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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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愛、以上のもの 五

体が軋む。今にも壊れそうな絡繰人形が立てるような掠れる音が全身から聞こえてくる。

 魔女と呼ばれた少女、石母田(いしもだ)貴美子(きみこ)は吐いた血をセーラー服の袖で拭いながら体を起こす。

 貴美子はこの場所も、この世界も憎くて仕方がなかった。

 本当なら今頃お見合いして顔の知らない男と結婚し、女としての幸せな家庭を築いていたかもしれない。

 だがその選択肢を貴美子は『愛した女』のために捨てた。


 (マユリ…マユリに会いたい…)


 貴美子は顔を上げ、かつてマユリが放り込まれた張り見世小屋を見る。

 そこはもう貴美子の炎で塵芥と成り果てていた。

 マユリと貴美子は共に大阪の女学校で出会い、恋に落ちた。よくある話だ。

 よくある恋物語でもマユリの烏玉(ぬばたま)の美しい髪が風に泳ぐ瞬間や風鈴のような愛らしい声で貴美子を呼んだあの日々は間違いなく、世界にふたつと無いものだった。

 だが乙女同士の恋には必ず終わりがやってくる。

 マユリが突然退学したのだ。

 関係がバレてしまったのか。それとも令嬢故の事情なのか。

 後者であるなら貴美子は耐えられない。

 あの柔肌に、黒髪に、艶やかな唇に、知らない男の手が触れると考えただけで胸に宿る炎が悲鳴を上げる。

 朦朧とする意識の中でマユリの声が響く。


『ねえ、学校を卒業したら貴美子のセーラー服、私が脱がしてもいいかしら?』


『ふふっ、すごく慌ててる。何を想像したの?助平ね』


『そうじゃなくてね。セーラー服っていつかは脱ぐものだし、脱いだら大人になるってことでしょ?大人になったら色んな服を着て』


 マユリ。私のマユリ。


『二人で遠くの国に行きましょ!きっと素敵な旅になるわ!』


 あんたがおらんと、私はセーラー服も脱げないんやで。



 土を踏みしめた音が貴美子の鼓膜に届く。

 視線の先には白い軍服を着た女兵士が立っていた。

 口元は弧を描いているというのに、穏やかな雰囲気は一切ない。

 大鎌を持っているその姿はまるで西洋の小説に出てくる死神のようだった。


「我々は白夜軍です。あなたは保護対象、応じるなら手荒なことはしないことを約束しますよ。どうですか?」

「…応じたとしてあんたが代わりにここを燃やしてくれるんか?こんな世界、壊してくれるんか?」

「…くだらないことを人に頼むものじゃない。魔女になったなら全力で壊しに行きなよ」


 命の秒針が音を立てて壊れていく。

 今更迫り来る命の終わりに恐怖はない。

 マユリの遺体を、白い肌に際立つ数々の痣を、半開きの口から零れていた青い彼岸花の花弁を見たあの日から貴美子の命を炎が喰らい始めていたのだ。

 何故、マユリが花弁を吐いて死んだのか。関係者を魔術で脅せば簡単に口を割った。

 境で作られた薬によって死んだ人間や妖は最後青い彼岸花の花弁を吐きながら死ぬとされている。

 マユリがどういう経緯で死を迎え、何を思っていたのか貴美子にはわからない。


「なんやねん、一丁前に説教か。しかも全力で壊せって。アンタ、私のこと保護する気ないやろ」

「だって貴方、保護される気ないだろ。これは見当違いだったかな?」


 女の言うことは正しかった。

 魔法を使いずぎてはいけないと契約した魔女にも言われていたことだ。

 それを承知の上で貴美子は問答無用で燃やした。

 一度目はマユリの遺体とマユリを陥れた奴らを。二度目はこの町の全てを。

 だがまだ死ねない。例え、マユリを薬漬けにした女が死んだとしても貴美子の炎は燃え盛り続ける。

 貴美子はゆらりと立ち上がり、胃から込み上げる血を吐きながら炎で巨大な蟷螂(カマキリ)を作り上げていく。

 蟷螂は翅を鳴らし、二本の鎌を振り上げて女に襲いかかった。


 (これが最後やな)


 肌にひびが入り、ガラスのように体が散っていく。

 強烈な痛みが襲っているはずなのに貴美子の心はひどく穏やかだった。

 最後に生み出したのが炎の蟷螂。

 春穏やかな日、マユリが蟷螂を紙にスケッチしていた姿が脳裏に浮かぶ。

 戻らないあの日々を夢見ながら貴美子は終わりを迎えた。

 貴美子が立っていた場所にはひどくボロボロになったセーラー服だけが残っている。


 ーーー


振り下ろされる蟷螂の鎌を受け流しながら、禄士郎は六本ある足を一本ずつ的確に切り落としていく。

 

