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第十三話-③ 足跡は埋もれる

「ねぇ桜」


「……なに」


 さっきからかったからか、少しぶっきらぼうだった。


「星は、好き?」


「好きだけど」


「そっか、私は桜が好きだよ」


「うん。ん? うん? んん?」


 どういうことかわからないみたいな返事だった。


「え、からかってる?」


「からかってないよ」


「いやでも、だって」


「気づいたんだ。駆け引きとか、めんどくさいよねって。自分の気持ちに素直なのが一番だよね」


「いや……んんんん??」


 私は、今まで自分のことで悩みすぎていた。私の絵には心が足りてないだとか、恋人の演技のことだとか、私の在り方だとか。ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ……難しいことを考えた末に出される結論は、いつだってシンプルだった。絵に込めるべき心は桜とともに育めた。恋の演技は、本物になった。私の在り方は最初から決まっていた。だったら、この気持ちもシンプルでいいはずだ。桜が特別で、好きだ。それで、いい。これが間違っているとも思えない。私は、人生で初めて直感的に正解を引けた気がした。


「桜だって、なんとなく分かってたんじゃないの?」


「いやそれは……ん、うんん?」


 桜の言いたいこともわかる。だって私だもの。きっと、「わかるにはわかってたけど、本当に”そう”だとは思ってなかった」とか、そういう感じだと思う。実際、少し前までの私は恋愛感情とか、そうじゃなくても現実に対してこうして真摯に向き合おうという気持ちがなかった。ちゃんと、自分と自分の周りを見ようって思えたからできたこと。


「ねぇ、桜」


 私は、駆け引きをしない。しないと言うよりも、できないと言ったほうがいいのかもしれない。ずっと自分の力で感情を発露させるのが苦手で、人の気持ちを読みとるのが苦手だった。トラウマを乗り越えても、その性質の根本は変わらない。私は、恋愛どころかコミュニケーションのレベル1だ。だから、ストレートにしかまだ表現できない。


「どう? 桜は、どこまで許せるようになったのかな」


 きっと、私も自分を許すことを望んでいたんだ。現実から逃げてしまった自分を、いつまでも責め続けていた。その責任の所在を問うて、罪の意識を目の前に吊り下げていた。やがて疲弊した私は、絵の世界というまぶたを下ろして見ないようにした。

 ねぇ、桜。私はもう自分を許したよ。私は、現実から逃げても良いんだ。もう、ただ逃げただけの私じゃない。逃げることに、意味を見出した。そう言えば先輩も言っていた。そこに意味と矜持はあるのか……私は、意味と矜持を見出した。私の、ただ逃げるだけの逃避行に意味を見出した。


「私は、桜が好きだよ。それに応えるには、まだ少しかかるのかな」


 じっと、桜を見つめる。私は、ずるいと思う。だって、これをされたら桜が曖昧な答えに逃げられないのを知っているから。真剣な相手には、常に真剣に立ち向かう。演技の垣根を超えて、彼女は本心を核に添えた言葉をつなごうとする。


「私、は」


 何かを言おうとしたところで、海風が言葉を攫った。桜が何かを言ったような気もするし、言う寸前だった気もする。でも、なんだかまだ聞いちゃいけないって誰かに言われているような気がした。聞き返すこともせず、私は桜に近づいた。


「行こっか。寒いや」


 どこに、とも言われなかった。私だって、これからどこに行くのかわからない。けれど、自然と私たちの行く方向っていうのは決まっている気がした。


「まさか、私が桜とこんなに仲良くなるなんて思わなかったな」


 悪口だとか、そういう意味じゃない。それは、桜も分かってくれるはずだ。ただ、私は自分の未来を見つめることをしなかった。桜に専属モデルを持ちかけたのも、純粋な打算だ。私的な感情は、一切なかった。


「それは、私もかな。本当、最初は脅しみたいなものだったしね」


「そりゃそうだ」


 笑いながら、私たちは自分が泊まる場所を探す。自然と人気の少ない場所になっていって、自然とそのなけなしの人が男女二人組みだったりする。比較的田舎ではあったから、あまり治安も悪くない。少しだけ、嬉しかった。この雰囲気を壊されないというのが、何にしても嬉しかった。

 ──部屋を開けると、案外普通のホテルと変わりはない。細部を細かく見ると、まぁ、構造というか備品にかなり差があるのだけれど。


「結構スムーズに入れるんだねぇ」桜が関心していた。


「無人受付とか増えてるらしいしね。ほら、タッチパネル式のとことか。ここもそうだったし。セルフでもやりやすいようにわかりやすい形式になってるのかも」


「……詳しいね?」


「友達の知識だよ」


「みのり、そんなに友達多くないでしょ」


「むっつりそうなのが一人いるじゃん」


 屁理屈をこねる男を一人思い浮かべながら、私はやたらと大きなベッドへ飛び込む。ちなみに山岸からそんな内容の話を聞いたことはない。このへんの知識は私がインターネットで活動しているうちに自然と入ってきてしまっただけだ。隠れ蓑に使った山岸に内心で謝りつつ、テレビをつける。私は視線もくれずに隣を叩く。


「……なんか、慣れてない?」


「ただのお泊りだし?」


「ふーん?」


「うそうそ、冗談」


 とは言え、慣れているつもりもない。どういう流れで……というのが一切わからないから逆に緊張もしない。強いて言うのなら、別の意味で少し緊張はしていると思う。さっきの私の言葉の返事。それがどうなるのか、私には少しもわからない。

 考えていると、桜がおもむろに私の隣に腰を下ろしてきた。やけに姿勢がいい。


「緊張してる?」


「……してない」


「演技得意だもんね。そりゃ、しないか」


「生意気」


 軽く桜のことを煽っていたら、押し倒された。押し倒された、というよりも抱き倒されたという方が正しいかもしれない。私の方がずっと背が小さいのに、私の胸に桜の顔が埋まっている。ぼんやりとした明かりの部屋。私は、桜の頭に手を置いた。


「あの時と、逆だねぇ」


 残暑の残るあの日。今日みたいな状況になったときがあった。でも、あのときは、桜の余裕がなくて。私にもその本心をさらけだすことを拒んでいて、その焦りからだと思う。結構、私に対して攻めっけがあったというか。とにかく桜がリードしていた。


「本当は、甘えん坊なんだ」


「……うるさい」


 そう言われたのが、何よりも心地良かった。あの時から、確かに私たちの関係が進展していて、限りなく桜の本心に近いものが見えているのが、たまらなく嬉しい。私も、桜から見たら変わっているのかな。私は、私の逃避行に意味を見出した。これは、大きな進歩だ。私は、ようやく人と自分の気持ちに目を向けられるようになった。

 桜の髪に指を通す。するりと、抜けていく。綺麗で、ずっと触っていたくなる。


「お風呂、入ってくるよ?」


 頭を撫でながら、私はそういった。いつもより、優しい言い方になっていた気がする。なんだか、母性がくすぐられると言うか。優しくしたくなってしまう不思議さがあった。


「……前みたいに、先に寝ない?」


「寝ない寝ない。今、目、ぱっちりだし」


「むう」


「心配なら一緒に入る?」


「先に入ってくればいいじゃん」


 突っぱねられてしまった。冗談だから良いけれど。そそくさと、私はお風呂場へ向かった。

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