妖の都 境 三
富士山が美しく見えた河口湖から帝都の新宿までは二時間ほどで到着できる。
新幹線と電車に揺られながら禄士郎はため息を零していた。
小春が幼馴染みの凉斗と楽しく大阪観光している想像と桃坂の本家で待つ兄、桃坂響介のことが憂鬱を加速させる。
唯一の救いといえば河口湖で買った山梨県産の桃で作られたジャムを小春にどう振舞おうかと思考することであった。
本邸がある自由ヶ丘行きの改札口付近で禄士郎の足が止まる。
いっその事、このまま新宿でサボってしまおうかなんて考えていると耳に装着しているニシキが反応し、通話のコール音が小さく鳴る。
そして目の前にホログラムのディスプレイが表示される。そこには憂鬱の種の一つである、響介の名前が映し出されていた。
まるでどこかで見ていたかのようなタイミングである。
このまま拒否する選択肢もあったが、そんなことをすれば余計に本邸へ行きづらくなる。
禄士郎は渋々、通話開始ボタンを押した。
『おはよう、禄士郎。帝都には着いたかい?』
「おはよう。あー、うん、帝都ね、うん」
通話が始まるとホログラムシステムでバーチャルのインカムマイクが生成されて自動的に右耳に装着される。
イヤホンから聞こえる響介の声を聞きながら頭の中で選択肢を整理する。
このまま逃走。大人しく本邸に行く。今からでも大阪に向かう。
(さてどうしたものかな)
だが禄士郎のそんな思考まで筒抜けだっかたのか、イヤホンの向こうで響介がため息を吐いた。
『禄士郎。香山が迎えに行かせたから逃げることはできないから』
「えっ」
『小春からお前の到着予定時刻は前もって聞いていたからね。よくできた部下だよ』
小春め、と禄士郎は苦虫を潰したような顔をした。
ふと出口の方に視線を向けると黒い燕尾服をきた響介の執事の香山が立っていた。
見た目は好々爺で柔和な微笑みを浮かべているのに、禄士郎を逃すまいと眼鏡の奥の眼光が鋭い。
香山は長年桃坂家で給仕として仕えてきたと同時に歴戦の紬師でもある。
今も現役で響介の戦闘時に紬師として武器を紡ぎ、襲いかかる敵を容赦なく薙ぎ払う。
禄士郎がここから全力で逃げたとしても五分も経たずに鍛え上げられた筋肉で捕獲されるだろう。
本当に桃坂家に仕える紬師は優秀で困る。
「香山に見つかった。これから本邸に向かうよ」
『香山がいなくてもそうしてほしいかな。それじゃあ、待ってるから』
それだけ言い、響介は通話を切った。
禄士郎は足元に置いていたボストンバックを持ち上げ、香山の元へ向かう。
「お迎えにあがりました、禄士郎坊っちゃま」
「もう坊っちゃまはやめてくれ、香山。そんな歳じゃないよ」
「それもそうでしたね。成長が早くて、爺は嬉しい限りでございます」
「そう言ってくれるのは香山だけだよ。さっさと行こう、兄さんがお待ちみたいだし」
「かしこまりました、禄士郎様」
禄士郎は香山にボストンバックを預け、桃坂家の送迎車に乗り込む。
そして軍服の白いジャケットを脱いでネクタイを緩める。
香山もまた運転席に乗り込み、車は発進された。
「山梨はいかがでございましたか?」
「富士山が綺麗に見えたよ。あとはまあ、色々あったかな」
「そうでございましたか。禄士郎様も小春嬢もご無事で何よりでございます」
「…あ、そうだ。ねえ香山、ジャムってパンに塗る以外に使い道ってある?」
「パン以外となると菓子なんかに使われているところを拝見したことがございます」
「菓子か…うん、それいいかも。小春は洋菓子も好きだし」
「小春嬢に菓子でも贈られるのですか?」
「まあね。それが小春とコンビを組む時に決めた条件だから」
桜の枝に蕾が芽吹き始める三月。
人々の別れや出会いが起きる月であり、それは禄士郎も例外ではなかった。
中学校を卒業し、本家から離れるために入った軍学校の入学当初は息苦しかった。
桃坂の名前は由緒ある名家で軍内部でも知れ渡っていた。
だから様々な思惑を持った人間が禄士郎に近づき、コンビの申し込みが絶え間なかった。
