第十三話-② 足跡は埋もれる
黒い海に、灰色の波が立つ。砂浜の砂が、靴の中に入る。帰ったら、念入りに洗わないとな。面倒くさいな。そう思いながら、砂を蹴り飛ばす。何事も思い切りが大事だ。私はこの夜の海を満喫すると決めたんだ。だから、砂程度気にしてちゃいけない。
「あははっ」
「テンション高いねー。ま、みのりの元気が戻ってきたようで何よりだよ」
「靴とか邪魔だし脱いじゃおうかな」
「え? ダメダメダメ! 流石に足が冷えてなくなっちゃうって!」
とは言われても砂が入ってくるから脱いじゃいたいんだけど。試しにこっそり靴を脱ごうとしてみるが、桜にたしなめられる。身体を抱えられて動きを止められる。
「だめだって……! 足凍っちゃうよ。どんだけ自由人になってるの? 前よりずっと変人になってるよ?」
「今の私を縛るものはなにもない」
「私が縛ってるよ!」
まぁ、桜がそこまで言うのならやめておこう。冬の砂浜で裸足になったくらいで私の逃避行を止められるとは思わないでほしいものだが、しょうがない。桜に抱きかかえられながら、私は水平線を見つめる。暗くて、もはや境目もほとんどわからない。空気の層のおかげで、かすかに水平線が強調されているからわかる程度。
海面に反射する星が綺麗だ。街灯もほとんどないから、星がよく見える。先輩と相談をしたあの公園よりも、ずっと。
「いやー、海、綺麗だね」
「……私には真っ黒一面にしか見えないよ」
「いいんだよ。その分私が綺麗だって言うから」
「ふーん……?」
「なに?」
「いや、なんでも」
現実を見つめながらの逃避行を決意したのだ。今の私には、人の気持ちもわかる。桜との特訓があり、トラウマを乗り越え、自分のあるべき姿を確認した。そんな私でも、こういうときの桜の気持ちはわからない。大抵「ふーん」と言うときだから、何か傾向がありそうなものだけど。
「星は綺麗だけどねー」桜が言う。
「そりゃあね。でも、うーん」
「どうしたの?」
「なんかなぁって」
「わかんないって」
うーん、と首を捻る。
「綺麗なんだけど……絢爛豪華ってやつ? ちょっと、うるさいかなって
「星に辛辣だなー……」
「だってさ」
抱きかかえてくる桜の腕を振りほどいて、海に一歩近づいてみる。もう、波が足元まで迫ってきていた。
「たくさんの人に見られてるみたいでちょっとね」
「んー? そう?」
「夜景は好き?」
「まぁ、好きだけど」
唐突な質問に戸惑いながらも、桜は答えてくれた。
「夜景が綺麗なのは街の明かり?」
「それはそうでしょ」
「その明かりには人がいるじゃん」
「あー……あー?」
「そういうことだよ」
「わかりそうでわからないかな……」
そのへんは人の感性だろう。私だって、あまりにも星だらけの空だとちょっと萎縮してしまうというだけで、ある程度ならもちろん綺麗だと思う。今回は海にもちょっと反射してしまっているから話が違ってきているだけだ。
「んー、やることないね」
「海に来たいって言ったのみのりでしょ!」
「景色見たいだけだったから。あ、でも」
ぱっと思いついて、ポケットからスマホを取り出す。砂を被らないようにだけ気をつけないと。
「写真でも撮ってみようか」
「スマホで? 星とか綺麗に写らなくない?」
多分、資料の話をしているのだろう。大体、私が写真を撮るときは絵の資料に使うものばかりだ。今回だったらこの海と空。私としても、満点の星が綺麗に写真に納められるのならそれに越したことはない。だけど──。
「いいのいいの、今日は、桜と一緒にここに来たって思い出を残しておきたいから」
「……ふーん?」
「またそれ?」
桜に目を細められるも、あまり気にはならなかった。どうやら悪い意味での「ふーん」ではないことは分かっているし、気にせず私は桜に近づく。内カメラにして、海をバックに。でも、身長差で上手く桜を収められない。
手間取っていると、桜がひょいと私のスマホを取り上げた。
「私が撮ってあげる」
「ん」
桜が、ぎゅ、と私を抱き寄せてくる。こうして桜に抱きかかえられていると、なんとなく、私の彼氏みたいだなって印象を受ける。でも、彼氏とは違う。私が見上げるくらいの身長差とか、シャープな骨格とか。頼れるところか、気遣いができるところとか──そういうところは彼氏っぽいけど、やっぱり違う。やっぱり愛らしさがあるというか、かわいい、とは違う感情なのかもしれないけれど。桜は、私にとって特別だ。
シャッターボタンを押そうとしたので、なんとなくイタズラ心で桜の肩を掴み、ぐいっと顔を下ろす。そのまま、頬にキスをした。驚いたのか、それと同時にシャッター音が聞こえてきた。
「──どう? いい写真撮れた?」
「……ブレブレだけど」
「そう? 結構鮮明に……」
「見なくていいでしょ」
電源ボタンを押され、画面を暗くされて私にスマホを返してくる。かわいい。恥ずかしがっているのかな。
「案外、桜ってウブだよね」
「は、はぁ!?」
「反応が面白いから」
「み、みのりだってそういう経験ないでしょ!」
「ないけど、なんか、桜の方が反応が面白いなって」
「これだからポーカーフェイスは……」
そうは言いつつも、まんざらでもなさそうだった。やっぱり、私は──桜が大切だ。特別だ。この感情を言い表すのなら、好きだ。多分、そんなこと桜もとっくに分かっていると思う。人の気持ちに敏感だし、何より私がかなりアピールしちゃってるし。そんなつもりはなかったけど、振り返ってみるとそういう場面が多かった気がする。私が気づいていなかっただけで、私は桜を特別扱いしていた。




