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第十話 石炭よりも欲しくなかったもの

第十話 石炭よりも欲しくなかった

 夕食を食べたあと、私たちはまた移動した。かじかむ手のひらを温めながら、私と桜は外に出てきた。ショッピングモール付近のイルミネーション。敷地面積が大きいから、規模も大きい。場所もまちまちと配置されていて、家族が多い場所もあれば、カップルが多く集まっている場所もある。私たちは、自然と歳が近い人の多い、カップルが多めのイルミネーションへと吸い込まれていた。


「……雪」


 いつの間にか、雪が降り始めていた。ショッピングモールの中にいたから気が付かなかった。普段だったら底冷えするから少し辛いけれど、今日だけは特別だ。クリスマスの雪──ホワイトクリスマス。立ち会えた喜びを噛み締めながら、少し離れてしまった桜へと近づいていく。


「雪、降ってきたね」

「ね! ホワイトクリスマスだ。やったね」


 目が眩みそうなくらいの光の束。それに負けないくらい、桜は明るい笑顔で笑っていた。寒さで凍りつきそうになっていた身体がほんの僅かに温まるのを感じる。

 にしても、あたりを見回せばカップルカップル……場所がカップル向けのエリアだから仕方ないけれど、それにしたって多すぎる気がする。ふと、遠くに見覚えのある同い年くらいの男子を見かけた。


「……あれ、山岸じゃない?」

「え! どこどこどこどこ!」


 食いつくように桜が顔を近づけてくる。私の視線の先を探るようにして見つめると、どうやら桜も山岸を見つけたらしい。「わ」と声を上げた。

 隣に女子が立っている。多分、山岸が好意を寄せていると言っていた人だろう。長い髪がマフラーに乗って、ふわりと膨らんでいる。遠目から見ても可愛らしい人みたいだけど。


「ね、ね、あれ多分山岸くんの好きな人だよね。わー、誘えたんだ、クリスマスデート」

「ちょっと見に行ってみよう」

「……みのり、そういうところいい性格してるよね」

「桜は行かない?」

「んー、まぁ、邪魔しない程度なら?」

「それはもちろん」


 人の恋愛ほど面白いものはない。それも、相手はあの山岸だ。毒舌偏屈頑固男。そんなやつが一体どのような女子になら心を許すのか──気になるところである。それに、私たちは恋の練習をしている女子二人。今まさに告白でもなんでもしようとしている人は絶好の学習チャンスだ。これは社会勉強。私は悪くない。

 人混みに紛れながら、私たちは山岸に近づいた。声を聞ける距離までは近づけなかったが、二人の表情や仕草が判別できるところまでは近づけた。イルミネーションを楽しむカップルを装って、他人のフリをする。


「わぉ、相手の女の子知ってる。隣のクラスでめちゃくちゃかわいいっていわれてる子だよ」

「ふーん……山岸って結構ミーハーだったのか」

「でも性格に難があるというか、確かジェネリック美術部って呼ばれるくらいの変人だった気がする」

「さすが山岸。それでこそ私たちの山岸」


 変人の代名詞として美術部が使われていることには異議申し立てをしたいが、この際どうでもいい。山岸や橘を見ていれば変人しかいないと思われても仕方ないだろう。私は普通の人のフリができるけども。


