第四話
渚と惇哉を乗せたプジョーは二人の地元を離れて、国道を北に走った。やがて左折して賃貸マンションや家電量販店、大手のリサイクルショップ等が抜ける界隈を抜けると、渚の住む街から一番近い陸上自衛隊の駐屯地へたどり着いた。もう夕方になり、駐屯地も他の街の施設と同じように一日を終えようとしていたが、渚たちが向かう場所は違う様子だった。
門番の隊員が突入防止用のゲートを開けると、渚は突然、後部座席の藤原から黒い袋をかぶせられた。
「何!?」
驚いた渚は叫んでしまった。
「ごめんなさい、細かい場所を知られては困るのよ」
藤原がそう説明すると、岡谷の運転するプジョーはわざと駐屯地内を無駄に走って、方向感覚を分からなくした。視界を奪われた上にあちこちを走り回られたせいで、渚は気分が悪くなりそうになってしまったが我慢した。
ようやく車が止まると、先に渚以外の乗っていた人間が降りた。助手席のドアが開き、シートベルトが解除されると、惇哉が渚にこう言った。
「袋は被ったまま車を降りたら、俺の手を掴んで」
惇哉に言われるがまま、渚は車を降りて姿は見えないが惇哉の手を取った。非常に特殊な状況だったが、車から降りて異性に手を取られた経験は渚にとって初めてであったし、また惇哉も異性の手を取ったのは初めてだった。
渚は袋を被ったまま、惇哉にエスコートされて駐屯地内を歩いた。テロ容疑者のような服装で同級生に手を取られて自衛隊駐屯地内を歩くなど、簡単に起こる事ではないが、通っていた学校が消失した経験を持つ二人からすれば、些細な体験に過ぎなかった。
惇哉にエスコートされながら進むと、二人分の硬いブーツの靴底が規則正しく音を鳴らして、正面を開けた。衛兵が招かれる扉を守っているのだろうと渚は直感した。扉が開くと、渚は自分が特別な部屋に入った事を感じ取った。
「新田、袋を取ってやれ」
岡谷の指示で惇哉は渚に被せられていた袋を外された。ようやく袋を外された開放感と、急に入ってきた天井の明りのせいで、渚は不快感を覚えた。
「大丈夫?」
惇哉が不安げに訊いた。
「大丈夫」
渚は気丈に振舞った。文句の一つくらい言いたかったが、我慢した。
頭が落ち着くと、渚は周囲を見回した。意外だったのは案内されたのは大型モニターや複雑な電子機器等が立ち並ぶ宇宙観測室のようなオペレーションルームではなく、警察の取調室のような、事務用のテーブルとパイプ椅子がある殺風景な部屋だった。目につくものと言えば、テーブルの上にあるタブレット端末と、白衣を着た科学者らしい眼鏡の女性がいるくらいだった。
「よく来たわね、二人とも座って」
眼鏡に白衣の女性は、二人分用意されたパイプ椅子に座るよう渚と惇哉を促した。二人は促されるまま椅子に座った。
「自己紹介がまだだったわね。私は科学技術庁の桐野沙由美。よろしく」
「私たちの通っていた学校が消えてなくなった理由が判ったんですか?」
渚は臆することなく桐野に質問した。桐野は無礼な小娘を見るような眼差しを渚に送ったあと、小さく溜息を漏らしてこう続けた。
「まずは、手元のタブレット端末を見て頂戴」
桐野は渚と惇哉にテーブルのタブレット端末を見るように促した。
「三年前、市立第三中学校が消失した時、地球に大型彗星が接近するニュースがあったわよね?」
「未観測の、人類が未だに把握していない彗星だったんですよね。でも大騒ぎした割には、日本は昼間だったし曇り空だったから興味のない人間が殆どだった」
惇哉は少し興奮気味に、桐野の言葉に応えた。高等工科学校でも、超常現象や天文学に関する講義や授業があるのだろうかと渚は思った。
「そう、でもあれは彗星じゃなかったの、次元の隙間だったの」