故に毎日教室の机の引き出しに何かしらの手紙が入っている日々が続いた。コンビの申し込み願いから恋文、挙句の果てには果たし状まで。
そんな中で誰かとコンビを組む気力も無くなり、祓魔師と紬師の合同授業の日を迎えてしまった。
真新しい白い軍服を纏った一年生が訓練所に集まり、賑わっていた。
そんな中で向けられる視線が鬱陶しく、禄士郎は隅の方に移動する。
(正直、コンビ組まなくても今まで自分で武器を紡いできたし、このまま一人でいいかもな)
授業を始める為の笛の音を吾妻中尉が高らかに吹き鳴らす。
本来、海軍や陸軍の兵士なら一列に並び、教官の命令に従うのだろうが、ここの軍学校はそうはいかない。
現に視線を吾妻中尉に向けても一列に並ぼうとしない。
ここは海軍や陸軍と違い、祓魔師と紬師だけで構成された白夜軍の兵士のみ。白夜軍は血よりも強い絆でできているわけではなく、個々が己の力を示し、強き者が生き残るという完全実力主義だ。
故に協力なんてものは最低限で充分という考えが暗黙の了解となっている。
「まずは諸君、入学おめでとう。諸君らはその軍服を着ている限り白夜軍だ。そしてここは強き兵士を作りあげる学舎。命をかけることができぬ者から死んで行く。心してかかるように!」
吾妻中尉の声が静かな訓練所に響き渡る。
命をかける。幼い頃から分家の人間に命を狙われている禄士郎からすればごく普通の話で、むしろ白夜軍にいるほうが安全とまで言える。
だが訓練所にいる同期たちの表情は様々だ。
ここがどういう場所なのかようやく理解した者。鼻で笑う者。湧き上がる恐怖を噛み殺す者。
不意に校舎の影に隠れてひっそりと訓練所に少女が入ってくる。
周りの状況を伺いながら入ってきた少女は何故か旅行用のトランクを持っていた。
そしてすぐそばに居た禄士郎の近くに立ち、何事もなかったかのような、最初から居ましたが?と言わんばかりの表情している。
事実、訓練所にいる同期達は吾妻中尉を見ていて少女には気づいていない。
吾妻中尉は気づいていたようだが、気にとめず話を続けている。
そんな状況が面白くて禄士郎は小さく笑って少女にこんにちはと声を潜めて投げかけた。
「初めまして。君、旅行帰り?」
「…初めまして。よく気づかれましたね、ご明察です」
「ははっ、ご明察って。ちなみにどこに行ってたの?」
「札幌です。つかぬ事をお聞きしますが今はどういう状況でしょうか?」
「今は吾妻中尉の有難い忠告と授業の説明を皆で聞いている最中だよ。そろそろ説明が終わるからパートナーのところに行った方がいいんじゃない?」
少女はパートナー?と首を傾げたが、やや間があってああと何か分かったように声を漏らした。
禄士郎が桃坂家の人間に気づいていないのか、返ってくる言葉が心地いい。
中学生頃、桃坂家の人間と囚われずに会話した数人の友人達を思い出す。
禄士郎は少女の反応を横目で見る。
彼女は禄士郎にとってどちら側の人間になるのだろうか、と。
「私はそもそも今日が初めての登校になるのでパートナーはいません。それに必ず祓魔師と紬師でコンビを組むという決まりはありませんから、私はこのまま一人で過ごす予定です」
判断しかねた。
祓魔師と紬師を一人でこなす兵士はいる。近くにある実例でいうなら禄士郎の叔父、八虎がそうだ。
少女は一人でも戦えるくらいの実力があるのだろうか。禄士郎の胸の奥に潜んでいる獣が僅かに唸る。
すると禄士郎の名前が呼ばれ、一気に注目の的になる。
どうやら少女と話しているうちに説明は終わり、実技授業が始まったようだ。
「桃坂、前へ!」
「はい」
「桃坂…?」
隣の少女が眉を顰めながら禄士郎を見上げる。
刹那、少女は顔を引きつらせて禄士郎から少し距離を空けた。
そして、
「まじか」
と呟き、自分は関係ないと周りに主張するように禄士郎から顔を逸らした。
禄士郎の中で根拠の無い確信が生まれた。
この確信を信じてみたい。
禄士郎は少女の手を掴み、共に前へ出る。
少女を目を見開き、慌てて手を振りほどこうとするが男女の差は埋められない。
禄士郎は手を離すことをしなかった。