「……みのり、山岸くんがお気に入りなんだね?」

「んー、まぁね。面白いし。なかなかいないよ、ああいう人」

「ふーん」


 淡白な反応を返されてしまった。何か不機嫌にするようなことを言っただろうか。


「まぁ山岸くんモテそうだもんねー」

「モテないでしょ。口を開くたびに暴言が飛び出してくるから、それ全部反転させたら全然あるとは思うけど。山岸は山岸だよ。死ぬまで変わることはないだろうね」

「みのりは、ああいうのがタイプ?」

「ない」


 そもそも、絵を描いてばかりで自分が恋愛をするという想像ができない。言わずもがな、私は想像力が豊かな方であるという自覚があるが、それでも無理だ。


「じゃあ、どんな人がタイプ?」

「どんなって……」


 少し、想像してみる。案外、私にもそういう願望があるのかするすると言葉が出てきた。


「うーん、とにかく大事なのは包容力……とか、面倒見とかそのあたりかな。ほら、私って、ね……」

「まぁ確かに絵にしか興味ないから放っておくとそれしかしないよね」

「そうなんだけどさ、もう少し手心を……」

「おまけに家事も勉強も全然で興味ない話をされてる時とかどこ向いてるの? って感じだしね」

「そうだけどさぁ!」


 もっと手心を加えてほしい。私がいかにダメな人間なのかはよーく分かっている。なんせ中学の時から現実逃避を続けてきた人間なのだ。現実のことがまともにできなくて当たり前だろう。


「まー、私なら全然大丈夫だけどね。実際半年以上一緒にいるわけだし」

「……そうだけどさぁ」


 確かに、桜のことは大事にしないといけないのかもしれない。改めてそう思った。そもそも、美術部に所属する連中は万人に好かれることがまずない。海羽先輩は例外中の例外だ。常人離れしたカリスマ性が彼女を成り立たせている。そんな中で、長い間一緒にいてくれる人というのは希少だ。

 そこで、山岸の方に動きがあった。先に桜が気がつく。


「え、あれ、告白してるんじゃない?」

「あの山岸が? 本当に? いやどうなんだ……めちゃくちゃ臭い言葉を使ってるかもしれない。「こんなに曲がりくねった俺だけど、あなたがいればまっすぐ歩ける気がするんです。付き合ってください」とか。いわなそうだけど」

「ずいぶん山岸くんに対する評価が厳しいね……」

「美術部員ならみんな私と同じこと言うと思うよ」


 実際、山岸はそういうやつだ。ただ、本当に告白しているんだったらもう少しまっすぐな言葉を使うと思う。言葉をよく理解していて、そこから選んで人に向けている。「言葉の本質は伝わるかどうかだ。バカにはわかりやすい言葉を使わないとな」が山岸の口癖だ。よく橘に向かって言っている。それが彼の信条なら、こういう時──


「え、あ、女子のほうが手を取った!」桜が叫ぶ。


「や、山岸に、彼女……? そんな、バカな……」

「めでたいねー」

「……何日保つんだろう」

「信用なさすぎでしょ! 数日予想!?」


 いや……山岸は人を不快にさせるのが上手い。ならば、逆も然りなはずだ。してほしくないことをしないようにできるし、してほしいことを汲み取れるかもしれない。もしかしたら、長続きするかも。


「……ま、いいや、面白いもの見れたし」

「山岸くんはコンテンツかなにかで?」


 山岸が彼女と二人で去っていくのを見届けてから、私たちもその場を離れた。なんだか桜が切羽詰まったような表情をしていたが、何を考えていたのかはわからない。告白というのは緊張するものだし、当てられたのかもしれない。


「みのりは、恋人とか欲しくないの?」明後日の方を向きながら、桜が私に聞いてくる。


「うーん……ま、ほしいかな」

「ふーん、浮気だ」

「なんで……?」

「私たち疑似でも恋人じゃん」

「そうだけども」


 疑似でも恋人をほしいとか言っちゃいけないのか。……いや、まぁ、そうか? だんだん失礼なことを言っている気がしてきた。疑似とはいえ恋人であることに変わりはないのだから、演じる、という点において今のは私のミスだ。

 というか、浮気だなんて言っているんなら恋人が欲しいか聞かないでほしい。私じゃなくて悪いのは桜じゃないのか?


