ガス灯
三題噺もどき―ろっぴゃくはちじゅういち。
視界の端にガス灯が揺らめく。
柔らかな光はこの目にも温かく映る。
暗闇を見ることが当たり前であると、光というのは痛々しく目に残るのだ。
それでも、このガス灯だけは、夜にあってくれてよかったと思う。
「……」
真っ暗な道には、自分以外誰もいない。
私の足元には、影は出来ない。
だから尚更、一人だと見せつけられているような気がしてならない。
「……」
レンガ造りの道の先には、ただぼんやりと照らされた暗闇が広がるだけ。見えるはずのその暗闇の先が、どうにもうまく見渡せない。
柔らかなオレンジ色が、点々と照らすその道は、見覚えのない道だった。
周囲には、二階建ての建物が軒を連ねている。
どれもこれもレンガ屋根の家で、住民はきっと深い眠りについている頃だろう。
頭上に光る満月は、彼らの夜を静かに見守っている。
「……」
彼らの夜は、とても穏やかでいいものなのだろう。
朝起きたときに、いい一日を過ごせると思えるような、素敵な夜なのだろう。
眠っていても、怒られない、脅されない、意識を失くした時の恐怖がないのだろう。
私は、それが、酷く羨ましい。
「……」
朝になっても眠れず。
夜になっては怯えて。
体を引きずりながら、ようやく逃げてきたのに。
けれど、私はどうして、ここを歩いていたのか。
「……」
どこか頭の隅では、見覚えのないこの道に違和感があるのだけど。
足を小さく引きずりながらも、その道を進んでいた。
時折ふく風は酷く冷たく、指先の感覚がないことに今更気づいた。
ただでさえ死んでいる体だから、こういうことには気をつけなさいと言われていたのに。
―誰に言われたんだろうか。
「……」
ふと、足元をみると、なぜか裸足で歩いていた。
そりゃ、怪我もするわけだ。不死身というのは、治癒力が少々高いだけで、怪我をし続けては意味がないと言われもしたはずだ。怪我をしたなら、大人しくしていなさいと。
あれこれと、生きるための術を口すっぱく言われていた。
―誰だったかな。
「……」
衣服は所々が破けている。
その隙間からも風が入り込み、全身が冷えていくのが分かった。
元より死んでいるのだから大丈夫だと言ったら、何も大丈夫じゃないと言われたのに。
―誰だろうか。
「……、」
思考と体の妙な違和感に、気づかぬうちに足が止まっていた。
そこに、ぽつり、と雨が降ってきた。
一粒一粒、体にシミを作っていくそれは、もとよりない体温を奪っていくには充分だった。
「……」
体が動かなくなっていくのが分かる。
ジワジワと近づく死のような何かに、思考が怯える。
震えこそしないものの、どうにかしなくてはという焦燥に駆られる。
「――」
無意識に開いた口は、何を叫ぼうとしていたのだろう。
空気が漏れるだけで、何も発せなかったその叫びは。
「―風邪をひきますよ」
一つの影が答えてくれた。
影は、ガス灯に照らされた大きな傘だった。
雨をしのぎ、影で私を覆い、何かから隠そうとしてくれているようだった。
「……」
「―今日はチーズケーキを焼きましたよ」
どこか的外れなその発言に、なぜか救われた気がした。
影から伸びた大きな手に、惹かれるように手を伸ばし。
私は、そこで、目が覚めた。
「仕事中に寝るなんて珍しいですね」
「……あぁ、うん。なぜだろうな」
「疲れてたんじゃないんですか」
「……そうかもな、変な夢も見たし」
「ちゃんと休んでくださいね」
お題:ガス灯・チーズケーキ・雨