訪れる嵐 二
小春の母親、霧崎那由は紬師としては天才ではあるが人間としては極端だと言っていい。
歳を重ね、徐々に世間を知っていく中で小春はそう確信した。
例をあげるなら京都での家出の後の旅行。これは学校を休学してまで連れ出された。
そして紬師として一時休職。休職期間も一年なんてものじゃなく、小春が軍学校に入学するまでの六年である。
「いいから帰れ!そもそも会わないって言っただろうが!」
「知るか!儂は会わないと言っておらんだろうが!大旦那の地位なんぞ畜生の飯にでもしとけ!灼司、儂は帰らんぞ!」
「それは無理だって灼司がさっきから何度も言ってんだろ!?私は今から小春と出かけんだよ!帰れ!」
結果を言えば那由と大旦那が灼司を挟んで喧嘩をしている間に小春はお風呂に無事入ることができた。
そして今、小春は二階の自身の部屋にて飛び交う二人の喧騒を聞いている。
二人の喧嘩を止めようにも大旦那が那由に執着する理由や関係性が分からないので無理な問題だ。
そもそも極端な人間と妖の頂点が言い争って解決できるとも思わない。もう家を壊さなかったら何でもいい。
(お母さんは私に話そうとはしないだろうな)
小春も決めたことがある。
那由が透のことや大旦那のことを話さない限り、小春もまた透と再会したことを話すつもりはない。
浅草へ出かけるために小春は箪笥から洋服を取り出す。
白いシャツと海のような深い紺色のスカートを着て、襟元に同じ紺色のシルクのスカーフを巻く。
少し前までお洒落というものには疎かった小春も千子の影響で、今ではスカーフを巻いて化粧をしている。
千子を真似て買ったレース状の手袋をはめて、玄関へと向かう。
だが階段を降りた瞬間、居間から走って飛び出してきた那由が小春の前に立ち塞がった。
「おかえり小春!ただいま小春!どこに行くんだ小春!」
「……ただいまお母さん。おかえりお母さん。凉斗と浅草行ってくる。行ってきます」
黙って家に帰ってきた小春に対しては正しい対応だが、状況が状況だ。
今の那由と出かけたくない。それが小春の率直な感想だった。
何故なら那由の足を掴みながら獣のように唸りながら威嚇する大旦那が小春を睨んでいるからだ。
どうやら今回の姿は艶やかな黒髪が特徴的な見目麗しい美女だった。かの有名な楊貴妃が今の大旦那のような姿だったと言っても疑うものは少ないだろう。
ただそれほどの美人に睨まれるという経験も珍しい。加えて美人に睨まれるっていうのもなかなかに怖い。
「浅草か、いいな!母さんも行く!」
「それは構わないけどまずは大旦那様をどうにかしてからにして」
「そういうことだ。黒、境に帰れ」
「はああ!?那由は儂と出かければ問題なかろうが!」
傾国の美女になっても声は元の大旦那なままのせいで一気に残念感が増す。そして一々うるさい。
小春は横目に大旦那を睨んでいる灼司を見る。
やはり彼は大旦那の回収が目的のようだ。ただ大旦那が駄々をこねるたびに怒りと評した妖力が漏れ出している。
そろそろ灼司の胃に穴が空くのも時間の問題だろう。
(ここで私が何を言っても平行線だろうな。お母さんたちは置いていこう)
諦めた小春は那由の横を通って玄関に向かい、靴箱からパンプスを取り出す。
やはり普段履かない靴を履いて出かけるというのは胸が躍るというもの。ただし靴を履いている最中、後ろで母親と妖が口論していなければの話だが。
もはやここまでくると小春か灼司の堪忍袋の緒が切れるレースになってきている。
灼司の額に見えない青筋が浮き上がらせているように、小春の額にも青筋が浮き始めた。
「私が大切なのは小春だ!いい加減にしろ黒!本当に祓うぞ!」
「那由と死闘ができるのなら一向に構わぬ!むしろお前の魂を奪ってやろうぞ!」
「いい加減にしろォォ!!!」
小春がゴールする前に灼司の堪忍袋の緒がゴールしたようだ。
家中に響いた虎の咆哮はその場にいた全員の鼓膜と家具を揺らし、障子を引き裂く。
「いつまでもオチのない喧嘩をしてんじゃねェ。大旦那が悪いのは当然だが那由さん、終わらねェ喧嘩するならアンタも折衷案の一つでも出せや。このやりとりを何時間やってると思ってんだ」
「なんで私が折衷案を出さなくちゃいけねーんだよ!」
「オレの折衷案を蹴って渋ったのオメェらだろが。そんで大旦那を説得するっつたの那由さんだよなァ?結局朝になっても大旦那と帰れ帰りたくないの押し問答のまま。まァ、そこまでは予想でいたから百歩譲っていいとしても小春にまで呆れられて、自分の倅の前でガキになるのは違ェだろ」
「………すみません」
小春は目を丸くした。そして説教を口に出しながら居間から出てきた灼司を見るために振り返る。
振り返って見た灼司の顔には苛立ちの色がひどく滲んでいた。
昨夜小春から聞いた透との事情も考慮した上での叱責なのだろう。
さすがの那由もぐうの音も出ないようで素直に反省している。
だが灼司の叱責の気に食わない大旦那は睨む相手を小春から灼司に変えた。
このままでは灼司を完全に突っぱねて本当に大旦那が境へ帰らなくなってしまう。
小春は静まり返る空気の中、手を挙げた。
「なら私が折衷案を出す。お母さんは大旦那と共に行動する。もし暴れたとしても東京なら白夜軍がすぐ動けるし、隣にお母さんもいるから大事にはなりにくいと思う」
「何故儂がこの小娘の案を呑まねばならないのだ」
「黙れ黒。結果として私といたいなら黙って頷け」
那由の低く怒りが満ちた声に大旦那は扇子で口元を隠して黙った。
大旦那は本気で那由に拒絶されるのは本意ではないらしいが、小春からすればいい迷惑である。
実の母親に付き纏う妖は小春からすれば祓いたいところだが、妖の統括主となればそうはいかない。
(もはや母親の付き纏いが妖の統括主っていうのは面白く思えてくるな。笑えないけど)
刹那、玄関の扉が勢いよく開き、無表情の凉斗が堂々と登場した。
小春含め、全員が視線を現れた凉斗に突き刺す。
「終わったんなら早く家から出てこい」
さすが空気を読むなんぞ知ったところではない凉斗である。
凉斗の一言で化け物屋敷は普通の霧崎宅へと戻った。




