第十三話-① 足跡は埋もれる
足取りが、昨日よりも軽い。久しぶりに外に出て疲れているという自覚はあるのに、それに反するように足が動く。先輩からの言葉を聞いた。それだけで、かなり自分の選択に自信を持てる気がした。クリエイターの一人としての私をよく理解していて、私よりも聡いあの人だから。
「……」
だけど、そんな人だから最後の行動に違和感を抱いてしまう。海羽先輩は意味のない行動をするような人じゃない。あの行動は、どんな意味があったのか。それを深く考えることは憚られた。ただの激励のようにも聞こえるし、あの先輩の表情を見ると、それ以上の意味が含まれている気も──。
……いや、それを考えるのは私のやることじゃない。今は、ただ私のやりたいことをやるべきだ。先輩から助言をもらって、私の進む道を決めた。私は、自分の気持ちとも向き合う。現実を見て、その上で逃げ続ける。だったら、まずは何をするのか。
「こんばんは。桜さんの友達の秋原です」
気づけば、私は桜の家にやってきていた。あらかじめ『準備して』とだけメッセージを飛ばして置いたけど、はてさてどんな反応をされるのやら。桜のお母さんが応対し、すぐに桜を呼びに行ってくれた。一分と経たずして、桜が玄関を開け放つ。慌てている様子で、髪も乱れていた。格好もパジャマを着ているみたいだった。
「ど、どっうしたの……こんな時間に」
「ごめんね。ちょっと会いたくなって」
「え」
「デート行かない?」
状況が突然過ぎて飲み込めていないのか、桜は目を見開く。そんなところも面白くて、つい頬が緩む。私は今どんな顔をしているのだろうか。きっと、感情がそのまま出ているんだろうな。だって、今までできていなかっただけで、私は感情が豊かな方なのだから。感情や表情を偽る理由なんて、桜相手じゃ見つからないし。
「この時間に?」
「うん。海をみたいなって。まだ、電車あるらしいよ。ギリギリだけど」
「でも、それ帰りの電車が……」
そう、帰りの電車なんて考えてない。気の赴くままに。それが、私の在り方だから。桜は、言葉を切ってより目を見開いている。私の言葉の裏を探っているのか。だったら、もう少しヒントでも出してあげよう。
「海の次は星を見たいな。その次は、同じ天井でも見てみる?」
「ちょ……っと待ってね!」
バンッ、と桜は勢いよく扉を締めた。ドタバタと階段を駆け上がる音が聞こえて、やがて少し静かになる。これは、少し準備に時間が掛かりそうかな。そんなに気合を入れなくてもいいのに。私なんて、先輩に相談するだけだと最初は思っていたから荷物もほとんどない。もしかしたら、こういう行動に出るかもしれないと自分自身に予測を立てていたから、最低限の荷物は持っているけれど。せいぜい貴重品くらいだ。着替えも持っていない。
「は、はい! おまたせ」
二十分くらいしただろうか。むしろ急に押しかけたのによくこの早さで出てきてくれたものだ。
「服、かわいい」
「だってさ……」
桜が目で訴えてくる。
「ま、それもそうだね」
私がほとんど荷物をもっていなかったからか、桜も身軽だった。とは言えトートバッグは抱えていて、多分メイク道具とか着替え一式だろう。……最悪の場合は、桜に色々借りればいっか。
早速、私は桜の手を掴んだ。電車の時間だって、そろそろ危なくなってきているのだ。
「ほら、行くよ」
ぎゅ、と握って走り出す。まだ、少しだけ時間には余裕があるけど、走ってみたかった。あの時のマラソンの時みたいに。桜は私よりも体力があるのだから、仮に私が全力疾走したって疲れることはないだろう。駅の方まで軽く走る。手を繋いでいるから、いつもより走りづらかった。でも、やっぱり、それが心地良い。こういう息の上がり方も、あるんだって。疲れて、一旦止まる。
