第三十話
翌日、廃屋の中で眠りに着いていた真一は、焚火の燃える匂いで目が覚めた。暖を取るために身体に覆ったボロ布と枯草を剥いで外に出ると、昨日調理した竈で鍋を火にかけ、湯を沸かしているのが見えた。その隣では、優佳と美幸が火の番をしていた。
「おはよう」
寝ぼけ眼で真一は二人に声を掛けた。気づいた優佳は真一に振り向いて「おはよう」と答えた。
「よく眠れた?」
「一応は、お湯を沸かしているのは、朝ごはんでもあるの?」
「違うわ、身体を拭く用のお湯、早起きした人はみんな朝の水浴びに川に行っているよ」
美幸が答えた。その言葉に真一は「水浴びか……」と意味ありげに漏らすと、割って入るように優佳がこう訂正した。
「一応男女の時間を決めて入っているよ、今は男子の時間がもうすぐ終わって、女子の時間になるから、長尾君は次の次ね」
優佳の説明を聞いて、真一は言葉を濁す様に頷いた。
真一は女子たちの水浴びの後川で水浴びをして、沸かした湯で温めたタオルで身体を拭くと、自分がこの世界に来てため込んだ負担がすべて落ちるような感覚があり、身体がすごく軽くなるのを感じた。
真一は服に袖を通すと、昨日体調が悪いと言っていた井畑幸喜の元を訪れた。体調は昨日より悪化していたのか、額に汗を浮かべて頭が重いといった表情で寝たままだった。隣では、葉子が不安そうな表情で、額に浮かんだ汗をぬぐっていた。
「どうだい?具合は」
真一が井畑に声を掛けたが、井畑は真一に返事を返す余裕もない様子だった。
「よくないみたい、昨日より熱が上がっているみたいだし」
葉子が心配そうな面持ちで答えた。すると背後から、朱里が鍋で沸かした白湯を持ってきた。他人を気遣う事が出来るようになった朱里の姿をみて、真一は少し喜んだ気持ちになったが、彼女の表情は亡者のように覇気がなかった。
「井畑君、白湯だよ」
「ありがとう」
井畑は何とか力を振り絞って起き上がり、白湯の入った器に口をつけた。真一は彼の傍にしゃがんだ。
「井畑君、これから俺は食糧調達へ行くんだけれど、何か手に入れてきて欲しいものはある?」
「欲しいもの?」
井畑はまどろんだ声で考えて、こう続けた。
「なにか、果物のような物があれば欲しいな」
「判った」
「でも、盗むような事はしなくていいからね。俺のせいで、みんなが犯罪者扱いされるのは嫌だから」
井畑の言葉に真一は黙って頷いた。
その後、彼らは今日の予定を決めるために集まった。昨日と同じように食糧調達班と、村の整備をする班に分かれ、それぞれのメンバーを決める事になった。
「ちょっといいか?」
さっそく元一郎が挙手をして、発言を求めた。
「どうかしたの?」
真一が訊いた。
「俺は今日ここに残るよ。話を聞くと、建物の補修や、重たいものを動かすのに男手が必要みたいなんだ。それに……」
「それに?」
真一が訊き返すと、元一郎は横目で葉子を一瞥した後こう続けた。
「余計な心配を掛けたくないんだ」
真一は元一郎が心配を掛けたくないといった相手が誰なのか察すると、「了解」と頷いた。
「じゃあ、三隈が抜けた分は俺が入るよ」
雅也が食糧調達班入りを志願した。
「そうだ、忘れてた」
今回は村に居残る事になった優佳が不意に漏らすと、踵を返してその場を離れ、自分が眠っていた廃屋から昨日のパンを詰めていた布袋を持ち出した。
「これ、パン屋のハルエリって子に返す約束をしていたの。食糧調達のついでに返してきて」
「了解」
真一は頷いた。それで彼らは再び別行動をとることになった。
一〇人の食糧調達要員は街に着くと、昨日のように五人ずつの班に分かれた。真一、雅也、良純、美幸、日菜子の五人はまず昨日パンをくれたハルエリの店へと向かった。分かれた真輔の班は、今度はたんぱく源を手に入れてくると意気揚々に街の別方向へと向かって行った。
「そのハルエリって奴は、どんな奴だったんだ?」
街のメインストリートへと向かう通じる道を歩いていると、雅也が真一に訊いた。
「パン屋の女の子だよ。俺らを始めて見かけた時はビクついていたけれど、柴田さんが事情を説明したらパンをくれたんだ。この袋は、その時に袋だけ返す約束をしたんだ」
