士郎は横目で奏多を見る。
遊女や面人が外の世界を知りたいと思った瞬間、物ではなくなり人間として意識し始める。聞く相手を間違えれば処分されかねない。
理解している上で聞く相手を禄士郎にしたのか、ただの子供の好奇心として聞いてきているのか。
考える必要も無い。両方だろう。
(俺には関係ないけど)
可能性は低かったが禄士郎には外に連れ出される要因はあった。紀一郎である。
境から逃げ出してきた奏多に手を差し伸べ、外に連れ出される要因はあるのだろうか。
恐らく無いに等しいはずだ。あるとすれば今、問われている禄士郎が要因になれる。
「俺は先代の隠し子だったから無理やり連れ出されて最悪だったけど、今はすごく楽しいし満足してる」
「…お兄さん、俺を」
「甘えるな。出会って間もない人間を信頼しない方がいい。面人の先輩に教わらなかった?」
「じゃあ、お兄さんも俺を騙す悪い奴なのか?」
「正義も悪も人の裁量でしかないから明言はできないね。確かなのは面人の子供に絆されて引き取るほど優しさは持ち合わせてないことかな」
そうか、と消えそうな声で奏多は呟いた。
面人とて遊女と一緒で金を積んで自分自身を買うか、買われるかで遊郭から出ることはできる。
ただ一つ異なるとすれば、遊郭でしていたことの全てを第三者に話さないという誓約書を書くことだけ。
その点において禄士郎に懸念はない。あるとすれば『遊郭の外に出たい理由』だ。
禄士郎は高尾より幸せになるため、元々紀一郎に引き取られる前から遊郭を出る計画は立てていた。
遊郭の生活が嫌で抜け出した遊女や面人は数多くいた。
だがそれでも遊郭に戻ってくる人間は後を絶たなかった。それだけ遊郭と世間の差は大きく、生きていくには苦しく理不尽な世界だ。
「だけどすこーしだけ絆されちゃったからゲロっちゃうけど、奏多くんの外に出たい事情に後ろ盾が必要になるなら」
桃坂。桃は魔除け、厄除けの力を持つことから先祖は家名を持つときに名付けたそうだ。
禄士郎はこの名前が嫌いだった。この名を持つことで命が狙われることになり、高尾は愛した人に看取られずに命を落とした。
しかしこの名が未来ある少年の厄を祓うことができるのなら。
「その時は桃坂の門を叩けばいい。兄さんも有能な若者は歓迎するから」
「何が少し絆されちゃった、だよ。ムカつくけど高待遇じゃん」
「んははっ、奏多くんって面白いから絆されちゃった」
自然と口角が上がる。仮面を外せばまた奏多にきもいと言われるだろう。
「お兄さんの面が何で鬼なのか、分かった気がする」
「これ?音羽が選んだらしいんだけど、奏多くんまで俺のこと鬼に見えるの?まじ?」
禄士郎は先を歩く奏多の横に並び、小突いて奏多を振り向かせようとする。
それが鬱陶しかったのか、奏多は小突く禄士郎の尻に蹴りを入れた。
「いった!?初めてお尻蹴れたんだけど!?」
「そうかよ。どうせそうやって誑かしてたくさんの女を泣かしてきたんだろ」
「ええ…?どっちかというとこっちは誑かしてもないのに泣かれてる身なんだけど」
「結局泣かしてるんだったら変わらねぇだろ」
「むしろ口説いてるのに男として意識してもらってないんだけど、どう思う?俺、可哀想じゃない?今の蹴りは間違いと思わない?」
「がははは!ちゃんと釣り合いがとれてるじゃねえか!」
「笑うのやめてくれる?」
気がつけば列は遊郭の門を通っていく。音羽の花魁道中も終わりを迎えていた。
その間は胡紫のような誘拐も起きず、禄士郎の短時間労働は終了した。
婆様に挨拶でもしていこうかと考えたが、依頼料ももらってる上に特に話すことも思いつかない。
禄士郎は面を外し、奏多に渡す。
不思議に思ったのか、面を受け取った奏多は禄士郎の顔を見た。
「音羽さん達に会わなくていいのか?」
「うん、特にないし。それに音羽には旦那さんが待ってるんだから、俺が行ったら火に油でしょ」
「それはそう。…じゃあ、俺には?」
「あらら?もしかして奏多くんってば寂しいの〜?」
「きんも!違ぇよ!感謝の言葉くらいないのかって話だけど!?」
奏多を撫でる手を殴られていても禄士郎は撫でることをやめない。
先ほどまでの肌が焼けるような空気は消え、太陽が沈み始めていた。
活気だった浅草は顔を変え、酒の匂いを漂わせ始める。
そんな街から視線を外し、禄士郎は奏多に渡した鬼の面を指した。
「別れの餞別があるとしたら、その面かな」
「貰い物の貰い物かよ。だから好きな女に振り向いてもらえないんだろ」
「はあ?!好きな子にそんなことしないよ!」
「色男は皆そう言うよな。うぜー」
悪態を吐きつつも奏多は面を手放そうとしない。
弟が欲しいと禄士郎は思ってしまったが、これ以上家族が増えたら本当に響介の胃が爆発するだろう。
ただでさえ今でも紀一郎のことを嫌っており、墓参りにさえ赴いていない。
そんな響介にまた隠し子がいましたなんて言えば倒れてしまうかもしれない。
(…さすがに俺以外にいないと思うんだけどねぇ)
この後、スーツと刀を返すためだけに本邸に寄って行く予定だったが響介に挨拶くらいはしてもいいかもしれない。
禄士郎は奏多から手を離し、屋根を降りた。
「その面は売るなり捨てるなり、好きにしていいよ」
「なら保険としてもらっとく。忘れんなよ」
「あはは、覚えとくよ」
禄士郎は振り返ることなく、雑踏の中へと歩みを進めた。




