落ちて溜まる 四
駅から離れて見る横浜の景色は帝都や大阪とはまた違う街並みだった。
貿易港があるからか、帝都より異国人が多く行き交っており、露店が多く立ち並んでいた。
日本語、英語、中国語、様々な言語が飛び交い、まるでここが日本じゃないような心地になる。
キョロキョロと首を動かしていると宝石の露店の店主と目が合う。
小春に気づいた店主は手を振り、片言の日本語で呼び出した。
「と嵐丸少年の独逸編が幕を下ろすのだが、時に小春くん」
「え、あ、はい」
「あまりここら辺の露店はおすすめしないぞ。当たりの品もあるが圧倒的に紛い物が多い。しかも当たりより高価で売りつけられるからな」
「じゃあ、あの店主も…?」
「僕からは好奇心旺盛な梟に見えるけど、彼らからは金を持った鴨に見えていると言っておこうかな」
「おっと…」
小春は即座に店主から目を離した。
そんな小春を見た嵐丸はよろしい、とだけ言ってまた歩み始めた。そしてコンサート編の物語が始まる。
嵐丸の歌劇を傾聴しながら小春も歩く。
露店が並ぶ道を抜け、気がつけば洋式の民家がある場所へと嵐丸の足が向いていく。
行き交っていた外国人や行商人の姿はすっかり無くなり、代わりに横浜に住まう人々が行き交っていた。
すると嵐丸の歌が止まり、思い出したのようにあ、と言葉を漏らす。
「露店についてもう一つ忠告しておこう」
そう言いながらも嵐丸の歩みを止めない。
そしてそのまま小道に入り、なだらかな坂を登る。
「さっき通ってきた露店通りはぼったくりの店も多いがあれでも海軍から営業許可証を得ている。だが、あの通りから離れた場所や路地にある露店や商品を広げている人物には近づかない方がいい」
「違法の方々、だからですか?」
「それもあるがこの横浜には闇市が存在しているんだよ。いわゆる極道の人たちが貧困者を雇って『ヒガン』や上納品になり損ねたものを売り捌いているんだよ。ここには良い意味でも悪い意味でも金持ちが集まるからね」
「…警察は動いていないのですか?」
「動いていたら闇市なんてないよ。境からの『ヒガン』の供給が無くなった今、極道の人たちは随分困っているみたいだよ。どこぞの魔女さんが製造主を殺したとかどうとか」
世間に公表するにあたって小春が境で調査した麻薬は『ヒガン』と命名された。
由来理由としては服用しすぎると彼岸花の花弁を吐きながら死んでしまうからだ。
そして嵐丸はヒガンの製造主がなぜ死んだのか、それに小春が関わっていたことは知らないなのだろう。
ヒガンの供給が無くなったことで世間にもたらした影響は大きい。そして闇市場にも。
今は白夜軍と警察で共同で世に出回っているヒガンの回収を行なってはいるが思いの外、数が多くて手こずっている状態だ。
しかも残されたヒガンはオークションのように値段が釣り上がっていっている。
今回の横浜での任務もまたヒガンが絡んでいるんじゃないかというかの子の推察から小春たちは派遣されたわけなのだが。
(なんで嵐丸先輩の歴史歌劇を聞いてるんだっけ?というか禄士郎様に相談するための助言をもらう流れだったような…?)
