第一話 脳ある鷹は本心を隠す
人には才能がある。とりわけ私には『絵』の才能があった。何年も絵を描き続けられる才能。巧拙は自分で語れるほどのものではないが、それでもやはり私に才能はあると思う。
そして、四条桜には『演技』の才能があった。生まれつきだろう優れた容姿。感情の機微を正確に読み取る観察眼。そこからさらに人の求めている顔を作る巧さ。どれをとっても最上級だと思う。いつみても彼女の周りには色んな人がいて、誰もが口を揃えて彼女を褒め立てる。日常が他人と常にある生活──私には想像できないな。
そんな彼女は同学年で天使なんて呼ばれて、ちょっとした有名人扱いされている。そんな、日陰者の私が声をかけるのも恐れ多い存在に、今から声をかける。
「四条、ちょっといいかな?」
放課後、四条はいつもいる友だちと話していた。……いや、私から見たら彼女はいつでも誰とでもいるので「いつもいる友だち」というのは語弊があるかもしれない。ともかく、仲睦まじげに話している女子たちだ。
呼びかけてに応じて、彼女は軽やかにクルンとその場を回る。振り向きざまに大きくて茶色い瞳をかち合った。穴が空きそうなくらいに、彼女は私のことを見てくる。いつもそうだ。あまり見られてしまうと本当に胃に穴が空きそうなので遠慮してほしいんだけど。
「また、絵のモデルやってほしいんだ。……この後、暇、あるかな」
四条の友人の一人から、鋭い視線を向けられる。……まぁ、それもしょうがない。私もある意味じゃこの学校で有名人だ。ただでさえ変人が多いと言われる美術部の、さらにイロモノ。半年前──入学して間もない頃、廊下に突如として絵画が現れる事件の犯人が私だ。あれはあれで私なりの創作表現なのだが、どうも理解されなかったらしい。ともかく、その事件をきっかけに、一部のクラスメイトから嫌われている。
さっそく、その友人がニコニコと私に返事を飛ばしてきた。
「秋原さん、悪いけど私たちこれから遊ぶ予定でぇ」
耳に障るような高い声。間延びした話し方。それに、わかりやすい作り物の笑顔。
「そう。じゃあいつなら空いてる? 私は明日でも明後日でもいつでもいいんだけど。四条さえよければ、遊びが終わったあとに来てくれてもいいよ」
「ゴメンだけど、明日も明後日も私たち遊ぶ予定あってぇ~」
こういうのは根比べが大事だ。どちらが音を上げるか。私は食い下がるつもりはない。なんせ、かけているのは私の絵だ。こればっかりは譲れない。私の人生における一本芯があるとしたら、間違いなく絵を描くことだ。それくらい、私にとって絵を描くこと、それに関連することは重い。
その友人をじっと見ていると、四条が前に出た。
「……あー、じゃあ、今日は秋原のモデルになろうかな? 悪いけど、みんな先に帰ってて?」
「え」
「どうせ明日も明後日も遊ぶんだし、今日くらい良いでしょ? ジュース奢るからさ」
「うーん、まぁ、桜が言うなら……」
ばいばい、とだけ言って彼女たちは別れた。私相手では粘ってくる人でも、四条ならいかようにでもできてしまうのだから恐ろしい。にこやかに手を振っていた四条が、また私に向き直った。まさしく天使ともてはやされるだけある美しさと、そのきれいな笑顔。 素直に美しいとも思うし、恐ろしいとも思う。いっそ人から逸脱したようなものを感じてしまう。
にへら、と彼女は口角を崩した。
「で、二人っきりになったわけですけど」
それを聞いて、私は大きくため息をついた。貧弱な私の身体のどこにそれだけの酸素を詰めていたのかわからないくらいたくさん。十秒近くかけて息を吐ききると、四条に向き直った。
「ほんっと、きみは人気者だよね。私がこうしてきみを連れ出すのにどれだけ苦労してると思ってるのか」
「ごめんごめん~」
「もういっそ私たちの関係を明かしてもいいんじゃないの?」
──私たちは、協力関係にある。『演技』の才能をもった四条と、『絵』の才能をもった私。四ヶ月前、私は初めて四条に声をかけた。『きみの演技力を上げるから、私に演技を教えてくれ』と言ってみたら食いついた。彼女の演技が落ち目で友だちにバレそうになっていて、私の絵も伸び悩んでいた頃だったから互いに了承した。
……私たちには、色々と事情がある。だが私とて、四条の全てを知っているわけじゃない。なんとなく彼女の生い立ちだとかバックグラウンドを知っているだけで、詳しいことは知らない。向こうもそうだ。お互いに、深いところには踏み込まないようにしている。
だが、だからだろうか。ある意味では仲間のような意識も芽生えてきている。お互いに知るべきところは知っていて、知らないところは知らない。不可侵と侵犯を上手に繰り広げている。
