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霧崎小春の花影  作者: 椄瀬結


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第四幕 愛、以上のもの

大旦那が住まう屋敷は境西と境東の間に存在する。

 灼司とこれまでの事や思い出話に花を咲かせ、ひとしりき笑い終わると人力車は門の前に停車した。

 一般的な武家屋敷と造りは変わらないが、大きく異なるのは建物の大きさだ。

 塀、門、庭、全ての物のサイズが何倍にも大きい。

 凉斗より大きい灼司でさえ、この屋敷の中に入ってしまえば小人と見間違う。


「大旦那って巨人?」

「巨人の日もあれば小人の日もあって大旦那の本当の姿は俺にも分からねェ」

「巨大だった場合、大声で話さないといけないのか。しまった、私、のど飴持ってない」

「大声出す必要はねェよ。大旦那は耳が良いんだ。だからオレたちが境に入ったこともとっくに音を拾って気づいてらァ」


 境に来る前、大旦那の情報を下調べしていたが奇妙なことに情報に整合性が無かった。

 巨人、小人、傾国の美女、絶世の色男、下町に居そうな老人、乞食の幼子等々。

 何故、姿を変えるのか理由は分からないがそれでも会話するのに支障がなければそれでいい。

 小春は付けていた髑髏の面を灼司に返し、屋敷へと足を踏み入れた。


「小春、一応妖力で体を覆っとけェ」


 何の為と疑問に感じたが、灼司の言うことを大人しく聞くことにした。

 妖力を全身に行き渡らせ、体を保護する膜を作り上げていく。

 これで攻撃による衝撃をある程度抑えることができる。

 そして妖力の膜を覆い終わるタイミングを見計らっていたかのように小春の視界が暗転した。


(は?)

 

 真っ暗な世界の中で成すすべなく体が泥のような黒い何かに呑み込まれていく。

 灼司の名を呼ぼうとしても口から漏れ出るのは息だけで、声が出てこない。まるで体調が悪い日に見る悪夢の中にいるようだ。

 体を動かし、懸命に藻掻くが下に沈んでいくことしかできない。

 暗く何も見えない世界。底知れない恐怖が小春を襲う。


「がはっ!?」


 刹那、背中に叩きつけられた痛みが走る。目を開けると見知らぬ黄金の天井が映っていた。

 床に倒れていた小春は咳き込みながら体を起こす。

 そこは客室で、恐らくあの泥と暗転はこの屋敷の移動手段なのだろう。

 実際に口に泥が入ってきていないし、膜にも変化がないため、攻撃されたわけではない。

 分かっていても妙に現実味のある感触が肌に残っていて気持ち悪い。

 隣を見ると呆れた顔をした灼司もいた。

 状況を読み込めていない小春の顔を見て察したのか、大きなため息を吐いた。


「大旦那ァ、小春は大事な恩人って言ったよな。手荒な真似はやめてくれ。小春に何かあったらオレはアンタの糸を引きちぎるぞ、あア?」


 灼司が見つめる先には何ともアンバランスな光景があった。

 畳の座敷の間にベルサイユ宮殿にあるような玉座があり、その玉座にはフランス貴族の装いをした男が足を組んで座っていた。

 満月のような黄金の髪。白く透き通った肌とサファイヤのような蒼い瞳。

 熟れた桃のような艶やかな唇は弧を描き、小春を見ている。

 だが姿形は人間と変わりはなく、巨人でも小人でもない。

 いつか見た海の向こうの国の演劇で王子を演じる俳優のようだった。

 和洋折衷が進んでいる現代ではあるが貴族姿はこの屋敷、否、この境でも不釣り合いだ。


「ハハッ、すまない灼司!お前が女を連れてくると言うから、からかってしまったわい!」


 大旦那と呼ばれた男は軽快に笑う。

 歌劇の俳優さながらの声量で広い客間に笑い声がひどく反響する。

 二人が軽口を叩き合うのを伺いながら、小春は正座に座り直した。

 見目麗しい男だが、この境を統べる長だ。

 例え傍に灼司がいても油断してはならない。

 