「もう、この関係も長いよね。半年以上も経ってる」

「確かにね」

「──どう? 恋の演技、分かってきた?」


 ……正直な話をするなら、掴めているようでできていない。恋人らしいことは、色々やってきた。どういうことをした時に、どういう反応をするのか。わかる。けれど、気持ちまでを汲めているかはわからない。私は結局、恋愛的に桜を好きというわけじゃない……と思う。だから、私が絵に込めたい気持ちを掴めているとは思えない。


「わかんないか」

「かもね」

「じゃあ、恋人になる?」


 その言葉に、私は顔を上げた。なんて言ったのか聞き逃したかもしれない。聞き間違えたかもしれない。聞こえていたとしても、その言葉の真意をはかりかねる。私たちは疑似でも恋人だ、それを理解したうえでそう言ってくるということは──


「……どういう意味?」

「ふふ、考えとくんだなー。このデートが終わるまでに」

「いじわる」


 楽しそうに、桜は笑う。今の私には、それが演技か本心なのかわからない。周りには他の人もいるだろうし、演技だとは思うけど。また手を繋いで一緒に歩いて、イルミネーションを回る。カップル向けのエリアということもあって、派手でロマンチックな装飾が多かった。バラをモチーフにしたイルミネーションだったり、ピンク色のハートを模したイルミネーションだったり。二人で写真を撮りながら、回っていく。一枚一枚、絵を描くみたいに丁寧に。

 ……恋人になろうって、何だったんだろう。その答えを、ぼんやりと私は出している。多分、疑似じゃなくて、本当の恋人になるって意味。だけど、コレが到底当たっているとも思えない。本当に、桜は私のことが好きなのだろうか。──逃避行をして、現実を見ようとしない私を? ぐるぐると、イルミネーションの光に相反するように思考が淀んでいく。本当に? という言葉がやたらと頭を駆け巡る。その言葉と同じ数だけ、否定する言葉が出てくる。


 「みのり」


 いつだって、桜が私を呼ぶ声は綺麗だ。声が綺麗だから、というのもあるけれど。柔らかい感じがして、私は好きだ。絵に没頭していても、桜の声でそっちに意識が向く。海羽先輩とはまた違う、人を惹きつける力がある。演技派の桜だからできる、人を魅了する力。


「なに?」


 平然を装って、私は返事をする。……装って? 私は、隠したいものがある? 自分のことすらわからなくなりながら、桜の目を見る。


「イルミネーション、一周しちゃったね?」

「そうだね」


 いつの間にか、一周していた。色々見たけど、もうそんなに経っていたとは。


「じゃあ、次、行こっか」

「……次?」


 桜の組んだスケジュールの、次。ショッピングモールはだいたい回った。それからこの時期限定でやっているイルミネーションも見たし、デートらしいことはだいたいやり終えたはずだ。あと、残っていることがあるとすれば──


「お泊り、今日、お母さんたちデート行ってるらしいから」


 ……残っていることがあるとすれば、その先くらいだろうか。


 □□□


 桜に招かれるがまま、私は彼女の家へと向かっていた。電車を使って、駅から歩いて……通学路を使うみたいに、いつも通り二人で歩いていった。お泊り……別に、このタイミングで誘われていることに対して何か思うところがあるわけじゃない。海羽先輩の家に泊まったときと同じだ。その時と、ほとんど同じことをするだけ。なんなら勉強をしなくて良いんだ。遊んだり、ちょっとお話して、それから寝るだけだ。

 私は、桜を意識しすぎている。友達なんだ。それくらいなら当然かもしれないが、過剰なのは違う。……ねぇ、桜、私は、変なのかもしれない。中学の頃から人とは違うと思ってた。悪い意味で、相容れない。高校になっても、それは変わっていないのかも。私は、あの頃から逃げることしかできていないのだから。

 舞い散るように、雪が降ってくる。大粒の白い花弁が、私の頬を撫でた。ホワイトクリスマス。一年で一度の特別な、雪化粧をした聖夜。やがて、桜の家についた。


「そういえば、初めてだっけ。みのりが私の家に来るの」

「まぁ……そもそも高校生の友達の家に行くのが初めてだよ。大体どっか別の場所で遊ぶでしょ?」

「みのりに遊ぶ友達いたんだ~?」

「……美術部の人たちね」


 遊ぶと言ってもあれは遊んでいたのだろうか……橘はバッティングセンターを探してどこかに言ってしまうし、山岸は近場の書店に直行。しかもそのまま本を買ってカフェにこもる始末。私は私で適当にふらついて写真を撮ったり二人を探すふりをして画材を探していたり……私が言えたことじゃないが、協調性が皆無だ。皆無というかマイナスだ。人と足並みを揃えて動けないとかそういう次元じゃない。いつの間にかいなくなっている。それを三人とも容認しているのがもっと良くない。誰も進んで改善しようと思わないし、自分に協調性が皆無なのを理解しているから誰に対しても指摘しようとしない。