教室にいると、また四条は誰かを呼び寄せてしまいそうだったので、私はすぐに美術室へと連れて行く。彼女の身長は高いから、本当は私のことを担いでくれたほうがよっぽど早い。パタパタと足音を鳴らしながら美術室へ入ると、すぐに絵の準備を始める。
「……そういえば、そろそろ特訓の頻度を増やさない?」四条が声をかけてくる。
「別に、週一でもいいのに」
「いやいや。ほら、最近お互い演技力伸び悩んでるでしょ。こういう時こそ地道に頑張らないと」
「……ホント、演技に対しての情熱はすごいね」
「一緒だねぇ」
準備ができたと思ったら、四条が私に近づいてくる。背が高い。少し見上げるようにすると、彼女は手を伸ばしてきた。
「ゴミ、ついてる」
そっと、四条が私の髪に触れる。顔の横のあたり。見下ろす彼女は、やはりどこか神聖な感じをまとっていて、その才能を見せつけられる。
「上手いね」
「なにが?」
「演技。最初の頃に比べて本当に上手くなってる」
「へへ、嬉しいな」
完璧な演技に、私は少しだけ嫉妬したくなる。私は、私の感情を表現するのが苦手だ。読み取るのも、得意じゃない。絵を描いているから観察眼はあるが、私のは人の気持ちを見る目じゃなくて、人の動きを見る目だ。服の皺や、手の形、骨格。だから、そういう意味でも私は四条の演技が少しだけ羨ましい。その目が、少し羨ましい。ふと、彼女と目があった。
「今日はなんの演技をするつもり?」
その日どんなシチュエーションのどんな演技をするのかは四条に一任している。もともとは私が指定していたのだが、いつからか四条が担当するようになった。やりやすい演技ややりにくい演技があるのかもしれない。……四条なら、演技であればなんでも完璧にこなしそうではあるが。
「目瞑って」
「え、なん──」
反射的に身を引こうとしたら、四条が手を背に回してきた。慣性もろとも体重が乗って、四条に支えられる形になる。きゅっと目を瞑ると、同時に唇が何かに触れた。え、と思ってすぐに目を開けようとしたけど、四条に封じられる。手で覆われている。前が見えない。
「だーめ」
息をたっぷりと含んだ湿っぽい声が聞こえたと思ったら、また唇に感触。キス。二度目のキスをされている。ようやく状況を掴んだと思ったが、わかったせいでより動揺が強くなる。いきなりなんで? どうして? 抵抗することもできず、どうすればいいのかもわからず、身を固めていると「ほら、離すよ」とまた声が聞こえた。今度ははっきりと分かりやすい。
「きゅ、急に何……」
「わー、やっぱり驚かないし顔も赤くならないね。さすが秋原だ」
「めちゃくちゃ驚いてるし恥ずかしいよ。顔に出ないだけ。というかよくも私のファーストキス奪ってくれたな」
別に、大事にしてたものでもないけど。それでも、こんなでも、私は一人の女の子だ。そのくらいの自覚はあるから、なんとなく初めての相手くらい選んだほうがいいのかな、くらいには思っていたのだけど。
……まぁ、四条はもう済ませてるだろうし、そういうのは気にしないのかな。
「大丈夫大丈夫。女の子同士はノーカンだから」
「一軍女子の倫理観ってそんな感じなのか……」
たまに手を繋いでいる女子とか、ハグしている女子を見たりするが、やはり四条もそんな感じなのだろうか。例えばテーマパークに友だちと行って、お化け屋敷とかで一緒に抱き合うとか。……もしや四条に限らず世の中の女子みんなそうなのか? いやいや、流石にそれはないでしょ。そういうことをやったことがない私としては楽しそうだというよりも人前ではしたないのではないかと思ってしまう。
「で? 結局今日の演技はなんの練習?」
「恋」
「え?」
「恋の練習。恋人っぽい演技の練習。どうやったら、相手をドキドキさせられるかの演技の練習」
「好きな人でもできたの?」
だったら、そんな演技なんて習得しなくても四条は相手を籠絡できそうだけど。普段人に接するときの『演技』で人を魅了するんだから。ただ、それでも落ちない相手ってことかな。それか、恋人っぽい演技と言っているから、もう彼氏がいるのかもしれない。勝手がわからなくて、私と練習して習得しようとしているのかも。
「まぁ、そんなところ」
「じゃあ、今日からしばらくは恋人演技の練習ってことになるのかな」
「そうだね。一朝一夕で身につくものでもないし」
『演技』練習は短期で終わるものと、長期に渡るものがある。”喜び”の演技は楽だった。表現が苦手なだけで、私だって喜ぶからすぐに演技を身につけることもできた。”怒り”は逆に時間がかかった。私は日常でなにかに怒ることがなかったから、まず感情を自覚するところから始める必要があった。今回は”恋”。下手したら、今までで一番時間のかかるものになるかもしれない。