「オレに冗談を言う前にまず小春に謝罪してくれ。一応、大旦那の客でもあるんだろォ?」

「確かに政府に近日中に使者を寄越せと言ったが、まさかこんな小娘を……おい待て、そこな小娘…」


 小春の顔を見るやいなや大旦那の顔が曇っていく。

 刹那、部屋の空気が張り詰め、飾られていた花瓶にヒビが入る。

 頭の中で本能が警告を打ち鳴らす。

 小春は瞬時に立ち上がる。そして右手の親指に嵌めている指輪型補助装置、『バッシキ』を起動させて、手を打ち鳴らす。

 心臓から抜き出した輪廻の糸とバッシキから補われる妖力で生成された糸を紡ぎ、短刀を作り出す。

 そんな小春を見た大旦那は蒼い瞳を黒く濁らせ、手の甲に黒い筋を浮き上がらせる。そして目にも留まらぬ速さで小春に襲いかかる。

 短刀を構えて攻撃を受け止めるが、その衝撃は大きく、押し倒される体勢になる。

 間近で覆い被さる大旦那は先程の貴族の風貌ではなく、人間を殺そうとする妖であった。

 小春もまた短刀を大旦那の首元に当て、その首を斬ろうと力を込めるが、同時に大旦那の右手が小春の細い首を絞めあげる。

 歪んでいく視界で大旦那の表情はよく見えなかった。


「いい加減にしろよアンタ!!」


 怒声をあげた灼司に大旦那は蹴り飛ばされ、容赦なく壁にぶつかる。

 圧迫から解放されたことで入ってきた空気に咳き込み、涙目になりながら大旦那を睨む。

 境に入ってから覚悟していたが、結局のところ身構えていても瞬殺されないようにするのが精一杯だった。


 (手も足も出せなかった…)

 

 すると吹き飛ばされた大旦那が体を起こす。その表情は見えないまま、小春に向かって歩み寄ってくる。

 まだ大旦那を警戒しているようで灼司は小春を庇いながら唸っている。

 正直、小春もまた大旦那に襲われるとなったら今度はどうなるのか分からない。

 早る鼓動の中、小春は短刀を握りしめる。


「那由、お前はなぜまだ弱いままなのだ。昔のように戦ってはくれないのか…?」


 見えなかった瞳には涙と孤独があった。

 掠れた声で那由と呼んだ。恐らく大旦那は小春を母親の那由と勘違いしているのであろう。

 那由の口から大旦那の話を聞いたことはなかったが一つ、小春には心当たりがあった。

 那由の顔には大きな傷がある。小春が赤ん坊の頃に作った傷らしいが詳細を語ることはなかった。

 バッシキの電源を落とし、糸を解いて武装を解除する。

 

