第六幕 落ちて溜まる
梅雨が明け、夏の日差しが帝都を照らす七月。
軍学校は夏季休暇に入り、学生達は束の間の休みを各々過ごしている。ただ、任務と授業は別なので指令書が渡されれば休みだろうが暑さで萎えていようが向かわなくてはならない。
だが入学当初から任務漬けだった禄士郎と小春ペアはかの子の計らいにより、夏季休暇に届く指令書は少なくなっていた。
そんな七月某日。たまたま深琴と休みが被ったため、小春が住んでいる三鷹の喫茶店で女子会をすることになっていた。
のだが向かいに座っている深琴は小春の隣に何故かいる千子と話に花を咲かせていた。
「わ、私、千子先生の『巫女、そして花になる』読んでいました!妹に買ってあげたのに私もハマってしまって!」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう!『巫女花』シリーズは私も面白いと思って書いてたもの!」
眉間に皺を寄せ、音を鳴らしながら小春はメロンソーダを飲んだ。
隣にいる千子に下品よ、なんて窘められたが知ったことではない。
小春にとって千子が嫌いというわけではないのだが、初めての先輩である深琴が千子に夢中になっているのは面白くないのだ。
前日の夜、箪笥から眠っていた夏用の着物を引っ張り出したり、買ってもらったまま使ってこなかった簪で髪を結ったりと慣れないことにかなり手こずった。なのに先輩のためにかけた楽しみを突如として現れた千子に奪われているみたいで居心地が悪かった。
しかも千子は小春と違って他人の心を開かせるのが上手い。それは小春もよく分かっていた。
だから深琴と仲良くなるのも必然だった。
「小春ぅ、ほらほらメロンソーダ以外にも頼みなさいな。氷菓もあるわよ~?」
「なんでいるんですか、千子さん」
「昨日ようやく執筆が終わったのよ!だから改めてお礼参り、と思ったら私の知らない子とお茶会してるんだもの!私だって小春さんとお茶会したかったも~ん!」
「あなたの場合、茶会じゃなくて取材でしょう」
「あ!もしかしてやきもちかしら?そうよね、言ってしまえば私二人のお茶会を邪魔してるものね!やだぁ!小春お可愛いわね~!」
「帰れ」
自然と眉間の皺が深くなっていく。
目の前に座っている深琴を見ると口を開けて驚いたように小春と千子を見比べている。
千子のペースに呑まれ、深琴を放置していたことに気づいた小春は急いで千子からお品書き表を奪い取った。
「すみません先輩。この人は気にせず、追加注文なさってください」
「あ、注文は小春ちゃんがしてね…というか小春ちゃんって怒るんですね」
「まあ、私も人間ですから…」
「ふふ、そうなんですけど。小春ちゃんがこんなに表情が変わるのが新鮮で。私にも怒っていいよ?」
「怒りませんよ?」
「怒りが起こらないからってね!さすが小春さぁん!」
「本当に黙れ帰れ」
千子が年上で吾妻の婚約者じゃなければ頭を引っ叩いていたところだ。
そんな小春の様子が面白いのか、深琴は包帯を巻いている手を口元に抑えてくすくすと笑っている。
「そういえば桃坂くんも言ってましたね、小春ちゃんは実は表情が変わりやすいからはすぐ分かるって」
「え、禄士郎様が?」
「それを聞いて半信半疑だったんですけど、桃坂くんは小春ちゃんの事を誰よりも見ているってことが今わかりました」
「……あはは」
半信半疑だったのか。それはそれで悲しい。
小春は気分を誤魔化すためにうるさい千子を無視してウェイターにプリンアラモードを注文した。
「ところで小春ちゃんと千子先生はどこで出会ったんですか?」
「小春さんの任務中にね、それはそれは大冒険だったわ。だって途中で小春さんに置いていかれたり、私の目が覚醒したり!」
勝手についてきただけだろ、と言いたくなったが小春は届いたプリンアラモードと引き換えに氷だけが残ったグラスをウェイターに渡した。
さすがに千子も弁えているのか、境での冒険譚は所々事実を伏せて語っていた。
もう魔女事件の詳細は白夜軍に通達されているが、語らなくてもいい出来事というのもある。
語るのは千子に任せて小春は黙ってプリンを享受しようとしたがニシキがわずかに振動した。
ホログラムの画面を起動させるとそこには凉斗の名前が出ていた。
「すみません、電話に出てきます」
