第五話
二日後、渚は自分が異世界へ持ってゆく荷物を自分用の荷物をエイプ一〇〇に乗せて、市立第三中学校跡地へと向かった。自分のスマートフォンをハッキングしてくれた自衛隊の配慮だったのか、「エイプに乗って三日間一人旅に出る」という内容にしてくれたおかげで、それほどアルバイト先や家族に不信感を抱かれなかったのは、渚にとって幸いだった。
「女の子の一人旅だなんて、本当に大丈夫なの?」
出発前、渚の母親は不安そうな表情で渚に声を掛けた。後ろ髪を引かれるような気分になった渚は、母の顔を見ずにこう答えた。
「大丈夫だよ。もう十八歳だし、全部の責任は私一人で背負わないといけない年齢なんだから」
渚は言い訳がましい返事を返すと、エイプにまたがって家を後にした。空はどんよりとした曇り空で、三年前の消失事件と似たような空模様だった。
フェンスで覆われた市立第三中学校跡地にたどり着くと、一般人の服を着た陸自隊員に中に入るように促された。消失から三年が経ち、むき出しになった地面には雑草たちが生い茂り始め、傷ついた部分を癒そうとする自然の力が働いているのが判ったが、人間の心の傷を癒すのは何らかの行動が伴わないと働かないのはコストパフォーマンスが悪いなと渚は思った。
渚はエイプを降りて、設営されたテントに向かった。テント内に設けられたテーブルには転移装置を制御するためのコンピューターや電子機器が設置されていた。周囲を見回すと、設営されているテントは自衛隊の物で、設置されている機材や機器も民間の物ではなかったが、機材を運んで来たらしいトラック数台は県外の『わ』ナンバーのレンタカーだったし、出入りしている自衛隊も、迷彩服ではなく私服だった。
「やあ、来てくれたんだ」
少し戸惑う渚に、背後から惇哉が声を掛けた。渚が振り返ると、陸上自衛隊の迷彩服に身を包み、サスペンダーと弾帯を着けた惇哉が立っていた。任務に赴くために必要な装備を身に付けていると、より自衛官らしさが増すのだなと渚は思った。
「武器を持っていくの?」
「ああ、何があるか分からないからね。でも、高等工科学校の生徒は任務に参加できないから。階級章は身に付けていないけれどね」
惇哉はそう答えて。襟章の付いていない迷彩服の襟を渚に見せてみた。自衛官であっても自衛隊の仕事をしている訳ではないのが、今の惇哉の状態なのだろうかと渚は思った。
「これから最後の説明があるから、一緒にテントに来て」
惇哉に促されて、渚は彼と共に指揮所らしいテントに向かった。灰色に近いOD色のテントに入ると、そこには岡谷と科学技術庁の桐野が、設けられたパソコンの画面を見て何か確認している様子だった。
「新田生徒以下一名、到着しました」
惇哉が自衛官らしく岡谷に敬礼すると、ジーンズにパーカーというラフな格好の岡谷も敬礼で答え、「ご苦労だった」と漏らした。
「よく来てくれた。こっちに必要な装備がまとめてあるから来るように」
岡谷がそう言って二人をテントの奥に案内しようとすると、惇哉以外全員私服である事に疑問を感じた渚は岡谷にこう質問した。
「何でみんな普通の服なんですか?」
「自衛隊が活動しているのがばれないようにするためさ。用心に用心を重ねて、ここに乗り付けているのは、レンタカーとメンバーの自家用車だ」
「じゃあ、非公式の任務っていう事なんですか?」
「一応な。自衛隊の活動記録には残らないが、今回の作戦の為にトータルでF‐35Bステルス戦闘機一・五機分の予算が掛かっている」
岡谷は今回の作戦の概要を簡潔に説明すると、中身がパンパンにパッキングされているであろう、陸上自衛隊の背嚢が二つ、そして山登りやハイキングの人間が身に付けるような、多機能ベストが一着用意されていた。
「この中に、三日分の糧食と水が入っている、あと防寒シートや応急処置用の医療キットもな。君は、何か持ってきたのか?」
岡谷は渚が抱えているリュックサックを見て、彼女に質問した。
「スマホのモバイルバッテリーと、あといろいろ」
大したものは入っていないだろうと思ったのか、岡谷は軽く鼻を鳴らした。
「それと、今回島原君に身に付けてもらうものがある。こいつだ」
岡谷はそう言って、背嚢の隣にある多機能ベストを手に取った。
「これにはウェアラブルカメラやポケットナイフ、緊急用サバイバルセット等が仕込んである。防弾ではないが、一応防刃素材で作られているぞ」
岡谷はそう説明して、渚にベストを手渡した。
「ウェアラブルカメラが付いているんですか?」
渚は手渡されたベストを疑り深い眼差しで確認しながら、ベストの左肩部分についているカメラのレンズを見つけた。
「そうだ。これは異世界の様子を映像として記録するためだ。バッテリーは丁度七二時間持つ。それと、このスマートウォッチも身に付けろ。転移装置までの距離とタイプリミットの時間が表示される。頼んだぞ」
岡谷の追加説明を受けながら、渚はベストを身に付けた。
出発の準備が整うと、惇哉と渚は転移装置の元に向かった。空を見上げると、上空には転移した時と同じ紫色に近い雲が上空を覆っていた。
「気象条件を同一にする為に、気象庁やヘリコプターの部隊まで動員したんだ」
迷彩柄の作業帽を被った惇哉は上空を見上げる渚にそう説明した。渚が惇哉を見ると、彼が89式小銃と、レッグホルスターに9ミリ拳銃を刺している事に気づいた。
「あんた、銃を持っていくの?」
「ああ、どんな事が起こるか分からないからね。もちろん、実弾も一八〇発と、手りゅう弾も持っていくよ。転移時に大きな音が鳴るそうだから、耳栓を着けて」
惇哉は自分が持つ武器と弾薬について説明すると、渚に耳栓を着けるように促した。何か起こるか分からない場所へ向かうのに用心は越した事は無かったが、本物の武器を持ってゆくとなると、渚は自分が恐ろしい仕事を引き受けた事を改めて実感して、背筋が寒くなる感覚を覚えたが、いまさら逃げ出す事は出来なかった。
「それじゃあ、始めるわよ」
装置を管理するテントに居た桐野が指示すると、転移装置のアンテナが紫色に近くなった雲に向かって開いた。ガチャっというアンテナがロックされる音が渚の耳に伝わると、渚には自分の精神と運命を縛る拘束具の音のようにも思えた。
「もうすぐ始まるわ。二人は衝撃に備えて、カバーを被って」
桐野の指示に従って、渚と惇哉はエネルギー派を防ぐシートを被った。それと同時に、作戦指揮官の岡谷がカウントを取り始めた。
「装置作動までの秒読みを開始する。10、9、8、7、6……」
カウントが五秒を切って、ゼロになると同時に、激しい稲妻が装置に落ちて、激しい音と共に周囲の視界が真っ白になる。しばらくして岡谷と桐野が目を開くと、渚と惇哉の姿は転移装置ごと消失していた。
「無事に帰って来いよ」
岡谷はそう漏らした。
(この後、第二部に続く。)