「…お初にお目にかかります。私は白夜軍所属、紬師見習い霧崎小春と申します、霧崎那由の娘にございます」

「娘、だと?」

「大旦那様に申し上げます。私の母、霧崎那由の顔には傷がございます。大旦那様は母と顔なじみと推察いたします。母の傷の仔細をご存知でしょうか?」

「…那由の顔の傷は(わし)がつけたものだ。あやつが儂に会わないと告げた日にな。例え、お前が那由の娘であってもこれ以上、語る気はない」


 しばしの沈黙が降りたのち大旦那が「興が冷めた」と呟き、殺伐としていた空気は消えた。

 貴族の衣装に飽きたのか、大旦那は着物に変化させてまた玉座に座り直す。

 灼司も今日一番のため息を吐き、座り直した。


「母と見間違うほど私は母と似ていますか?」

「…妖は人の顔を判別するのが苦手だ。だから輪廻の糸で判断している。だがまあ、それでも親と子の糸はどうしても似るもの。那由と比べれば未熟ではあるがよく似ている」


 小春は何度も那由の糸を見たことがあった。

 だが糸の色や形が多少違うだけで、むしろ人の目では糸を見ただけで判別することが難しい。

 母娘だから似ている。当たり前の事実だが、改めて他人の口から聞くと嬉しさが込み上がった。

 そんな小春が気に食わなかったのか、大旦那が舌打ちを鳴らす。


「娘、今お前の思ってることを言ってやろうか?」

「大旦那、いい加減にしてくれ。小春が霧崎那由の娘であることは変わらねェんだからよ」

「だーッ!わかっておるわい!喧しい猫じゃのう!」


 そんな態度に灼司はため息を吐き、小春に対して小声で謝罪をした。


「悪ィな小春。妖っつーのはそういう生き物なんだわ」

「大丈夫。知ってる」


 妖と人間の価値観は異なる。

 その最もたる例が那由に執着する大旦那だろう。

 人間の生きる時間と妖の生きる時間は遥かに差がある。

 長い時間を生き、強者となった妖であればあるほど生まれる欲に忠実になる。

 我が道をゆく。欲しいものを勝ち取る姿が妖の理想の生き方とされている。

 それを体現しているのが今、妖の玉座に座る大旦那というわけだ。

 ただ小春は那由と大旦那がどういう関係で二人がどう共に過ごしたなんて知らない。むしろ、大旦那に襲われるまで初耳だったのだ。

 何故那由に固執しているのか、それは目の前で不機嫌に頬をふくらませている大旦那にしか分からない。


 (むしろ、灼司みたいな妖が珍しいんだよな…)


 大旦那と反対に灼司は人間に近い価値観を持っている。

 だがこれは彼の遍歴故と小春は考えていた。

 野垂れ死にそうになっているところを小春が見つける前までは様々な国を渡り歩いていたらしい。

 人間の世界で長く生きたからこそ、こうして小春に謝ってくれるのだ。


「大旦那様。単刀直入にお聞き致します。ここ数ヶ月で起きている『魔女事件』について知っていることをお聞きかせ願います」


 境での任務はもう一つある。それがここ数ヶ月、各県で起きた魔女事件についてだ。

 魔女。それは西洋で生まれ、その地で築き上げた魔術を子々孫々に伝え、力持たぬ人間に幸せを分け与える。

 日本の祓魔師や紬師が扱う妖術とは違う、人が持てぬ力を扱う種族だ。

 だが十年前から各国で魔女が異端なものと魔女裁判が起きた。

 そこで日本に亡命する魔女が増え、政府が苦肉の政策として毎年人数制限を設けて魔女の移民を受け入れるというもの。

 ただこれには条件が二つあった。一つは母国での犯罪歴の有無。二つ目は魔力の封印。

 魔女の魂に魔力を抑え込む妖術の糸を巻き付けることで魔女は魔術を使うことができず、ただの『人間』となる。

 この条件を受け入れた魔女のみが日本で住むことを許されていた。

 当初、政府はこの移住した魔女達を疑った。

 だが襲撃犯は全員、魔術を学んだことの無い日本人だった。つまり、正規に入国管理局で在留許可を取得した魔女には不可能ということだ。

 

「魔女、あれには困った。そもそも襲撃して来ている奴は()()()()()だ。一ヶ月前、境も襲われた時にウチのもんの糸を五、六本切られてしまった」

「襲撃してきた魔女はどうなさいました?」

「逃げられたな。儂がおらぬ時にこのざまだ。最近の若いもんはなっとらんのう」

「そもそもアンタが外に出すぎなんだよォ。歌劇なんざ行ってきやがって」

「人間の娯楽を楽しいんで何が悪い?のう、ガキ?」

「え、あ、はい。いいと思います」


 いきなり呼びかけられ、慌てて返事を返す。

 改めて大旦那の装いを見て納得する。恐らく貴公子みたいな外見だったのは歌劇の影響なのかもしれない。


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