落ちて溜まる 二
気がつけば玉川上水は茜色に染まっていた。
川の流れを聞きながら小春は凉斗の店へと向かう。
足取りが重く、体が歩くことを覚えているから歩いているという気分だった。
昼間に出会った男、會澤透が浮かべた涙を忘れられなかった。
記憶の透はある日突然いなくなった。それが小春にとって最後の記憶でもあった。
『あの方は日談新聞の社長、會澤透様よ。以前、新聞に短編小説を取り上げてもらったことがあるの。まさか小春さんのお父様だと思わなかったけど…確かに今思えば面影があるわね』
そう話した千子は小春に透の名刺を渡した。
その後は心ここに在らずの状態の小春を帰した方がいいとなり、女子会はお開きとなった。
深琴も帰り際に何か言いたげにしていたが気をつけて帰ってね、とだけ行って駅へと向かってしまった。
深琴や千子に何か言わなくてはと思ったのに浮かび上がる事は何故ここに父がいたのか、何年も会っていないのに私を覚えていたんだとか、頭は使い物にならなかった。
そんなことを堂々巡りに考えていると凉斗の店に辿り着いた。
家に一度帰って着替える余力もなく、店の扉を開ける。
開けた先には玩具の手入れをしている凉斗がいた。
物音に気づいて顔を上げたが、小春の顔を見るなり怪訝そうに眉をひそめる。
「何かあったのか」
「……お父さんに会った」
家族同然の凉斗に隠し事は通用しない。小春は静かに呟いた。
すぐに何か返事が返ってくるものだと思っていたのに店に沈黙が流れる。
不思議に思って顔を上げると凉斗は苦虫を噛み潰したような表情だった。
小春の隠し事が通用しないと同じように凉斗の隠し事も小春には分かる。
(これは…)
何かは分からないが凉斗は透について知っていることがあるのだろう。
「凉斗、何か知ってるの?」
「…知ってる。話す前に飯にしようぜ。腹減ってるか?」
凉斗の言葉に安心したからか、腹の虫が小さく鳴った。
腹が減っては戦ができないように大切な話だって頭には入ってこない。
小春は簪を外し、下駄を適当に脱いで遠慮無しに店の奥へと入る。
凉斗もまた閉店の看板を出して、台所へと入っていく。
「飯食う前に着替えて来いよ」
「疲れてるからめんどくさい。お古の運動着貸して」
「箪笥の三段目に入ってるやつ、使えな」
「んー」
力のない返事で返し、凉斗の部屋の箪笥を開けた。
台所からはガスコンロに鍋を置く音や水道から水が流れる音が響いて聞こえてくる。
帝都駅中心にデジタル化や洋式スタイルへと変わっていっているが、小春が住んでいる三鷹ではまだ田舎の景色が残っている。凉斗の店もビルに移転することもなく、小春の家も昔から変わらず小さな日本家屋だ。
ここもきっと鉄とコンクリートの街になるのだろうとぼんやり思いながら脱いだ着物を衣紋掛けに吊るし、学生時代に凉斗が着ていた運動着を着る。
(日談新聞、か)
小春はニシキを起動し、日談新聞について検索する。
関する記事数は多くはなく、小さな新聞社のようだ。
創設されたのは六年前。小春が十歳の頃になる。
取り扱ってる記事は帝都内で起きてる民間事件と芸能人の取材や宣伝が主のようだ。
千子もここに短編小説を載せてから知名度が高くなったと言っていた。
小さな新聞社だが世間の知名度はそれなりにあるみたいだ。
新聞社の記事や詳細は調べれば出てくるが透の写真や情報は出てこなかった。
小春も那由も新聞は読んでいない。白夜軍で任務するようになってから気づいたことだが、大きな事件であるほど世間で報道される前に白夜軍全体に通達されることがほとんどなので、新聞やテレビメディアを見る必要性が低くなったのだ。
ニシキの電源を落とし、汗と化粧でベタついた顔を洗い流すために洗面所へと向かう。
凉斗父が大阪に隠居してからこの家はやけに大きく、かつての自分たちが走り回る足音も聞こえない。
今は歩く度に軋む木の板の音が小さく鳴るだけだ。
「化粧落としって置いてなかったっけ?」
「母親も恋人もいねぇこの家にあると思うか?独り身への皮肉か?」
「冗談ですぅ〜。怒んないでよ、怖いな」
「大人しく石鹸で洗ってこい」
小春は洗面所に入り、石鹸を泡立てて顔を洗う。
ベタついた顔に冷たい水はとても心地よかった。
戸棚から取り出した手拭いで顔を拭きながら、料理をする凉斗の背中を眺める。
十数年ぶりに父親と再会したから、どうにも昔の記憶と今を比べてしまう。
今では凉斗の背も大きくなり、凉斗父と似てきていた。
小春は壁を背にその場に座り込んだ。
手伝っても良かったがそんな気力もない今、小春は三角座りをしてただぼんやりと凉斗を眺めることにした。
「手伝う気は?」
「ない」
「んじゃ、そのまま座って聞いてくれ」
凉斗は振り返らず、話し始める。
そしてその手には器があり、湯気の立った味噌汁が注がれてた。
「大阪に行った時、親父に会って来たんだよ」
「私が寝込んでる時に?」
「そう、灼司にお前を預けてな」
「おじさん、元気だった?」
「何も変わってなかった。ただ心残りがあったみたいで、その話をした」
「その話がお父さんのことだったりする?」
「だったりする。覚えてるかわかんねぇけど、昔、一時期厄介な客が来る度にお手伝いのミチヨさんと外に出かけたことあっただろ?」