「ちょ、みのり?」
「あっは、やっぱ、私、走るの得意じゃないや」
「だろうね……」
「──ごめんね、この前は」
「ん、うん」
謝るタイミングがわからなくて、唐突な切り出しになってしまった。でも、これでいい。私はごちゃごちゃ考えすぎるから、走って息が上がって、少しくらい思考を鈍らせておくくらいが。
「来てくれたでしょ、私の部屋まで」
「うん」
「私も、余裕がなかったから。あの時、冷たく帰しちゃった」
でも、そんなことよりも。
「──あの時、桜にはわからないよなんて、言ってごめん」
クリスマスイブの夜。あの時、私は桜にそう言った。それは、どれだけ残酷な物言いをしていたのか。今なら、よく分かる。本当に、私は最低な人間だ。それでも、今はそれが誇らしい。最低だからこそ見上げる景色がある。だから、私はちゃんと桜と向き合って頭を下げられる。
深々と頭を下げてもう一回、私はごめんと言った。
「で、結局理由は?」
「……あー、まぁ、将来が心配になったと言いますか。自分ってこのままでいいのかなって」
「それ、私に相談しても良かったよね。抱え込む必要もないし、海羽先輩じゃなくて私に相談しても良かったんじゃないの?」
「そうなんだけど……そうかも知れないんだけど……」
私の絵に関する悩みだし、その専門となるとどうしても海羽先輩が候補に上がってくる。それに、その悩みの渦中にいるのが桜だったし、軽々しく相談などできるわけがなかった。
「まぁ、いいよ。わざわざ私のところに来てくれたんだし」
「え」
ふと桜の方を向くと、顔を逸らされてしまっていた。彼女の表情が見えない。そのまま歩き出してしまうから、私もついて行く。でもやっぱり顔をこちらに向けてはくれなかった。
「ちょ……なんでそっち向いてるの」
「なんか、恥ずかしい」
「良いでしょ、私には人の表情とかわからないんだし」
「演技ならわかる上に今なら私の素の表情もわかるでしょ」
「わかんないよ?」
「わかる言い方でしょ、それ」
なかなかこっちを向いてくれない。そのまま、私たちは駅についてしまった。時間は夜の十一時。もう、地元の駅ではほとんど人もいない。これから海に向かう人なんて、それこそ二人しかいないだろう。寂れている感じで、退廃的な感じ。私は嫌いじゃない。逃げ続ける私を匿ってくれるような気がして、ホッとするのだ。ホームに立って電車を待つ。周りが暗いから、ここだけがやけに眩しく見えた。ステージに立つアイドルとか、こんな漢字なのかもしれない。私が立つことは一生涯ないけれど。もしかしたら、桜なら立つかもしれない。アイドルとは言わなくても、女優としてとか。
「あの、さ」
「ん?」
「いやってわけじゃないけど、どうして海?」
「んー……」
そう言われると難しかった。私が今行きたかったところが海だから。けれど、それに理由を見出すとしたら──。
「冬の海って、誰もいないでしょ?」
「ん? うん」
「外を二人占めできるって、いいなって?」
「疑問形なんだ……」
正直、強い理由があったわけじゃないもの。そう言おうとすると、駅のアナウンスが鳴った。海の方へ行ける、最後の電車。終電を知らせる放送が入って、それから電車が勢いよくやってくる。冷たい風が私たちを殴りつけ。扉を開けて明かりを漏らす。ここから、海まではこの電車一本。何の荷物も持ってないのに、海へ行くのがどこか愚かしいようで、自分の生き方を実践しているようで、楽しい。
「じゃ、あっちに着くまで何話そうか」
誰も乗っていない電車の中で、私はいつもより大きめに声を発した。そんな私の声を置き去りにするみたいに、電車は動き出す。車両内で大きな私語を使う私をたしなめるように、カタンコトンと線路を踏み鳴らしながら。