「あのパンか、パンケーキやナンもどきみたいなのがあった」
「ああ」
「あれは食い物が無かった俺らにはご馳走だったけれど、ちょっと売り物にするにはいまいちな出来だったな」
「そうか」
雅也の言葉に真一は適当に合わせた。雅也は料理研究会に所属する生徒だったから、他の生徒よりも味覚にうるさいのだろうと真一は思った。
メインストリートに入り、ハルエリのパン屋を目指す。街の中を歩くと、住人たちは好奇とも嫌悪とも取れない視線を真一たちに浴びせてきた。五人のうち四人は極力気にしないようにと自分に言い聞かせたが、日菜子にその視線は苦痛だった。
メインストリートから細い路地に入り、そこから小規模な店舗が並ぶ細い道へと抜ける。そこから右に向かって進むと、目的のパン屋はあった。令和の日本で外国人が経営するケバブ屋のような店舗の前には、同じようにケバブをサンドするような、丸い円状の平パンが幾つも並べられており、店の奥にはパンを焼く為の窯が一つあった。その前にある打ち粉を引いた作業台では、三十代後半らしい男がパン生地を練っていた。生地を練っていた男は生徒たちの視線に気づくと、作業の手を止めて彼らの方を見た。
「何の用だ?」
店主らしい男は、明らかに警戒した眼差しで生徒たちを見つめながら質問した。先頭に立っていた真一は、臆せずに用件だけを伝える事にした。
「ハルエリさんに、借りた袋を返しに来たんです」
真一が告げると、持っていた袋を見せた。店主の男は真一に近づき、持っていた袋を取り上げた。
「確かにうちの物だ。売れなくなったパンや焼くのに失敗したパンを処分するのに使う奴だ。どこで手に入れた?」
「ハルエリさんから、いらないパンを貰った時に借りたんです。今日までに返すという約束で」
真一は続けて説明したが、店主の眼差しは訝ったままだった。あらぬ誤解がもたれてしまうと真一が危惧すると、背後から突然明るい女の子の声が鳴り響いた。
「父ちゃん、衛兵の詰め所と八百屋のチトシーさんへの配達終わったよ」
突然の元気な声に驚いて真一たちが振り向くと、そこには昨日のハルエリが居た。ハルエリも、昨日パンをくれてやった生徒たちが自分の店に現れると思っていなかったのか、驚いた様子だった。
「ハルエリ、昨日こいつらにパンをくれてやったのか?袋ごと」
ハルエリは店主である父親に質問されると、視線を逸らして少し居心地悪そうにこう答えた。
「まあ、一応。どうせ私が焼いて見様見真似で焼いた失敗作のパンが殆どだったし。家畜の餌とかに持ってゆくよりはいいかなって」
日菜子は家畜の餌という言葉に衝撃を受けて、自分の意見を言おうと口を開きかけたが、それよりも先に雅也が口を開いた。
「そりゃ、あんなに焼くのが失敗したり、生地の触感が悪かったりしたら売れないよ」
雅也の突然の言葉に、ハルエリだけでなくその場に居た全員が目を丸くした。近くにいた美幸は「藤君」と囁いて袖を引いたが、雅也は意に介さなかった。
「何よ、あんたならうまく焼けるって言うの?」
「道具と材料さえ貸してくれれば、それなりの物を作る自信はあるよ。俺、二年の頃から料理研究会に居たから」
ハルエリは「細かい事はともかく」という言葉を奥歯の辺りかみ砕いで飲み込むと、一歩踏み出して、叫ぶようにこう言った。
「じゃあ、作ってみせなさいよ!父ちゃん、必要な物を用意できる!?」
ハルエリが急に提案すると、彼女の父親は困った顔をしてこう続けた。
「今からは無理だ。これから昼すぎに売るパンと、騎士団の兵舎に届けるパンを焼かないといけないから」
「いつなら大丈夫?」
ハルエリの言葉に父親は少し考え込んだ。
「明日以降、明後日なら大丈夫だ」
「じゃあ、あんた。明後日にうちに来て焼いてみなさいよ。仕込みから全部やってみなさいよ」
急な提案をされた雅也だったが、引くには引けない事を言ってしまったのは自分だったので、いまさら断る事は出来なかった。
「いいよ。明後日だね」
雅也は頷いた。この突然の出来事に美幸や日菜子はもちろん、真一でさえ驚かざるを得なかった。