「いいわよ、ごゆっくり~」
「アンタが言うな」
千子の振っている手を軽く叩いて店を出る。
熱風が小春の頬を包み、引いていた汗がじんわりと浮き上がる。薄手の着物を着ていても暑いものは暑い。
小さくうめき声をあげたのち小春は店の日陰に入り、通話ボタンを押す。
「もしもし、どうかした?」
『はよ。今、お出かけ中だよな?』
「うん」
『確か行先って純喫茶ほるんだよな?』
「そうだけど何?」
『だよなぁ…』
ホログラムで作られたインカム越しに歯切れの悪い凉斗の声が響く。
その態度に小春の脳裏にある言葉が過った。
『だから改めてお礼参り、と思ったら私の知らない子とお茶会してるんだもの!私だって小春さんとお茶会したかったも~ん!』
千子はお礼参りと言った。
境への移動の道中、凉斗と小春は互いの家が近いことと三鷹に住んでいることを話していた。
この情報だけでも千子は容易く小春と凉斗の家を突き止められるだろう。なんなら吾妻が教えている可能性もある。
何故か千子は小春が深琴と純喫茶ほるんにいることを知っていた。
謎を紐解いてしまえば簡単だった。
このどう謝ろうかと歯切れが悪くなっている凉斗が小春の居場所を零したのだろう。
確かに凉斗には前日に相談がてらお気に入りの純喫茶ほるんに行くと話していた。
その事実に小春はため息を吐いて天を仰いだ。敗因をあげるなら千子の行動力を忘れていたということだろう。
「今、先輩と千子さんが仲良くお話している」
『…ほんと悪い。うっかり漏らしたのは俺です』
「やっぱり凉斗かーい。なんてことしてくれてんだ」
『すまないと思ってるよ。千子さんが持ってきてくれた日本橋のカステラ食わせてやるから』
「そんなもので私が許すと思ってるの?」
『そうか、いらないんだな』
「許します、今すぐに。私が凉斗を恨んだことなんてないんだから」
いつもの凉斗の軽口が返ってくると思った。
だが長いようで短い沈黙が流れた。やけに蝉の鳴き声が大きく聞こえる。
「凉斗?」
『あ…わりぃ。ちょっとよそ見してた』
「ふぅん?まあ、いいや。今日の夜そっちに行くから」
『おう。分かった』
小春はニシキの電源を落とし、首を傾げた。
(考えすぎか)
大体こういう時は目の前に大きなヤモリがいたとかそういうオチだったりする。
今回もそういうのだろう。そう思った小春は店内に戻ろうと店の扉に手をかけた瞬間だった。
「小春…?」
誰かが呼び止めた。
小春は振り返り、声の主を見る。
群青色の背広、同じ色の中折れ帽子を被っている男が目を見開いて小春を見ていた。
男の顔に小春は幼い日の思い出が走馬灯のように駆け巡った。
目の下には隈があり、焼き付いていた思い出とは異って痩せているが小春と似た目元は健在している。
男は声を震わせながら小春に近づく。
「小春なのか…?」
駆け巡る記憶と感情が混濁した小春はその問いに戸惑いながら頷くしかできなかった。
頷きを見た男は目に僅かな涙を浮かべ、ゆっくりと小春に手を伸ばした。
だがその手が小春に届くことはなかった。
「小春ちゃん大丈夫ですか!?」
「ちょっと會澤様!?新聞社の社長が若い乙女に迫るのはまずいですわよ!?」
男の伸ばされた手は店の中にいたはずの深琴が腕を掴んで小春から遠ざけたのだ。そして庇うように千子が前に出てくる。
しかも千子に至っては男のことを知っているようだ。
未だに混乱したままの小春は動けないままでいた。
だが、ここでこの男を庇わないと二人に誤解を与えてしまうことになる。
「違います!この人は!」
「會澤社長ー!急いでください!時間が迫ってますよ!」
道を挟んだ向こうから秘書らしき男の叫び声が響く。
男は下唇を噛んで深琴の手を振り払って去ってしまった。
大きく鼓動を鳴らしていた心臓が落ち着いていく。ゆっくり深呼吸をして去っていった方を見たが男の背はもうなかった。
すると小春を庇った二人が振り返り、鬼の形相で詰め寄る。
「小春ちゃん、何かされた!?怪我はない!?」
「會澤社長と何かあったのかしら!?」
どうしたものか。落ち着いたとはいえ、頭は情報過多で混乱したままだ。
だが一つ、確実に言えることがある。
「あの人は私の父です」
小春はおもむろに父親が幼い頃に買ってくれた簪に触れた。




