救いの共犯 四
禄士郎にとって珍しくもない光景が出来上がっていた。
土下座している東雲の頭から流れる鮮血。その背後には無表情の佐久間。
尻尾切り、元々佐久間は東雲を口封じする気だったのだろう。だから発砲した。それだけのこと。
だが小春にとってこの光景は慣れないものだったのか、東雲が土下座したまま死んだと理解した瞬間、僅かに瞳孔が揺れた。
「小春、大丈夫?」
「…はい、少し驚いただけです」
無表情のまま小春は淡々と答える。
そして消えていく東雲の糸を見送った後、報告してきますとだけ言って倉庫から出て行った。
倉庫内に残されたのは禄士郎、佐久間、両腕を失った元化け物、東雲の遺体。
夏の暑さに蒸されている倉庫に血の匂いが充満するには時間はかからない。
禄士郎は一つ、ため息をついて東雲の首に手を当てる。
もちろん、脈がないことは分かりきっているが確認をしていないとのちに響介に怒られるのできちんと確認をする。
ニシキを起動し、東雲の遺体を撮影した。
すると佐久間が口を開く。
「彼女はこういうのは慣れていないのですか?」
「恐らく。それよりも東雲を殺すには時期尚早じゃないですか?聞き出すこともまだあったでしょうに」
禄士郎の指摘に佐久間は苦笑を浮かべた。
そして掛けていた眼鏡のレンズを布で拭きながらさも当然のように答える。
「刑務所で死ぬか、ここで死ぬかの誤差です。それにここで殺さないと私が上層部に筐辺大佐との繋がりを疑われる。私も命が惜しいのでね」
「あっそ。じゃあ化け物くんが助かったから今殺してもいいって思ったわけですか?」
「端的に言うとそうなりますね。どうせここにいるのは桃坂の番犬と調教師だけだ。問題はないでしょう?」
瞬間、禄士郎の中で熱が生まれた。戦闘時に湧き上がるものとは違い、明確な怒りによるものだった。
禄士郎は心臓から糸を引き抜き、鍔のない刀を紡ぐ。
紡がれた刀の切っ先は佐久間の喉元へと突きつけられ、鋭い切っ先から赤い血が1滴流れ落ちる。
対して佐久間は命乞いをするでもなく、眉を歪めて嘲笑した。
「人間のように恋をしても番犬は番犬のままのようですね、桃坂禄士郎」
「佐久間さん、気を付けて発言しないと。番犬の牙は軽いよ」
禄士郎が桃坂家に引き取られ、分家が送り出してくる暗殺者や桃坂に仇なす敵を斬り続けた結果、いつしか『番犬』と呼ばれ始めていた。
番犬としての生き方は桃坂家に引き取られる前から始まっていた。
故に番犬と侮蔑されようと特に怒りも誇りも感じることはない。
だが小春が汚い大人に汚されることはあってはならない。例えそれが実兄や自分自身であっても。
(そんなことありえないんだけど)
すると佐久間は持っていた銃で刃を押し払い、喉元の血を拭った。
謝罪は無いが話はここまでのようだ。舌打ちを呑み込んだことを誰か褒めて欲しい。
「彼のことは私が責任をもって医療部隊に引き渡す。ついでに遺体処理も。今日はご苦労だった」
「どうも。桃坂に恨みでもあるのか知りませんけど命は大事にしたほうがいいですよ、佐久間兵長」
「…恨みなんてない。只の揶揄いに吠えないでください、番犬」
禄士郎は佐久間を一瞥して倉庫を出た。
外はすっかり夕暮れ時だったが、それでも蒸し暑さは健在していた。
(嘘つけ)
佐久間が禄士郎を見る目は確かに何かを孕んだ目をしていた。
禄士郎は生きるために屍を作り続けきた。
だからこそバッシキ無しで人を殺すためだけの刀は紡げるようになったし、人の視線を敏感に感じ取れるようにもなった。
(香山に調べてもらうか?)
外で報告の連絡をしている小春へと歩みを進めながら、過去の記憶を遡る。
禄士郎含め、桃坂に恨みを持っている者は多い。命を狙われたり、狙ったり。
普段なら桃坂に恨みや憎悪をぶつけられたとしても何とも思わないのだが、相手は海軍と白夜軍を行き来するかの子のスパイだ。
運よく響介と鉢合わせた時に牙を向けかねない。
(俺は襲われたところで返り討ちにできるから別にいいんだけど)
響介が襲われたとて返り討ちにするとは思うが、万が一の可能性を捨ててはいけない。
現在、桃坂家は響介の手腕で順調に再興しつつある。
その中で響介が死んでしまうのは非常にまずい。また分家に好き勝手され、今度こそ本当に中立の立場を剥奪されかねない。
(ダメだ。佐久間の名前に心当たりがない)
覚えている記憶の中に佐久間の顔も名前も浮かんでこない。
諦めたところで視界に静かなに波を立てる海と小春が入る。
小春も禄士郎に気づいたのか、通話を切りながら禄士郎の方へと駆け寄ってきた。
「お待たせ致して申し訳ありません、禄士郎様」
「気にしないで。むしろ報告ありがとう、たすか…え」
「あ…」
一秒、呼吸が止まった。
何気ない、いつもと変わらない会話をしていたはずなのに、目の前にいた小春の瞳から涙が零れ落ちたのだ。
小春が初めて涙を見せたこと、泣いてしまうほどの何かがあったこと、それぞれの事実が禄士郎の頭を強く打ちつける。
「これは、その」
「泣かせたのは誰?佐久間兵長?筺辺大佐?俺?今すぐ言って、消すから。例え俺であっても」
頭に血が昇っている。よくないと分かっていても吐き出される言葉も怒りも止められない。
小春の心を蝕むものは例え自分自身であっても許されない。むしろ一番起きてはならないことだ。
そんな禄士郎を見た小春は顔を蒼白させ、息を震わせながら懸命に口を開かせる。
「原因は、私にあるんです…!私が、何もっ、知らなかったから…!」
「…小春?知らなかったって」
「私は、私はっ…お父さんに愛してもらえない…っ」
今日は随分忙しい。
初めてあった人間に憎悪を向けられ、今、大切な人が目の前で幼い子供のように涙を流しながら嗚咽を吐いている。
いつもは凛とまっすぐな背筋も弱々しく折れ曲がり、体を縮こまらせて震えている。
どうしたらいいんだ。禄士郎は目を細めながら小春を見下ろした。
ひぐらしの鳴き声と小春の震える呼吸だけがずっと耳に響く。
ひとしきり泣いた後、小春は顔を覆っていた手を下ろし、意を決したように禄士郎を見上げる。
夕日に照らされた小春の顔はいつもと違ってより人間らしく、禄士郎にとって美しく、愛らしく、煽情的に見えてしまった。
(そうだよ。小春は、こうでないと)
小春に惹かれたきっかけは小さくて、些細なことで、話したところで本人はきっと覚えてはいないだろう。
だがそんな小さなきっかけも今回のように上書きされて、もっと霧崎小春に魅せられていく。
そんな日々が他人に崩されるなら喜んで番犬にでも化け物にでもなれる。
「…禄士郎様、私の話を聞いてくださいませんか」
「勿論。聞かせてよ、小春」
もう間違えない。我慢なんてしない。黙る必要だって無い。
いつかの幼い自分に見せつけるように、小春の黒髪に触れた。