桐野はそう言って惇哉をなだめると、持っていたタブレット端末を操作して、ある画像を表示させた。表示された画像は真っ黒い宇宙空間の中に、紫色に染まった、大きな引掻き傷のような空間が表示された画像だった。
「宇宙は複数あって、別々の次元、時間が流れているっていう説があるんだけれど、三年前に観測されたのはそれを証明する〝次元の裂け目〟だったの」
呆然と画面を見つめる渚と惇哉に、桐野はさらに続けた。
「観測された情報を元に、自衛隊の宇宙観測隊やJAXAの情報を分析した結果、この宇宙と同じような空間が、裂け目の向こう広がっている事が判ったの。つまりこの裂け目の向こう側に、いわゆる〝異世界〟と呼ばれる空間がある事が判明したの」
桐野は躊躇することなく、〝異世界〟という言葉を口にした。異世界など、ネット小説や配信のアニメでしか聞くことのない言葉だと思っていた渚には、にわかには信じられない言葉だった。
「そして三年前と同じ現象が発生して、次元の境目に最も地球が接近して強力な電気エネルギーが発生して転移できる状況が、今日から二日後に発生して、三日間持続することが判明したの。あなたたちには、その異世界への調査に行って欲しいの」
桐野は絵空事のような言葉を淡々と続けた。渚は普段なら絶対に信じないような内容だったが、今自分が置かれている状況がそれを真実だと伝えてきた。
「調査って、どうやって」
渚は初めて桐野に質問をした。
「あの時、奇妙な雲が空を覆って雷が校舎に落ちたのが確認されたわ。それを今回は人工的に発生させて、空間の切れ目がある時にまた戻って来る事が出来る装置を開発したの、タブレットの画像を見て」
桐野が自分のタブレットを操作すると、渚と惇哉の手元にあるタブレットが異世界転移装置の画像を表示した。それは陸上自衛隊のOD色に塗られた、大型のビーチパラソルの骨のような装置だった。
「これが科学技術庁と防衛装備庁が開発した次元転移装置よ。行きは外部電源、戻りは内蔵された新開発の超電導バッテリーとコイルで作動するわ。これであなた達を転移させる」
「すごい」
惇哉が感想を漏らした。
「転移装置のペイロードは多く見積もっても二五〇キログラム。あなた達二人と三日分の装備と食糧で一杯ね」
「装備を放棄すれば、他の人間も運べますか?」
惇哉が質問した。
「保証は出来かねるわ、内臓電池は外部電力よりも出力が落ちるから、一七〇キログラム前後のペイロードしか運べない」
「そうですか」
惇哉は残念そうに俯いた。
「異世界に転移した友達を、こっちの世界に引き戻したい気持ちは判るわ。でも、まだ彼らの生存が確認できたわけではないから、まずは自分たちが生きて帰る事を優先して」
桐野の言葉に惇哉は黙ってしまった。渚にも、彼の気持ちは痛いほど判ったが、一緒になって懇願する事は出来なかった。
「私からの説明は以上です」
桐野がそう言って説明を終わらせると、背後に控えていた岡谷がこう告げた。
「この装置を使っての作戦実行は明後日、一〇:〇〇時。作戦指揮官はこの俺だ。島原さん、君のお母さまと仕事先にはこっちから連絡を入れてある」
「ちょっとそんな、自衛隊から連絡が入ったら……」
「大丈夫だ。機械で君の音声を模して、君のスマートフォンから連絡を入れてある」
岡谷が得意げに話すと、渚は昨日惇哉にメッセージアプリの登録を行った事を思い出した。渚は惇哉の事を見たが、惇哉は申し訳なさそうに「ごめんね」と漏らすだけだった。
「明日には君の銀行口座に前金を振り込んでおく。二日後までに準備を整えておいてくれよ。作戦当日の朝、君は消えた市立第三中学校跡地へ来るように、中田、島原さんをパチンコ屋跡地まで送ってやれ」
岡谷が告げると、渚の背後に控えていた中田が彼女に立つよう促した。こうして渚の異世界行きは、ほんの数分で決められたのだった。