 「蟷螂か」

 (何であんな煽ること言ったんですか)


 小春は静かに憤っていた。

 視覚や思念の共有ができても体を乗っ取られている以上、小春は禄士郎の行動を止めることはできない。

 魔女との一連のやり取りも禄士郎に穏便にと投げかけていたが、それが聞き入れられることはなかった。


「彼女は死ぬ前にこの蟷螂を生み出した。それが答えじゃないのかい?」

(だとしても話し合う余地はありました)

「無いね。復讐なんて残された者達の問題でしかない。他者が介入できる余地なんて無いよ」


 言葉が明確に詰まる。禄士郎が言っていることが正しいか間違っているかは別問題としても、その意見には小春も頷けるからだ。

 そうでなければおかあさんは化け物になる事は無かったはずだ。

 魔女の頬には亀裂が入っていて、立っているのもやっとの状態だった。

 彼女に救いがあるとするなら『死』なのかもしれないと小春も思ってしまったのだ。


「救える命があるなら俺も救いたいけどね。どれもこれもと言う訳にはいかないもんだよ」


 そう呟くと禄士郎は蟷螂に大鎌を振り落とし、また一本足を切り落とす。

 いつもなら笑みを浮かべながら戦っているはずなのに、今の表情はひどく冷たい。

 皆が英雄になれるわけではない。取捨選択を迫られ、真に大事なものを選ばないといけない。

 魔女も愛する人を胸に生きることではなく、愛する人のための復讐を選んだ。


 (禄士郎様は魔女を楽にさせてあげたいからあんなことを言ったのですか?)


 小春の疑問に禄士郎の動きが一瞬だけ鈍くなった、

 その綻びに気づいた蟷螂が容赦なく、小春の体を弾き飛ばす。

 受身を咄嗟にとったが、それでも瓦礫の山に叩きつけられた。

 小春自身に痛みを感じることはないが、憑依術式が解除された後のことを考えると憂鬱になる。

 しかし禄士郎に命を委ねていることに変わりはないので文句は言わず、小春は答えを待った。


「痛いなぁ、ほんと…小春の言う通りってのもあるけど、俺も大事なものを失った時、同じことをするだろうなって思っただけだよ」


 瓦礫から立ち上がり、また蟷螂の元へと走り出す。

 そしてついに蟷螂の足を全て削ぎ落とし、その巨躯を地面に叩きつけた。


「小春!武器強化!」


 禄士郎の命令に小春は答える。

 体内で混じり合う妖力を大鎌に流し込み、小春の糸に馴染ませて強化密度を上げていく。

 本来ならバッシキ経由で作り上げただけの武器では禄士郎が扱う大鎌の破壊的な威力には届かない。

 だが小春は大鎌の威力を同等の強さまで紡ぎ上げることができる。

 幼い頃から糸に触れ、那由から訓練を受けていたからできることであってただの紬師見習いにはできない。

 もしも大切なものを失った時、魔女と契約してでも復讐をしようと行動できるのだろうか。

 同じことをするだろうな。確かに禄士郎はそう言った。


 『こんな世界、壊してくれるんか?』


 炎の中で叫ぶ魔女は世界を恨んだ。

 もし恨んだのが魔女ではなく、禄士郎だったなら?

 強化した大鎌は煌々と輝き、奇声を上げる炎の蟷螂の体を二つに切り裂く。


「これで戦闘終了かな」

(周りに妖はいますか?)

「少なくとも敵意のある妖は見当たらないね。魔女のカマキリもセーラー服も燃えちゃったから証拠物の回収は難しいかも」

(仕方ありませんね。報告の際の言い訳を考えておきます)

「あはは、俺も一緒に考えるよ。それじゃあ、また帝都で」

(はい、ありがとうございました)


 バッシキが音を立てて、手袋の中で粉々に割れた。

 体から禄士郎の妖力が消え、戦闘中に受けた痛みが一身に小春に襲いかかる。

 肩は脱臼し、左腕が折れていた。しかも体力の限界もきているのか、足が仔鹿のように震えている。


「きっつ〜…」


 凉斗達の元にいく気力はもはや残ってない。

 誰かが回収してくれるだろう。

 他力本願なまま、小春は大の字で道端に寝転がった。

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