できた料理を隣の居間に運ぶ凉斗の姿を横目に思い出の引き出しを開けていく。
確かに凉斗の言うとおり、凉斗父に預けられ始めてから一年後くらいにやたら外に出かけることが増えた月があった。
外に出かける日は決まって店先から普段口数が少ない凉斗父の怒号が響き、ミチヨさんと凉斗と一緒に裏口から外に出ていた。
そして必ず凉斗が強く小春の手を繋ぎ、まるでどこにも行かせないような態度だったのも薄く覚えている。
「あの時の厄介な客ってのが透さんだったんだよ。どこから聞いたかわからないけどうちに預けられてた小春に会いにな」
「…もしかして私とお父さんを会わせないようにしてた?」
台所で麦茶をグラスに注ぐ音だけが響いた。
無言なのは肯定であることを示しているのだろう。
すると麦茶が注がれたグラスを一つ、小春に渡して凉斗は居間へと入る。
小春も立ち上がってその後に続く。
「小春と透さんを会わせなかったのは親父の独断とも言えないんだよ。親父は俺が勝手にやったことだって一点張りしてるけど」
「他にも会わせないようにしてた人がいたってこと?」
「那由さんがお前を透さんと会わせないようにしてたんだよ」
入った居間には出来たての数々の料理の匂いが満ち、小春から涎を引き出す。
机を挟んで座り、いただきますと二人で腹を満たし始める。
「那由さんは小春の家に妖術を施してたんだよ。それに親父が気づいた」
「全然気づかなかった。家帰ったら調べよ」
「もう解いたらしいけどな。何の妖術だと思う?」
「えぇ…うーん…そのまんまじゃないの?会わせないようにする妖術」
「それでも紬師かよ、お前」
そういうと凉斗は味噌汁を胃に流し込んだ。
そもそも那由は紬師として規格外だ。そんな人と一緒にされては困る。
小春は凉斗に言い返すことなく、ごま油で素揚げされた夏野菜達を食べながら睨んだ。
言い返したら負けた気がしたからだ。
「お可愛い睨みだな」
「こ、た、え」
「へいへい。答えは透さんが家にたどり着けないようにしたんだよ。術式とか詳しいことは知らんがな」
きっと透が家に向かおうとすればするほど迷子になるような妖術を施したのだろうが、正直そんな妖術は教科書に載っていない。
那由はそもそも紬師としては規格外で術式も自分で独自に作り上げてしまう。
だが何故そんな妖術を施したのか、小春にはいまいち理解できなかった。
「なんでそんなことしたのか聞いてはないの?」
「親父は知ってるらしいけど話してくれなかった。だから俺も知らない」
そう、と小さく呟き、玄米を食べ切る。
向かい側で食べていた凉斗は完食したのか、正座を崩して麦茶を飲み干していた。
「…小春が幼かったとはいえ、自分の判断で会いにきた肉親を追い返したのは間違っていたかもしれないってさ」
「おじさんが?」
「ん。それを言ってしまえば俺も同罪だ。あの頃の親父の言うことを聞いて小春を透さんに会わせないようにしてたし、何より小春や那由さんを見捨てた透さんに怒ってたしな」
小春もご飯を食べ終わり、ごちそうさまと呟く。
いつもならおう、と返してくれる凉斗なのだが、今ばかりは黙ったままだった。
「だから俺はお前に恨まれたっておかしくないんだよ。本当の家族じゃない俺や親父が小春から父親と会う機会を奪ってたからな」
凉斗の言葉に昼間のやり取りを思い出す。
恨んだことなんてないという言葉は凉斗には重かったのだろう。
だが小春にとって凉斗に返すことは決まっていた。
「恨むも何も凉斗とおじさんは大切な家族だよ。そんなことより私もおじさんに会いたかった!」
空になったグラスを机に置き、大の字になって畳に寝そべる。
幼い頃に透と会っていようが会ってなかろうが、所詮たらればの話だ。
小春は現状に不満を抱いていない。凉斗と食卓を囲めていることも禄士郎とコンビになれたことも良かったと思っている。
「血は繋がってなくても家族ですけどぉ〜?」
「……ありがとな。話逸れるけど今、那由さんってどこに行ってんの?」
「予定通りなら澳門のカジノ。来月に帰ってくるとは言ってたけど…どうだろ。てか、おじさんと私のこと以外で話したことないの?親子水入らずだったんだからさ」
「別に。飯食って解散、以上」
「うわ、おじさん可哀想。おじさん泣いちゃうよ」
「親父が?泣くぅ?一番あり得ないだろ、泣き顔なんて見たことねーよ。むしろ親父が死ぬまでに見てみたいね」
「え」
「あ?何?もしかして見たことあんのか?」
「いーや、ないね」
「だよなぁ」
嘘である。小春は凉斗父の涙を見たことがあった。
まだ小春と凉斗が幼い頃、踏み入った雑木林で体の大きな妖に襲われかけたことがあった。
その時、必死に逃げ回った末に急斜面に気付かずに二人一緒に転げ落ちた。
小春を庇うように転げ落ちたため、凉斗は怪我を負い、気を失った。
その日のうちに見つかったが夜が明けるまで凉斗は目を覚まさなかった。その時に眠る凉斗の手を握りながら祈るように泣いていた凉斗父を小春は知っている。
今、その事を言っても良かったが小春は言わないことにした。
透のことで負い目を感じて恨まれたいなら、凉斗父の涙を言わないことでおあいこになるだろう。
なんて小さな自己満足を噛み締めた。