とはいえ、恋の演技を習得できるという事実に私はある意味で興奮していた。古今東西、芸術や創作の形態に問わず恋愛や失恋をテーマにした作品は大量に溢れている。その作品たちを完璧に理解することも、まして作品として作り出すことも叶わなかったが、今回の演技練習を通して何かをつかめれば作品として起こすことができる。
「楽しそうだね、秋原」
「ん? あ、顔に出てた?」
「んー? いや、なんか雰囲気で」
「恐ろしいなきみは……」
四条の人の気持ちを見る目は本物だ。私みたいに、ほぼほぼ顔に出ない相手でも気持ちを見抜いてくる。やはり少し羨ましいけれど、それ以上に大変なんだろうなとも思う。私は、自分が納得できれば大抵のことはそれでいい。他人がどうとかっていうのはほぼ関係なくて、自分を納得させることに全力だ。けど、四条ほど周りを見ることのできる目なら、嫌でも周りの反応とか、顔色とか気にしてしまうだろう。
「そっかそっか、そんなに私と恋人になるのが嬉しいのかぁ」
「演技のためにね。それに嬉しくないし」
「顔に出てるよ」
「出てない」
あくまでも私の『絵』を成長させることができるからである。もしもそれをみて嬉しがっていると思うのならここで振ってやろうかその提案。……やめておくか。わざわざ強く拒否することでもないし。四条が悲しむようなことがあれば全クラスが動きそうだ。
「どう? 恋の絵は描けそう?」
「まぁ、習得すればね」
私は、四条の『演技』を習得した後すぐに絵を描くのが日課だった。自分が手に入れた感情を、そのまま絵に乗せる。こういう長期に渡る演技練習のときは話が別になるが。筆を取ると、四条とその背景をざっと描きあげた。色をつけられる程の時間はない。鉛筆を走らせて、ざっくりと形を取り、顔や細部だけ鉛筆を立てて濃く詳細に。それ以外はさっと色を乗せる。
「今日はこれね」
「えー、色つけてくれないの?」
いつからか、『演技』を教えてくれるお礼に私が絵を贈るようになった。最初は”とある事情”から、脅すようにして演技練習を取り付けたのだが、あとから少し申し訳なくなってその時描いた絵を渡すようにしたのだ。それが始まり。
どうも、それが気に入ってしまったようで私の絵をよく欲しがってくる。もちろん、私としても絵を描くのは苦じゃないからいくらでも描いて渡せるんだけど。
「許可なくキスしたからその罰」
「ケチ! 秋原のケチケチ」
「キスを許したんだからだいぶ寛大でしょ」
「え、じゃあまたしてもいいの?」
「許したのは今回だけね」
「ケチ! 秋原のケチケチ!」
文句を言う割には、四条は喜んでいそうだった。……これが演技なのだから、恐ろしい。
「ほんと、きれいだね」
そういう四条があまりにも美しくて、一瞬、見惚れてしまう。
──私はまだ四条の本心を見ていない。
私の目は、人の動きを見る目。どういう動きをしているのか、どういう光と影が入っているのか。彩度や色相はどんな感じなのか?
だから、というべきか私には致命的な欠陥がある。それは、自他の気持ちを汲めないこと。自分の気持ちはまだしも、他人の気持ちは全くと言っていいほどできない。他人がどういう感情を抱いているのか、よくわからない。なら、なぜ四条の気持ちや感情を察することができるのか。
ひとえに、彼女が『演技』をしているからだ。それが偽りであり、虚構であり、作られたものであり、真実ではなく”作品”であるのなら。表情という作品だというのなら、私は容易に咀嚼できる。作品を作ることで生き、作品とともにしか生きられない、私の欠陥。
だから、私にはわかってしまう。四条は私に一度たりとも本心を見せたことがない。悲しいとも、虚しいとも違うこの感情。胸の中にもやがかかったような。胸元の中身をかき回されるみたいな。……私は、自分の気持ちすらわからない。これは、一体どういう気持ちなのだろう。
「明日は、どこか遊びにいこっか」
「……四条、明日は例の友だちと予定があるでしょ」
「あ、そっか。うーんでもなー」
「どうしたの?」
「や、恋人優先しなきゃでしょ」
……どうしたら、四条は私に本音を見せてくれるんだろう。なんて、そんなことを思ってしまう。四ヶ月、互いの事情から仲良くやってきたのだ。ちょっとくらいは、と思わなくもない。自分にそんな気持ちが残っていことにも驚きだが、恥ずべきことでもないだろう。私はまだ高校生なんだから。
さしあたり、明日ちょっと仕掛けてみようかな。その分厚い面の皮を、どうにかして引っ剥がすために。
失踪しないとは思うけど自信はない。