 招かれるがままに、桜の家へと上がった。ふんわりとした優しい花のような匂い。桜と同じ匂い。


「おじゃましまーす……」


 何だか、初めて入る友人の家というのは気が引ける。声を潜めながら、桜の背中を見る。


「これからどうするの? リビングでテレビでも見るの?」

「んー、いや、私の部屋に行こう」

「え」

「ゲームとかもそこにおいてあるからね。あとお気に入りの漫画とか?」

「……桜って、結構ミーハー?」

「んー、まぁ、そうかも?」


 ゲームをやっているとか、漫画を読んでいるとか、そんな話ほとんど聞いたことがない。たまに「クリアできないー」とかぼやいたり、人劇漫画に反応するのを見たりはしたけど、結構集めてたりするのかな。桜と本格的に話すようになってから半年以上経っているのに、まだまだ私の知らない桜がいる。……それもそうか。だって、桜って演技の達人だし。演技派だし。でも、今日でそれも終わりだ。そろそろ、その化けの皮を剥いでやろう。私は──今成長している。自然に笑えるようにになってきたし、桜の本心も少しだけ理解できるようになってきた。

 階段を昇ってすぐに案内された彼女の部屋は、二人入ってもくつろげるくらい、広い部屋だった。テレビなんかは置かれてないけど、二人でゲームするくらいなら不便はなさそうだ。


「あ、先にお風呂入っていい? 外寒くて冷えちゃったから。着替えは……」

「私のを使っていいよ」

「泊まるって言ってくれれば持ってきたのに」

「いいのいいの。もともとそういう予定だったから」


 そういう予定って……どんな予定だ。友達に泊めさせて自分の服を着させる予定があってたまるか。じっと桜を見てみるも、ゲームに夢中みたいだった。


「着替えとタオルもらっていい?」

「両方とも脱衣所にあるよー。私の分もあるからパジャマ二着あるけど、小さい方着てね」

「誰が小さいんじゃ」


 そう言い残して、そのまま私はお風呂に入った。温かい。普段のお風呂よりもちょっぴり熱かったが、外を歩いて冷えている今は心地よかった。


「…………」


 黙っていると、色々な考えが頭をよぎっていく。今日だけで色々なことが一挙に起きた気がする。桜の本心が僅かだけどわかるようになった。桜と一緒にいると、楽しかった。……少しずつ、私の感情表現ができるようになっている。そのどれもが良いことだった。ホワイトクリスマス──まさか、高校生にもなってまでプレゼントがもらえるなんて。

 苦笑しながら、私は早めに風呂を出た。なんだか友達の家の風呂というのもむず痒くて、それ以上に桜を一人で待たせているのも悪いかもと思ったから。脱衣所のパジャマを確認すると、隣のものより一回り小さい服が置いてある。使い込まれているみたいだし、桜のお下がりか何かだろう。着てみると、それでも少し余裕があった。柔らかい、桜と同じ匂い。ぽわぽわとした感覚を残したまま、部屋へ戻る。


「ただいま」

「お、早かったねぇ」

「桜の家、お風呂の温度が高いから」

「そうかな?」


 ゲームをしていたみたいで、ベッドから起き上がる。ゲーム機を置くと、私と入れ替わるように部屋を出ていこうとする。


「除いちゃダメだよ」

「はいはい」


 桜が部屋を出たのを確認すると、私もベッドに入る。……友達だし、このくらいは許されても良いはずだ。楽しかったとは言え、ただでさえ出不精の私が歩き回ったのだ。流石に疲れた。お風呂の暖かさも残り、少しまどろむようになりながら部屋を見回す。桜らしいと言うか、より女の子らしい部屋だ。全体的に置いてあるものが可愛らしくて、三つくらい机の隣にぬいぐるみが置いてある。ベッドにも一つ。枕元にいたクマのぬいぐるみを手にとって、軽く叩いてみる。この子、桜と一緒に寝てるのかな。

