色男 二
なぜここに小春がいるのか。怪我はないか。誰と浅草に来たのか。その洋服は誰のために着ているのか。
聞きたいことはあれど禄士郎が刀を抜くには充分な舞台だった。
瞳孔が開いていく感覚を感じながら禄士郎はごろつきの肩を掴んで振り向かせ、腕を掴んで勢い良く背負い投げる。
ただ身体強化をしていたのを忘れていたせいでごろつきは吹き飛んで強く地面に叩き落とされた。
投げ飛ばしたごろつきを右足で踏みつけて動きを抑える。右足に力が増していっているせいか、ごろつきの肋骨が折れていくのを感じる。
「ヒガン!よこせぇ…!!」
口から血の泡を吹きながらごろつきは禄士郎の右足を掴む。
掴んでいる手の指先は黒ずんでいて、目も赤く血走っている。完全に化け物化が始まっている証拠が出揃っていた。
今ならこのごろつきを人として殺せる。
(人として?)
禄士郎は刀を引き抜き、刃を下に向けて高く持ち上げる。
全てを差し出していい。どんな望みも叶えてあげたい。これに嘘偽りはない。
ただそれでも小春を傷つけるものがあるなら排除しなくてはいけない。だって小春は自分で排除しようとしないから。
ヒガンに目が眩み、化け物化しようとしているごろつきでさえ小春は殺してはならないと言う。
小春は優しくて愛しくて守るべき存在なのだ。
(俺の幸せは小春がくれる。二人で幸せになれるならそれだけでいいのに、ね)
邪魔が多すぎる。このごろつきだって邪魔の一つ。
「いけません禄士郎様!」
小春の声が耳に届いても禄士郎は迷うことなく、刀をごろつきの喉に突き刺した。
あっけないものでごろつきは少し痙攣したのち、息絶えた。
小春の方を見ると胡紫の視界を覆うように禄士郎に背向けて胡紫を抱きしめている。
(俺とごろつき、どっちが人なんだろうな)
刀を突き刺した喉から引き抜き、血を払って鞘に納める。
タイミングを見計らっていたのか、奏多が音も無く現れた。
宿屋にいろと言ったが禄士郎の後を追ってきていたようだ。
「お兄さん、あの女は?」
「彼女は敵じゃない。刀を納めろ」
「…わりぃ」
奏多は大人しく刀を鞘に戻し、禄士郎と共に小春に近づく。
それに気づいたのか、小春は胡紫を抱きしめながら振り返って禄士郎の顔を見た。
その瞳は微かに揺らいでいた。
「小春、その子を彼に渡して。彼はその子の保護者だから」
「…かしこまりました」
小春は胡紫の目を塞ぎながら奏多に引き渡した。
「お兄さん、時間までには戻れよ。あとあれの処理は俺たちでやるから」
それだけ言い残し、震える胡紫を抱き上げた奏多は屋根に上がって行った。
禄士郎もまた宿屋に戻ろうとした刹那だった。
黙っていた小春が禄士郎の手を掴み、妖力を流してきた。
「何してるの」
「気づいていませんか。今の禄士郎様、ほとんど妖力残っていませんよ」
「え?ああ、そうか…そうだった」
小春の冷静な指摘に我に返る。指摘されて初めて自身の手が妖力の枯渇で震えていることに気が付いた。
握られた手から小春の妖力が注がれ、ゆっくりと流れてくる。
使いすぎていた自覚はあったが頭に血が上っていたようだ。まったく気が付けなかった。
意識が朦朧として上手く理性が働かない。
着ている背広が血で汚れているから小春に近づかないほうがいい。
そう思いながら禄士郎は一度繋いでいた手を離し、小春の体を反転させて後ろに向かせた。
「あの、禄士郎様?」
そのまま着けていた面を外し、小春の肩に頭を預けてまた手を繋ぐ。
手を繋いでおけば妖力の供給は行われる。何も問題はない。
「禄士郎様、これでは顔が見えません」
「…今は見なくていいの。今日は誰かと逢引?今日の小春、いつも以上に可愛いね」
「強いて言うなら母と凉斗と、あとはおまけがいます」
「逢引じゃないじゃん。ねえ、今度は俺のためにお洒落してよ。小春の色んな姿、見たい」
「…ふむ。なんというか、褒められるのは悪くないですね」
「ふはっ、気分いいの?」
「そりゃあ、数々の一目惚れを盗んでいる美丈夫に褒めてもらえたら誰だって気分良くなりますよ」
「小春は俺の顔が好きなの?」
「顔の好みを考えたことが無いので何とも。あ、でも禄士郎様の困り顔は面白くて好きです」
「小春、性格悪いねぇ」
あなたに言われたくないです、と小春に返された言葉に禄士郎はくつくつと笑う。
笑う度に禄士郎の髪が首筋にあたってくすぐったいのか、小春は小さく身を捩って離れようとする。
いつだか、ある遊女が言っていた言葉を思い出してしまう。
好きな人が困っているともっと困らせてしまうと。嫌われる要因になるかもしれないのに、構ってほしくて、その表情を、差し向けてくれる感情を独り占めがしたがためにやってしまう。
今、禄士郎の奥底に湧き上がる思いもこのことを言うのだろう。
「まだ離れないで」
そう言って禄士郎は繋いでいる手の親指を小春の手の甲を撫でるように動かす。
「くすぐったいです。やめてください」
「怒った?」
「このまま続けるなら怒ります」
「じゃあやめる。…ねえ、小春」
「はい」
「俺が怖くないの?俺、人間じゃないかもしれないよ?」
うるさすぎる静寂が訪れた。大通りの喧騒だけが路地裏に響く。
小春から返事が返ってこない。
聞くんじゃなかった。気を弛めすぎた。そんな後悔が心臓を急かせ、冷や汗を浮かび上がらせる。
禄士郎が離れようとした瞬間、小春の息を吸う音が聞こえた。
「慣れました。私、母とイタリアに一週間ほど旅行したことがあるのですが、不思議なもので段々現地の人たちが何を言ってるのか何となくわかるようになってました。慣れってすごいんですよ」
「…」
「もし今ここにいる禄士郎様が人間じゃなかったとして。こうして逃げることもせず、慣れましたと言ってしまう私もまた私も人間じゃないのでしょうね。でも流れてる血は赤いですし、風邪もひくのでまだ人間ですね。もちろん禄士郎様も」
「なんでそう思うの」
「禄士郎様でさえ妖力を使いすぎると枯渇症状が出ているじゃないですか。症状が出るのは人間だけですよ。教科書に載ってました」
こんな都合の良いことが起きていいのだろうか。好きな人に幸せを貰って、妖力まで貰っている。
今、小春に心臓を刺されても禄士郎は幸せに死ねるだろう。むしろ何かの法に触れて小春のほうが逮捕されるのではないか。
このまま浅草に立場も役目もすべて捨て置いて、小春の手を引いて遠くへ行くのもいいかもしれない。
なんて言っても小春は首を縦には振らないだろうし、連れ出したところで小春本人に無理やり本邸へと戻されるのがオチだ。
小春からの妖力のおかげで枯渇症状も治まり、そろそろ戻らないと本当に怒られる。
禄士郎は繋いでいた手を離し、面を着けた。