代わりに小声で少女に話しかける。
「俺は桃坂禄士郎。君は?」
諦めたのか、少女は抵抗をやめて先程より嫌悪を顔に表した。
嫌悪を表されるようなことは身に覚えがないが、少なくとも少女には桃坂の名前に何か覚えがあるのだろう。
禄士郎はそんなことを無視して少女を見る。
「霧崎小春です。この手は何ですか。離してください」
「ねえ、俺とコンビになって」
「この態度を見てもですか?」
「この態度だからだよ。霧崎さんは祓魔師?紬師?」
「…………紬師です」
「それは良かった。俺は祓魔師」
その日以降、禄士郎は小春に何度もコンビの申し込みをした。
もちろん頷いてもらえることはなく、難航していた。
だが禄士郎の中で小春という存在は新鮮をくれる相手で決して諦めることは無かった。
(初対面で選択肢を間違えちゃったよなぁ、あれ)
反省はしても後悔はしてなかった。
あの時感じた確信は今でもあり、初めて小春に武器を紡いでもらった時、それはより強くなった。
そして何度も声をかけ続けた結果、今では一緒に昼餉を共にするくらいにはなれた。心を許したというより諦められたというほうが適切ではあるが。
それでもこうして小春の隣に座って素っ気なくても言葉を交わせることが禄士郎の楽しみだった。
「私の顔に何かついてますか?」
「いいや、見惚れてただけ」
「軽率にそういうこと言うのやめてください。女の子に刺されますよ」
「俺が?」
「いいえ、私が」
「ずっと言ってるけど俺が守れば問題ないよ」
「そういうところですよ。勘弁してください」
実際、禄士郎も懸念していた事でもあった。
小春とコンビになりたくて話しかけているが、それが好奇な目で見られたり、いらない嫉妬を買ってしまうことに繋がる。
それらから小春を守ることも禄士郎の責任だと感じていた。
だが他人から何を言われても聞かれても小春の瞳は揺らがなかった。
『桃坂さんに話しかけられたので返事をする。私は人間としての当たり前の行動をしているだけです。あなた方も桃坂さんとお話しされては?私に怒るのは見当違いですよ』
一刀両断であった。
本人は禄士郎を庇うことも同期たちに配慮することもなく、事実を淡々と吐くだけだった。
その姿が禄士郎の確信を強くするのは言うまでもない。
だが時として事実を並べることは相手に油を注ぐことにもなる。
激昂した女子は小春に向かって攻撃を仕掛けた。もちろん、校則として私闘は禁止されている。
だが白夜軍は実力主義。私闘が禁止の校則はあってないようなものだった。
「昨日、なんで攻撃してきた子に反撃しなかったの?」
「無意味な喧嘩は疲れるだけなので、相手が疲れるまで攻撃をひたすら避けるに限ります」
「そっちの方が疲れない?」
「今後のことを考えると最善の選択肢です。というか昨日、見てたんですか?趣味が悪い方ですね」
「俺が言うのも何だけど…俺が原因なところもあるからさ。責任は感じてるよ。だから守るっていう言葉は本心」
「…」
小春は黙り込み、また弁当を食べ始めた。
横目で小春の顔を伺ったが食べることに集中し始めたせいでよく読み取れない。
(…詰め寄りすぎちゃったかな)
一方的な気持ちの押し付けは相手にとって毒になりかねない。
禄士郎もまた作ってきた弁当を食べることにした。
桜が咲き誇る木の下で食べる昼餉は良いものだった。
二人きりの沈黙も慣れたもので、無言で食べるご飯が悪くないと小春と出会ったことで気付かされたことだ。
(霧崎さんと食べるからこの時間も悪くないのかな)
桜の花びらが軽やかに舞い踊りながら落ちていく。
小春も禄士郎も校舎内にいると目立ってしょうがないため、こうして外で持参した弁当を食べるのが日課になっていた。
好きなものを詰め込んだ弁当と美しい桜。
桜に感動したり、料理を幼い頃から続けていて良かったと思う日が来ようとは夢にも思わなかった。
ふと視線を感じ、小春を見る。
何故か小春は禄士郎の弁当を凝視していた。
「俺の弁当が気になる?」
「…いつも思っていたのですが、弁当はどなたが作っているのですか?」