 やることもなかったので本棚に置いてあった漫画を読む。暇だし。ちょうどいいだろう。早速一冊手にとって、読み始めた。恋愛ものの、甘いラブコメ漫画。


 □□□


 扉を開けた直後の衝動を、私は言葉で言い表せなかった。この後、何があるか──何をするか自分でもわからないから、念入りに身体を洗っていたらお風呂を上がるのが遅れてしまった。私が悪いのかもしれないけど、ちょっと、みのりは無防備すぎる。

 ベッドを見てみると、横向きで可愛らしい寝息を立てている天使がいた。比喩とかじゃなくて、本物の天使だ。フィクションに存在する天使が全てまがい物なのではないかと思えてくる。私がいつも寝る時に抱いているクマのぬいぐるみを抱きかかえて、顔の隣には漫画が開かれている。多分、暇つぶしに読んでいたら寝落ちしてしまったのだろう。

 無意識に、私は照明を落としていた。だって、みのりが起きたら可愛そうだし。でも真っ暗というのも足元がわからなくて危ないから、弱い照明は残す。自分を正当化する言い訳を用意しながら、私はベッドに近づいた。

 変なことをするつもりはない。起こす。けど、もっと近くで見ていたかった。じいいっと、近づいて彼女の顔を見る。まつげが長い。白い肌。そっと、起こさないように彼女の頬に触れた。お風呂上がりだから手も冷たくないはずだ。柔らかい感触がする。


「みのり……」


 どんな気持ちで、今日一日を過ごしたのか。山岸くんが告白をしたときなんか、私の方が緊張していた。未来の自分を見ているようで、あるいはあり得ない世界線の自分を見ているみたいで──私の恋なんて、実る可能性はほぼ皆無だ。そもそもみのりの興味は私に向いていない。まだ、絵に向いている。ほんの少しでいい。その”熱”が、私は欲しい。キャンパスに向ける刺すような鋭い視線。景色を見ているときの抱擁するかのような温かいまなざし。それが、私にも向けられたのなら──。

 私は、欲張りだ。見ていればわかる。みのりにとって、絵は彼女の半生だ。それを差し置いて、私を見てほしいなんて。


「でも、ちょっとでいいのに……」


 みのりの髪を撫でながら、呟いた。本当に少しでいいのだ。欲張りなのはよく分かっているけれど、欲深いつもりはない。お互いに譲歩できる最低限を望んでいる……はず。


「桜?」


 小さく、みのりの声が聞こえた。ふと顔を上げると、目線が交わる。眠たそうに細く目を開けていた。そっと、みのりの手が私の頬を撫でる。


「ん……ありがと。寝落ちしてたから、電気消してくれたんでしょ。起こしてくれてよかったのに」


 ずるい。そんなに寝てないだろうに、みのりの甘ったるい声が私の耳に入り込んでくる。ぐっと湧き出てくる感情を、演技で取り繕う。しかし、みのりの手が更に伸びて耳をこねくり回してきた。


「ふふ、私、耳好きなんだよね。かわいい」

「そ、う……」


 形を確かめるみたいに、私の耳を撫でてくる。演技なんて言ってられなかった。ギリギリで保っているけれど、恥ずかしさとみのりに抱きつきたい衝動が今にも表出してしまいそうだった。


「恥ずかし?」

「別に……」


 演技は、得意だ。私にとって手足も同然。手指を動かすように表情筋を動かし、俳優や女優といったプロにも遜色ないほどになっている自負がある。それも、みのりの前だと無駄だ。こんなに強い気持ちを抑えきれるほど、私は強くない。虚勢を張ってみたけど、みのりがにまにまと笑っているところを見るに隠しきれていないみたいだった。

