第八話
小走りで一階まで下りて、正面玄関から校庭だった場所を突っ切りかまぼこ型の体育館に向かう。二人がうず高くなった土の場所に近づくにつれ、重苦しく悲しい空気が漂ってくるのが判った。
渚と惇哉がその前に来ると、そのうず高くなった土は時間こそ経過していたが、人工的に盛り上げられたもので、突き刺さった細長い木の板にはそれぞれ『森田幸太郎ここに眠る』『秋山祐樹ここに眠る』と油性マジックで書かれていた。
「噓でしょ」
渚は自分の顔から血の気が引いて、冴えていた頭がぼやけてゆく感覚を覚えた。森田も秋山も、特別親密にしていた男子生徒ではなかったが、間違いなく渚にとって同じ中学時代を過ごした友人だった。その二人が、異世界に転移した学校の片隅で、永遠の眠りに着いているという事実は、渚にとってはあまりにも衝撃的であったし、悪夢なら終わって欲しいと思わせるだけの痛みがあった。
渚が当然の出来事に打ちひしがれていたが、惇哉だけは被っていた迷彩柄の作業帽を外して手を合わせた、それに気づくと、渚も慌てて被っていたキャップを外し、眠っているクラスメイト二人に対して手を合わせた。渚は手を合わせたが、彼女の中には森田と秋山という生徒が一体どのような人間で、自分とどんな関わり合いがあったのかを思い出そうとしたが、思い出せなかった。一緒に同じ教室で同じ授業を受けたのに、三年間という時間は、これほどまでに人間の記憶をあやふやにしてしまうのだろうかと思った。
「どうやら、ここで秋山と森田は死んで埋葬されたらしいな」
惇哉が冷静に、感情的にならないように感想を述べた。
「誰がやったのかは分からないけれど、二人が埋葬された時はまだここに誰かが居たんだよね?」
渚が惇哉に質問した。
「恐らく、そしてここが危険だと判ったから、学校を離れてどこかに行った。と考えるのが妥当だな」
惇哉は簡単に答えた。そして識別帽を被り直して、こう返した。
「ここに誰もいないと判った以上、何時までも居ても仕方ない。バックパックを回収して、次へ行く場所を決めよう」
惇哉が提案すると、渚は彼と共に学校を離れて、バックパックを置いたままにしている転移装置へと向かった。校庭を突っ切り、校舎のエントランスを抜けて、反対側に出ると、惇哉は来た時とは何かが変化しているのを察知して、89式小銃を構えて安全装置を解除し発射モードを三点射に切り替えた。
「どうしたの?」
「何かが変だ」
渚の質問に惇哉は即答した。その彼の真剣な眼差しに、渚は自分達に危険が迫っている事を感じた。
渚は惇哉の背後に隠れ、周囲に何か異変が無いか神経をそばだてた。森田と秋山を永遠の眠りに着かせた原因が、近くに潜んでいるかもしれなかったからだ。
校門を抜けて慎重に一歩一歩、バックパックを置いた地点に進む。すると、バックパック置いたあたりに、恒星の光を鈍く反射する、灰色に近い謎の物体が蠢いているのが見えた。二人が身構えると、その灰色の物体はゆっくりと動いて、二人に正面を向けた。二人の前に現れたのは、クマの肉体にオオカミの頭を取り付けたような、恐ろしい見た目の異世界の猛獣だった。動物園でしか猛獣と向かい合ったことのない渚と惇哉にとって、野生の、それも異世界の猛獣と向かい合うなど初めての体験だった。
猛獣は真っ黒な瞳をじっと二人に合わせた。渚と惇哉も猛獣と目を合わせたが、瞳の奥にある恐怖を隠す事は出来なかった。
「威嚇するから、耳を塞いで!」
惇哉はそう叫ぶと同時に、89式小銃を天に向かって三点射した。突然三発鳴り響いた銃声に驚いた渚は尻餅をついてしまった。そして二人を睨んでいた猛獣は、二人に隙が出来たと見たのか、二人に向かって突進を始めた。その瞬間、惇哉は自分の判断が間違っていた事を悟った。
「まずい、逃げろ!」
惇哉は再び叫ぶと同時にすぐに照準を怪物に合わせて、二回、89式小銃を三点射で猛獣を撃った。弾はすべて命中して血を出させたが、致命傷には至らなかったようだった。同時に渚も慌てて背中を向けて走り出したが、これでは逃げ切れないのは判っていた。さらにもう一度89式小銃を三点射で撃つと、少しダメージが入ったのか一瞬猛獣がひるんだ。しかしそれでも猛獣は倒れず、あっという間に間合いを詰めて鋭い爪と牙をむき出しにして惇哉に飛びかかってきた。惇哉が反射的に身をかわすと、猛獣の爪が惇哉の迷彩作業帽のつばが猛獣の爪に引っかかって飛ばされたが、何とか惇哉は身をかわす事が出来た。かわした後、惇哉は銃を構えなおして反撃体勢を取ろうとしたが、それよりも早く着地した猛獣が惇哉への攻撃態勢を整えた。間に合わない、殺されると直感した惇哉は思考が固まって、自分が何も出来なくなったことを直感したが、その瞬間、一本の太い矢が、猛獣の首筋に当たって、89式小銃の弾を撃ち込んだ時よりも多くの血を猛獣から噴出させる、その瞬間、馬が猛スピードで地面を駆ける音と、若武者のような男の叫び声が聞こえてきた。
惇哉がその方向を振り向くと、馬に乗った一人の男が剣を抜き、馬から飛び降りて、着地と同時に猛獣へ一太刀を浴びせる、胴体に一太刀を浴びせられた猛獣は自分に攻撃を浴びせた剣士の方を振り向いたが、剣士は木の葉返しのように猛獣の首筋に一太刀を入れた。首の半分以上を切られた猛獣は、頭に血液を送りこむことが出来なくなり、赤い血を吹き出して地面に倒れた。猛獣の血が地面にしみこんでゆく光景を見て、惇哉は自分が生きている事を始めて実感した。