「俺だよ。昔から自分で食べるものは自分で作っているけど」
「で、ではこのハンバーグもご自身で!?」
「うん。行きつけの洋食店のハンバーグを真似てみたんだ。でも店長のハンバーグには敵わないけどね」
明らかに小春の目の色が変わった。
何事にも興味なさそうに世界を見つめる小春の手をとったあの日以来、初めて目が輝いた瞬間だった。
言葉に表すことのできない歓喜が禄士郎の胸に宿る。
それが顔に出てしまったのを気づいたようで小春はすぐに距離を空け、警戒する猫のように威嚇した。
「その顔やめてください」
「ふふっ、ごめん。良かったらハンバーグ食べてみる?」
「…その前に一つ聞かせてください」
「何かな?」
「何故ご自身で食事を用意しているのですか?」
小春の反応はもっともだった。
このご時世、男が調理場に立つのは珍しい。加えて禄士郎は名家の次男だ。
疑問に持たない方が不自然と言えよう。
「昔から命を狙われることが多くて、出された料理に毒が混じってたことがあったんだ。それで毒味役が死んだこともある。だから自分で作るようにしてる。料理は実験みたいで楽しいから嫌いじゃないしね」
今でも口から血を吐き、視界がぼやけていく感覚や毒味役が口から泡を吹いて死んだことを鮮明に記憶に焼き付いている。
禄士郎は桃坂家の次男といえどその血には元遊女の妾の血も流れている。
だから血統を重んじる分家の人間や長男派閥の使用人達から目の敵にされることは常にあった。
そんな中で唯一、仲良くなれた毒味役が亡くなってからは禄士郎は自分の身の回りのことは香山か自分でするようになった。
命を守れなかったら母親譲りの美しい顔であっても意味はないのだ。
だがこれを全て小春に話すつもりはなかった。
話して不要な危険に巻き込みたくはない。
(俺の血のせいで怪我はさせたくないしね)
禄士郎の言葉をどう受け取ったのかわからないが離れていた小春が顔を逸らしながら傍に座り直した。
予想外の動きに禄士郎は目を見開き、小春を見つめ直した。
同情なのか、罪悪感なのか。その心情を聞きたい気持ちを堪え、禄士郎はハンバーグを切り分けて小春の弁当に入れた。
「ハンバーグが好きなの?」
「…」
小春は答えないまま、静かにハンバーグを口に入れる。
ハンバーグを咀嚼し飲み込む頃には耳まで真っ赤にしていた。
「ハンバーグが好きって子供みたいだから…あんまり言わせないでください」
今日は小春の新たな一面がよく見られる日だ。
どうにも背中がむず痒くなる。
(照れるところ、そこなんだ)
年相応の反応が嬉しくて、禄士郎は笑みを溢した。
すると小春は何かを覚悟したのか、真剣な眼差しで禄士郎を見上げる。
「コンビになっても構いません。ですが私の出す条件を必ず守ってください」
「どんな条件?」
「定期的に美味しいご飯を食べさせください。手作りか否かは問いません」
「と言うことは美味しいお店に連れていくことでも良いってこと?もしかして俺の行きつけの洋食店行きたくなった?」
赤みが引いていた顔がまた熱を持ち始める。図星だった。
どうにも小春は素直にお願いすることが苦手のようだ。
だけどそんな姿ももっと見ていたと思うのは我儘なのだろう。
「それで、ハンバーグは美味しかった?」
「このハンバーグが元になったものを食べてないので判断できません」
「じゃあ、俺の作ったハンバーグはお口に合った?」
「…たいへん美味でした」
この後日、禄士郎がコンビを小春に申し込まなくても二人がコンビになることは小春の母、那由が話を持ちかけていたのでほぼ確定事項だったことが判明した。
例え大人達の間で決まっていた事だとしても、己がとった行動は変わらなかったと禄士郎は今でも思っている。
車内で寛ぎながらニシキを起動させ、ジャムを使った料理レシピを検索する。
あの時の顔をもう一度見たい。そして小春にパートナーでいてもらうためにも。
(夜に連絡して要望を聞かないとな)
その時、無意識に笑みが零れたことは誰も知らない。




