第二幕 もう一人のおかあさん
「朝叩き起されて俺たちはさっきまで富士山を見てたよね?小春は無事目覚めたし、綺麗な富士山も見れて嬉しいんだけどね?」
「はい」
時刻は午前十時。
禄士郎の言う通り、えいの糸から解放され、宿の布団の上で目覚めた小春はまず禄士郎を叩き起こした。
慌てて叩き起こした小春には新幹線が出発する時刻までに観光を終わらせ、禄士郎を帝都行きの新幹線に乗せると言う目的果たさないといけなかったのだ。
「俺だけ帝都に帰るっておかしくない?」
「おかしくはないです。任務前にお伝えしました、今日桃坂家で親族会議があると。響介様からの手紙も渡してますよ」
「確かにそうだけど、だからって小春が一人で大阪に行くのは危険だよ」
そう、小春はこの後、えいの頼み事を終わらせて大阪に向かわなくてはいけない。
大阪へ向かうのは軍学校から課された任務の為。この任務は座学単位の代わりとなっている。
そもそも座学が免除されているのは見習生として必要な実力と知識が事足りてしまっている禄士郎を軍学校が持て余してしまっているという原因故にだ。
だから必然的に同様に小春も座学が免除され、任務を断ると言うことはできない。
「小春は一人で大阪には行かねぇよ。安心しな、旦那」
「んな!?凉斗さん!?」
「あ、凉斗」
帝都行きとは反対の新幹線から出てきたのは小春の幼馴染、雨宮凉斗だった。
小春達の軍服とは違い、和装である袴を着こなしている。
陽気な五月でも寒がりなのは変わりないようでマフラーを巻き、厚手の革手袋をつけていた。
すると禄士郎が小春の肩を掴んでブンブンと音が鳴りそうなくらい揺さぶりだした。
「小春、まさか凉斗さんと大阪に行く気?!」
「そうですよ。以前に凉斗が大阪に行きたいと言ってたので誘ってみました」
「そっか…それなら誘っちゃうよね…」
「禄士郎様も大阪に行きたかったのですか?」
「そう言うことじゃないけど、強いて言うなら小春と大阪観光したかったよ」
小春が何か言おうとしたがそれは凉斗に阻まれてしまった。
なぜなら凉斗が駄々をこねる禄士郎を小春から引き剥がし、帝都行きの新幹線に無理やり乗せたのだ。
しかもタイミングよく扉も閉まってしまい、完全に小春の声は届かなくなった。
禄士郎が扉越しに何かを言っているがそれも小春の耳には届かない。
そして無情にもそのまま発車し、あっという間にその姿は見えなくなる。
「凉斗」
「そう睨むなって。ああでもしないと旦那は新幹線乗らないだろ」
「そうだけど、まだ私と話してた」
「なら今度から発車前は手短に話せよ。それにあの旦那だからわざと乗らないってこともするだろ?」
「…禄士郎様ならやりかねない、かも」
「だろ?ならこの話は終わり。で、このまま大阪に向かうのか?」
「ううん、少し寄らなくちゃいけないとこがある。大阪はそれから」
今、新幹線の中で禄士郎は頬を膨らませて拗ねている頃だろう。
今晩、嵐のような電話とメッセージが来ることを覚悟しなくてはならなくなった。
ため息をついた後、小春は改札口に向かって歩き出す。それに続いて凉斗も歩き出した。
元々、桃坂家の現当主である桃坂響介から禄士郎とコンビになる時に伝えられていたことがあった。
『禄士郎は甘えるのが苦手なんだ。苦労をかけると思うがよろしく頼む』
ちょっとした言葉のいじわるやこうして暗にそばに居たいと仄めかしてくるのは禄士郎なりの甘えなのかもしれない。
ただコンビを組んでまだ二ヶ月なのにこの異様な信頼は何なのか、小春はわかっていない。
そして禄士郎もまた話そうとしない。話さない理由もわからない。
だが小春は心のどこかで話さない理由が呆れるようなくだらないものがいいと願っていたりする。
もし禄士郎の生い立ちや彼の奥底にあるものに関係するなら小春は何も聞きたくはない。
小春には禄士郎の全てを支える覚悟はないのだから。
ーーー
駅を離れ、小春達はえいが住んでいた村井家に訪れていた。
小さな客間に通され、目の前にえいの父親、母親、そして妹のなつがそれぞれ座っている。
今回関係のない凉斗には家の外で待ってもらっているので村井一家に対峙しているのは小春だけだ。
それぞれ表情は重苦しい。
まだえいの死に対して感情の置き場所を探しているのだろう。
そんな重い空気を打ち破ったのは小春だった。
「犯人の結末は村長さんから聞いていると思いますが、そのことについての報告じゃありません。今日はえいさんに頼まれてここにきました」
「あの子に頼まれて…?えいはあなたと面識なんて」
「犯人との戦闘の際にえいさんの、簡単に言うと霊にお会いしました」
「霊だって!?そんな話…!冷やかしなら!」
「信じるか信じないかは皆さんにお任せします。ただ私は皆さんが楽になるようにとここにきた訳ではありません。あくまでえいさんに頼まれたからです」
言葉を遮り、拳を振るわせる父親の目を見ながらまっすぐに告げる。
詳しい説明を端折った小春も悪いが、この後の新幹線に乗る時刻のことを考えたら説明する時間はないうえに説明したとて糸が見えない人間に話しても理解してもらえると小春は思っていない。
父親もその態度に言い返す気力がなくなったのか、小春から目を逸らして俯いた。
「えいさんから言伝を預かっています。それをお伝えさせていただきます」
誰もが無言のままだった。
だが妹のなつは思いを言葉にせず、小春を見ていた。その眼差しはえいにそっくりだ。
小春には兄妹がいない。だからこそ兄弟や姉妹の絆というものを詳しくは知らない。
なつの眼差しが、えいの思いが、羨ましく眩しく思える。
「ご両親には酷いこと言ってごめんなさい。でも2人の娘で良かった、と」
両親が顔を上げる。
そこには赤く染まった鼻と大粒の涙があった。
「なつさんにはまた来世でも姉妹になってほしい。あんたは大好きな妹だから、と」
反対になつは目を閉じ、静かに泣いていた。
その瞼の裏に誰がいるのか、想像に難くない。
小春は失礼しますと告げて静かに家を出た。
そして外で待機していた凉斗に目をやり、駅の方へと歩き出す。
皐月風が吹き抜け、草木を揺らした。
「難儀、だな」
「何に対して?」
「紬師の役目も、人の心も、小春もな。どうせこのことは旦那には言ってないんだろ?」
「言ってないよ。残された人の未練は私には解けないし、大切な人を奪われて化け物になってほしくない。ただそれだけ」
「…あの付喪神のことを言っているのか?」
小春は小さく頷き、そっとジャケットの内ポケットから古びた新幹線のチケットを取り出す。
取り出したチケットは小春が初めて買ったチケットで、愛を教えてくれたもう一人の母親との思い出の品だ。