 ……それでも、今日は、今日だけは私がみのりより優位に立ちたい。みのりをドキドキさせたい。みのりに私を意識させたい。私を──見てほしい。

 その覚悟を嘘にしないため、私は顔をみのりに近づけた。彼女が避ける様子がない。ええい、ままよ。ヤケになりながら、私は久しぶりにみのりにキスをする。軽いキス。だけど、長い。今までしてこなかった分、口づけをする。ついばむように、長く。


「キス、久しぶりだね。自分を許せるようになったのかな?」

「それ、は、まだだけど」


 やっぱり、まだ受入れてくれるのか怖いというところが大きい。私の本心──みのりに対する気持ちとか、それだけじゃない。いい子を演じない、そんな私。それを受入れてくれると、私が信じられていない。


「あの時、さ」


 みのりは、小さな声で話し始めた。


「桜、言ってたよね。どこまで受入れてくれるのか、そういうのがわからないって」

「……うん」

「私も、無責任なことは言えないからって……何でも受け入れるとは言わなかった」


 ありがたかった。そこで、何でも受け入れると言われてしまうと、軽く感じてしまうから。だから、あれもみのりの配慮だと感じられて、嬉しかった。


「無責任なことを言いたくないって言うのも本心だけど……多分、あの時の私はまだ準備ができてなかったんだろうね。本当に全部受入れられるのか、怖かったんだと思う。だから、あんな言い方をした」

「……うん」

「今なら言えるよ? 私、桜のこと、何でも受入れてあげる。それが、どんな嫌なことでも。多分、桜がやることは、意味があるだろうから。私にとって、価値があるだろうから」


 それは、暗にこの先の行為を容認しているようで──そして、それは……。


「だから、桜……」


 みのりの手が伸びてくる。頬を撫でられて、彼女の顔が迫ってくる。また、キスをするんだ。……でも、それじゃダメなんだ。


「みのり」


 名前を呼んで、彼女の手を取る。軽く引っ張るみたいにして、その勢いで私がみのりの上に乗った。体重がかからないように注意だけして、真正面から、真上から、私はみのりの目を見る。


「みのり」

「うん」

「……みのり」

「なぁに」


 いろんな感情が入り混じる。色々な葛藤が入り混じる。それでも、看過するわけには行かなかった。みのりは、よく考える子だ。私が一つのことを考えている間に、十のことを考えている。その思考の積み重ねが、多分彼女の絵を強くしている。葛藤と、後悔と、諦念。みのりの中からは、そういう悲しい色が何個も見える。


「──隠してること、あるでしょ」


 だから、私にはわかる。今日のデートで、明確に顔色が変わった瞬間があった。みのりは何度もその悪感情を排そうとしていたみたいだけど、時折その悲しい色は顔を出していた。

 さっきもそうだ。私を受け入れると──多分、それは本心だ。顔を見ればわかる。それでも、私を煽るようなことを言っているのは、何か違う。みのりが”したい”と思って言ったことじゃない。急かされるように、焦らされるように、そんな雰囲気を感じた。


「私に、隠してること、あるよね。何か、また抱えてるでしょ。……そりゃ、私が言えたことじゃないかもしれないけどさ、みのりが私の悩みに真正面から付き合ってくれたみたいに、私だってみのりの悩みに付き合ってあげたい」

「まだ、私は桜の悩みを解消できたわけじゃないけどね」

「でも、楽になった」


 そろそろ、私は本心をさらけ出したいと思っている。海羽先輩の家に泊まったときも、危ない橋を渡った自覚はあるが、それ以上に得られたものの方が大きかった。いい加減に、自分の気持ちに決着をつけるべきだという覚悟が生まれてきている。まだ、ほんの少し足りないだけ。もう少し。そのためには、みのりが普段通りの状態でいることが絶対条件なのだ。