小春は首を傾げる。
だがその問いを嵐丸に投げかける前にコンサート編が終わり、目的地についてしまった。
嵐丸は小さな店の前で止まり、日傘を閉じる。
店の前には『ナガヤマ工房』と書かれた看板が立てかけられていた。
赤煉瓦の壁は蔦で覆われ、夏の陽射しに照らされて朝顔が咲き誇っている。
(まあ、嵐丸先輩の話が繋がらなかったり、飛んだりするのはいつものことだしな)
扉に付いていたベルの音が小春たちを向かい入れる。
天井に付いているシーリングファンのプロペラが回り、冷たい風が火照っていた肌を冷ましていく。
壁に備え付けられたガラスケースの中には様々なヴァイオリンが並び、艶やかに輝いていた。
奥には一席分のテラス席があり、テラスをぬけると小さな小屋があった。きっとその小屋が作業場なのだろう。
「ここの店主は良い職人で海外から来たヴァイオリンの演奏者の調律も請け負っているんだ」
「はぁ…」
「そして一見お断りの絡繰り技師でもある。バッシキが壊れたら訪れるといい。僕から君のことを紹介しておくよ」
「はぁ…ん?なる、ほど?」
小春の思考は完全に疑問で染まる。
今は通訳の深琴や禄士郎がいないため、嵐丸の意図を完全に理解することができない。
ただ嵐丸が与えた情報は有益であった。
ヒガンや闇市の情報は今回の任務に関りがある可能性もある。この工房のこともいつかの時にお世話になるかもしれない。
嵐丸の意図は読めずとも、小春は与えられた情報を有難く受け取らせてもらうことにした。
するとテラスに続く扉が開き、背の高い男がおや、と声を漏らして店内に入ってくる。
小春と嵐丸を見るなり、目に皺を寄せて柔和な笑みを浮かべた。
「ようこそいらっしゃいませ、嵐丸様とお嬢さん」
「ご機嫌よう永山さん!ヴァイオリンを受け取りに来たんだ。そしてこっちは僕の後輩、霧崎小春くん。今後ここを訪ねてくるかもしれないから、その時はよろしく頼むよ」
「それはバッシキのほうですかな?」
「そうだとも!」
「それはそれは、ぜひともサービスさせていただきます」
店主、永山はエプロンのポッケから名刺を取り出して小春に渡した。
軽く自己紹介をした小春も名刺を受け取り、ジャケットの懐にいれる。
優しそうな人で良かった。ほとんどバッシキの修理や調節は凉斗に任せているがたまには別の技師に頼むのも悪くはないだろう。
「嵐丸様のヴァイオリンは工房に保存しております故、しばしお待ちを」
永山は即座に背を向け、また工房のほうへと歩いていった。
すると嵐丸はカウンターに肘をかけ、口角を上げてにんやりと笑う。本当に意図が分からない。
「今小春くんは僕が本題を忘れたと思っているね?」
「思っていますね」
「素直でよろしい!さてここまで僕が君に伝えたことで受け取ったものと受け取らなかったものがあるだろう?」
「えっと…?」
「僕は店主が優秀な絡繰り技師として紹介しただろう?それに対して君はどう思った?」
「今度、立ち寄ってみようかと思いました」
「さっき話した闇市の情報も任務に役に立つと思わなかったかい?」
「思いました…」
それを聞くと嵐丸は満足そうに笑い、戻ってきた永山からヴァイオリンを受け取った。
その笑みが分からず、小春は首を傾げる。
言った返答が何故嵐丸を満足させるのか。小春にはまだ分からないのだ。
「つまりだね、誰かを頼る時、甘える時、さっきの僕みたいな感じでいいんだよ。言いづらいなら歌にでもしてしまえばいいさ。そして相談でも頼み事でも歌でも受け取るか聞くだけかは相手が選ぶことだ。僕の話を聞いた小春くんのようにね。そこの『選択』は小春くんがすることではないさ」
「…でも禄士郎様と私は立場が違います。気軽に相談できる相手では無いですよ」
「確かに立場というのもはある。だが立場云々の前に思い出してみなよ、君たちは十六歳と十七歳で『大人』ではないんだ。だからそんなもの大人になった未来の君にくれてやればいいさ!」
力強く言葉を放った嵐丸はヴァイオリンの弓を小春に向けた。
どうやら駅からの嵐丸の言動は全て小春へのアドバイスだったようだ。
小春の悩みを聞くかどうかを判断するのは禄士郎であって小春ではない。
その助言に心がざわついた。過去に凉斗に指摘されてから気づいたのだが、どうにも無意識に他人へ『配慮しすぎてしまう』らしい。
いつからこうなってしまったかは分からないが、思い当たる節は色々あった。
(向き合わないといけないんだろうな、私は)
誰かと、何かと、向き合う度にこのしみついた癖は小春を必要以上に襲うのだろう。
「さて今から僕はヴァイオリンを確認するために演奏するが聞いていきたいなら、ここで涼んでいくがいい」
小春の返事を待たずに嵐丸はしなやかな指頭で弦を抑え、ヴァイオリンを弾き始める。
きっと店を出ていったとしても嵐丸は弾き続けるのだろう。
外に出て集合時間まで喫茶にいるのもいいかもしれない。
だが小春はただ真っ直ぐに楽しそうに弾き続ける嵐丸を見ていたくなった。
すると永山が小春にカウンター席に座るように促し、いつの間に淹れたアイスティーを出した。
小春は小さく礼を言い、喉に流す。
グラスの中に浮かぶ氷が嵐丸の音色に合わせてカランと鳴った。




