夏のかけら
七月の終わり、蝉の声が遠ざかってゆく夕暮れ。
僕と奈央は、古い神社の境内に腰を下ろしていた。蝉の抜け殻が柱にくっついていて、どこか懐かしい気持ちになる。
「ここ、なんだか懐かしい気がするんだ」
奈央がぽつりとつぶやいた。
僕たちは付き合って一年目。だけど彼女は時々、妙なことを言う。
昔来たような気がするとか、誰かを待ってる気がするとか。
今までは曖昧に笑っていたけれど、このときだけは違った。
奈央の目が、夕日に照らされて、泣き出しそうだったから。
「ねえ、もしも……」
奈央は小さな声で言った。
「もしも、私が前にこの場所で、誰かと約束してたら、どうする?」
僕は冗談だと思ったけど、言葉に詰まった。奈央の声があまりに真剣で、胸の奥が締めつけられるようだったから。
「会いに来てくれるって言ったんだよ」
「……誰が?」
「……きみが」
彼女はうつむいて、震える手で自分の胸元を押さえた。
その手には、いつもしているペンダント。中には古びた写真が一枚だけ入っていた。
そこに写っていたのは、10歳くらいの女の子と、同じくらいの年の男の子。
笑いながら、神社の前で手を繋いでいた。
「私、ずっと忘れてた。でもね、この夏になって、急に思い出したの。
私、前に生きてたとき……この神社で、きみのことをずっと待ってたの」
「それって……」
「わたし、あのとき、病気で……先にいっちゃったんだよね」
「――奈央」
「ごめんね。もう少しだけ、一緒にいたかったなって、今でも思うの」
そう言って、奈央は微笑んだ。
どこか、泣きたいような、でも許されたような、そんな顔で。
その瞬間、風が吹き抜けて、蝉の声が止んだ。
そして――奈央の身体が、ふっと、溶けるように僕の目の前から消えた。
手の中には、あの写真とペンダントだけが残っていた。
僕は気づいた。
彼女は、ようやく前世の想いを終わらせて、旅立っていったのだ。
やっと、約束を果たせたのだと。
だけど。だけど僕は――
「奈央……もう一度、出会えたら、今度は最後まで一緒にいような」
返事は、蝉の声にかき消された。
僕は一人、夏の終わりに取り残された。