「……桜には、わからないよ」

「なんで」

「これは、私の問題だから」

「わかるかもしれないじゃん」

「ううん。そうじゃない。だって私は……桜よりもずっと、ずっと……」


 言い淀んで、静寂が訪れた。空間に残る耳鳴りにも近い音が、うっすら聞こえる。やかましいとすら思えた。数秒の逡巡を経て、再度みのりは口を開く。


「私は……不出来な人間だから」


 それしか、言えないかのように。それしか、言うことがないかのように。一言残して、みのりは並行してしまった。あの時の私とも違う感情。海羽先輩の家での私が抱いていたのは──葛藤。俯瞰すると、わかりやすい。本心をどこまでさらけ出して良いのか、どこまで受入れてくれるのか。そういう葛藤と、不安。だけど、今のみのりにはそれがない。不安も、葛藤もない。あるのは──諦念。どこまでも広がる、諦めの感情。


「どうして、そう思うの」

「私は、現実に生きてないから。いつだって私は、向こうの景色を見ていた。現実を見ているようで、私が見ていたのは幻想のレンズをはめ込んだ色眼鏡。青い空も、白い雲も、行き交う人々も、私にとっては色とキャラクターだった」


 遠い目をして、みのりは答えてくれた。だけど、私には到底理解できるものじゃなかった。人が見ている景色は、個々人によって変わる。とりわけ私が見ている景色は、みのりとかけ離れすぎている。……だからといって、それがみのりに寄り添わない理由にはならない。私にはこの目がある。みのりが褒めてくれた、人を見る目。私には積み重ねてきた時間がある。無視できないくらいの、長い星霜。


「みのりは、みのりが思っているほど不出来じゃない」

「不出来だよ。欠陥だらけ」

「……私を煽るようなことを言ったのは、なんで」

「決めたかったの。自分の、立ち位置を。あるいは在り方を」


 時々、みのりは難しい言葉を使う。単語そのものの難しさの話じゃない。みのりが使う言葉は、言葉以上の意味が込められている。「空が青いね」なんて言ったのなら、それは突き抜けたような清々しい気分だね、なんて。そんな意味が入っていたりする。時々、みのりは言葉足らずとも言えるのだ。だから、読み解かなきゃいけない。みのりの、言葉を。絵を通して紡がれていく、その絵画を読解しろ。


「……ごめん。本当に。桜の気持ちも痛いほどわかる。私は言ったよね。桜の全部を受け入れるつもりだって。許していけるようになろうって。多分、桜もおんなじ気持ちだ。わかる。わかるの。今は……わかって、きてるの」


 それは、彼女の本懐のはずだ。人の気持ちをわかるようになりたい。人の気持ちを発露できるようになりたい。人の気持ちを表現できるようになりたい。それができるようになってきている予兆がある。それなのに、こうして苦しんでいるのは──二律背反。人の心の常。相反する、二つの感情。陰りだ。照らされた自分の気持ちに、陰が落ちているんだ。

 ──でも。


「それじゃ、ダメなの。私は、本当に最低な人間だ」


 その言葉の奥を知るほどの勇気が、私にはなかった。みのりが、泣いている。珍しくて、可哀想で、ほんの少し、愛くるしい。守ってあげたくなる。そのためには、みのりの心の奥に踏み込む必要がある。

 ──人の本心を、掴む。それは、過去にやってしまった私の後悔。ノンデリカシーな行為。すくむ脚が震え、言葉を出そうとする唇が動かなかった。私は、何もできない。これ以上は、私は私を克服する必要がある。あくる日の拭えない後悔を。


「絶対に、最低なんかじゃないから」


 なんとか自分から絞り出した言葉が、力強いもので安堵した。これだけは、伝えたいと思っていたから。強く、私はみのりを抱きしめる。耳元で、すすり泣く声が小さく聞こえた。押し殺すような喉の動きが、きゅうと音を立てている。鼓動も伝わってくる。

 ホワイトクリスマス。奇跡の一夜。その幕引きは、みのりの涙だった。ああ、サンタさん。もしかして、私が悪い子だから今年のプレゼントはこんなにも残酷なものなの?

 誰に言うでもなく、窓の外に舞う雪たちに問いかけた。窓に、光るものが映ったように見える。

少し早いけどメリークリスマスです。

なんだか佐伯先輩の家での話が最近に感じるから、こんなことしてばっかりにも見える。

とはいえ、こういうの書いていきたいので書きます。

クリスマス+投稿遅れにより増量してます。

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